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ブランドとはケーキみたいなものだ。コンセプトが大事。


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Voicy No.0086 2021年12月6日放送
「ブランドとはケーキみたいなものだ。コンセプトが大事。」


物に魂が宿る国、日本。


ビジネスとか生活は、そこで生活している方々の風習とか文化文明の連続性で、培われてきたパラダイム(基本的な考え方や様式の基準)にとらわれています。

初詣は正月に行くものだというのは、そういう文化風習のところにいるからで、そうじゃないところにいる人は、初詣といっても「何ですか」ということだし、それが変わることもあります。

今どんな考え方や行動様式に自分がとらわれているかという確認が最初にあって、その上で、それがどう変わっているかを常に考えるようにしています。それは本で読んだとかネットに書いてあったということではなくて、自分で微妙な変化を感じるしかありません。

真っ青な状態から水色になっていくグラデーションの変化みたいなことは人の生活でやっぱりあって、そこに合わせて自分のビジネスとか対象となるお客様とかファンの方を考えてブランドを伝えて届けるのが、商売の基本的なメカニズムです。

自分自身をブランディングしたい人は、ブランドとして自分を応援してもらうにあたり、どう考えているのか、今の生活の中で、潜在的に何を思っているかです。コロナを怖がっているとか、買うものがないと思っているとか、そういう言葉にできる表面化している思いと、言葉にしきれない人々が生活の中での思っていることがあって、その「言葉にできない」ところをどうつかむかです。

「ブランドはケーキのようなものだ。コンセプトが大事」というテーマで話そうと思っています。コンセプトという無形のものに対して、戦後の日本人はあまり意味を見出していないので、ブランディングができない,、ブランドがわからない、ビジネスでプレミアムな価格が取れないのです。

なぜかというと、ここまでの文化風習のベースに「物に魂が宿る」という考えがあって、とにかく物自体なのです。商品でいったら商品自体に価値があって、ブランドとかビジネスにおける付加価値というのは、商品以外の歴史とか、その商品にまつわるドラマが付加価値になって価格に乗っているものです。


同じ材料をコンセプトから輝かせる。

フェラーリの車は4000万とか1億するものもありますが、フェラーリ車の原価と軽自動車の原価を比べると、軽自動車は30万~45万で、中古車だと5万~10万円で売られています。50万円と5000万円だと、同じ自動車というカテゴリーで価格差100倍です。

この原価は100倍差があるのかなというところですが、フェラーリというのは歴史とフェラーリレッドと、それにまつわるさまざまな逸話を価格に載せています。ですから「車の本当の原価からちゃんと導き出してよ」みたいなことを、フェラーリを買いに行った人が言うはずもないのです。

でも、これが日本人の良い面でもあり、それがある種ブランド化する大きな縛りなっているのが、物を一生懸命磨いたので、物の原価と、それに対する作業賃みたいな考え方です。

ブランド化で顕著なのは高級時計の世界です。海外に行くとすごいです。リシャールミルという新進気鋭のラグジュアリー時計ブランドは、1000万から3000万円がベースの価格帯になります。ウブロも普通に買っているのは300万から700万ぐらい。ウブロは仕事としてもユーザーとしても、かなり関わりました。

日本のセイコーは、時計ブランドというより日本的に言うとメーカーです。セイコーは全て自前でつくれる製作能力を持っていて素晴らしいブランドの1つですが、世界の高級時計から見ると安すぎるんです。時計を道具として捉えているので、装飾品やステータス、スタイルを表明するものというフェラーリ的な位置づけになっていません。

世界の市場の高級時計の中に入るとびっくりするぐらい安いというので、グランドセイコーをつくり出して価格をプレミアムなほうに引き上げました。物に魂が宿るので、物以外の価値をつけるのがずるいというか、日本人にはアレルギーがあるのです。

あとは、物自体を道具化して、道具として優れていると売る側は考えたい。買う側も道具として捉えたい。でも装飾品という捉え方もできます。

今日はケーキの話ですが、その前提が、日本人の物信仰――物を道具的に捉えるという考え方が、ブランドとして価値を高めることを阻害していて、うまくできていないということで、そこからケーキの話に行くんですけど、だから無形の価値を付けましょうという話です。

その一つで象徴的なのがコンセプトという話。

世の中にケーキはあまたあっても、材料はほぼ同じです。ケーキはデパ地下に行くといっぱい並んでいて、本当に美しいです。子供がショーケースにべたっとくっつくのがわかるもの。もう大人だから怒られちゃうけど、大人だってべたっとくっつきたいもの。ケーキって薄力粉と卵と砂糖と牛乳がスポンジで、あとはクリームとフルーツですよね。

大人も子どももケーキが好きで、デパ地下に無数に並んでいるケーキを見て、わあっと気持ちが高揚したときに、薄力粉と卵と砂糖と牛乳とホイップクリームの材料だけトレイに載せて、ぽんと目の前に来たとしても、それを今、目の前に持ってこられても……というところがある。

その材料そのまま出されても700円、800円は払いません。今デパ地下だと700~800円、1000円ぐらいするものもケーキにはありますが、ケーキの材料は、薄力粉、卵、砂糖、牛乳、バニラエッセンス、生クリーム、あとはちょっとしたフルーツかチョコレートぐらい。

「ぐらいです」は申し訳ないけれども、あとはあめ細工をするとかで、ここで出てくるのがコンセプトです。


商品にドラマと解釈をのせていく。


例えばチョコレートケーキをつくろうと思ったら、「イタリアのショコラの歴史を踏まえた、何とかという古いお菓子の伝統を現代風にアレンジしました」のように言ってくれます。歴史とか、イタリア人が食べていて、昔から愛されている何とか産のショコラを使っていると言った上で材料がそのままが出てきても、500円も700円も1000円も払いません。

それに名前を付けてコンセプトを決めて、例えばイタリアのチョコレートの伝統菓子を現代風にアレンジしたケーキにすると決めたら、それをコンセプトとして置いて、ショコラクイーンのような名前を付けて表面をつやつやにするとか、断面を見せるとかするわけです。

すると、ただの粉と卵と砂糖が700円とか800円の価値としては変わっていき、さらに、そこに喜びや感動、気持ちの高まりが生まれてくることになる。これって、どの商売でも可能なことではあるのです。でも、どうしてもそう思えない。

これもすごいなと思うんだけど、江戸前のそばの話をすると、「そばが出てきたら、まずそばをつゆに浸けずに1、2本そのまま食べろ。そば粉の味を楽しもう」みたいな、粋なそばの楽しみ方の話をされたことがあったんだけど、味を付けたほうがおいしいでしょう?

何が言いたいかというと、別にそばをそのまま食べることを否定しているのではありません。生肉そのままは食べられないし、生肉にかぶりつく人はいないので、やっぱり料理をして、最後お皿とのマッチングで盛り付けがあり、あとはテーブルクロスとか、その店に合ったシチュエーションがあり、食べる仲間や相手も含めて料理を楽しむから、一皿数千円を払うわけです。

だから、生肉をぽんと置かれても食べられない。それを物理的にアレンジしたり加工したりすることプラス、コンセプトを置くことで、そこにさまざまなドラマとか解釈とかを載せることができるのです。



コンセプトがブランドの価値になる。

ただ、「コンセプト?」みたいになってしまうんです。誰もが支持してくれるコンセプトはないので、出す人、対象になるファン、提供する相手に合わせてそれを考えます。白いTシャツは、コンセプトで相当捉え方が変わるでしょう?

今はコンビニでTシャツの結構いい物が売っています。600円とか700円とか、500円のものもあったかな。価格帯としては夏、暑い時に汗をかきすぎちゃって着替えるとか、お泊りしてしまって翌日、下着を換えなきゃいけないから、パンツとTシャツを買うみたいな感じで、両方合わせて千円前後です。

白いTシャツって、着ている人はわかっているけれど見ている人は正直、どこのを着ているかわからない。無印のTシャツを着ていますという人は、コンセプトを着ているわけです。白いTシャツは一緒だと言うと、ファッション好きな人とか業界の人からすると「違うんだ」となるけれど、違うというのは俺もわかっています。

でも、これをあえて言うと、白いTシャツで何を着るかというのは、コンセプトをまとっているんだよね。しかも、どういうブランドが、どういう考えでつくっているかということをまとっている。

ハイブランドでは、何でもないニットもコンセプトをまとっています。もちろん材質の違いはあります。それはわかる人にはわかる。けれども、そこまで深く考えて、みんな服を着ているわけじゃないとなると、コンセプトをまとっているのです。

どうしてコンセプトをうまくつくらなければならないのでしょうか。

コンセプトをつくって、ブランドとして付加価値を認めてもらえるように進み始めるのは、最初にも触れた日本人の物信仰の中で、材料費とか原価に執着しすぎだからです。いい素材を使ったら金額を高く付けていいというのも思い込みだし、つやつやのきれいな芸術品みたいなケーキも、使っているものは業務用で買ってきた同じようなものでしょう。

でも日本人は説明したがります。
美しいから高いのを、どうしてずるいのかなと思います。

もちろん加工の工夫とか素材の良さも、裏付けとしてはあってもいい。
ただ、正直、あってもなくても、買う方が、そのブランドから得たいものを満たす必要があります。例えば気分が上がるとか、ネイルとかまつエクと一緒です。

髪のトリートメントに女性が結構行くけれど、男の人で髪のトリートメントだけで美容室に行く人はほとんどいません。あれで気持ちが上がるから、髪がつやつやになるからといって、周りの男性からすると「いや、わからないよ」という人もいっぱいいますから。

だから、ご本人がメンテナンスで髪のトリートメントをやることで、「私はまだまだ美しくいける」という自信を買っているわけ。そういう無形のものを足すときに、コンセプトはあったほうがいいのです。


同じ食べ物が0円と1万円で、売れるわけ。

物の値段と価値の基準というのは、出す場所と対象と、それに対するコンセプトで変わってきます。果物農家の近所の人にとって、どんな高級な果物も、近所の人は「今年いいのが取れたので」と無料でもらっているので0円です。

果物農家が直販で売るとしたら、知り合いにもらっても100円、200円だと思います。それが市場を通して八百屋さんとかスーパーで売るとなると、リンゴや梨は1個300円とか500円になる。

それが贈答品になった途端に1個数千円になってくるんです。メロンとかブドウでいうと1万円に届くようなものもあります。あれは果物を買っているのではありません。送り側は気持ちを送り、もらう側は感謝の気持ちを頂くので、本当に果物農家の近所の人がもらう0円と同じものだったとしても、感謝の気持ちを乗せて数千円になる。

これが銀座のクラブのフルーツ盛りになりますと、4分の1ぐらいの切り身しか使ってないのに、一皿4000円、5000円~1万円になる。なぜかというと、それが装飾だからです。場面を盛り上げる生花と一緒で、同じ果物でも、出す場所とかコンセプトで価値基準と値段が変わるのです。

ブランドというのは演出だよということを俺は言いたいのではありません。対象者の方に、こういうコンセプトでブランドを理解してもらうというのが思想やポリシーから来るものであれば、なおのことブランドとして長く続いていくということです。

本当はこれに加えて話そうと思ったことがありますが、チャプターは3つまでと決めているので、今日はここまでにします。

以上、久々野智小哲津でした。

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コテツがVoicyの「ブランディングと商売の話」で語った
内容を文章化し加筆したものです。
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