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生き様がブランド。


Voicy「コテツのブランディングと商売の話」コラム
読めばブランディングができて商売が上手くなる

このコラムは、コテツがVoicyのブランディングと商売の話で語った内容を文章化し加筆したものです。
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Voicy No.0063 2021年10月26日放送
生き様がブランド。


あなたが生きているうちに。

何でもかんでもブランドになれるわけではないし、ブランドになればいいものでもありません。ブランドになるというビジネスの方向、生き方、自分の打ち出し方がある一方で、ビジネスにおいて、ただの有名なメーカーになる、ただの有名なサービスマンになるという方向性もあるのです。

「有名になる」と「ブランドになる」は別です。

ブランドオーナーが「これを大事にしてやっている」「これだからやっている」というものがあってこそ、ブランドになります。

これはいい悪いではないけれど、例えば、タピオカ屋がはやったのでタピオカ屋をやってみますと言ったビジネスオーナーがいます。「あなたタピオカにほれ込んでいるんですか。タピオカと一緒に一生歩んでいくんですか」と聞くと「いや、自分はタピオカは飲まないんです」という人もいる。これはビジネスとしていいと思うんです。そういうビジネスの戦略なので。

「美容室チェーンをやってまして」「じゃあ美容で世の中を明るくするとか思っているんですか」「いや、たまたま売りに出ていた美容室のチェーンがあったので買いました」という人もいます。

「24時間フィットネスを僕、6店舗やっているんです」「じゃあ体を鍛えることで健康寿命を延ばそうと思っているんですか」「思ってないです。24時間フィットネスが今、効率の良いビジネスだからやってます」。これも全然いいと思う。逆に、これを混ぜている人が一番まずい。

ブランドというのは、その人がやっている意味合いがあるものにファンがつきます。「嫌々やっています」とか「儲かるからやっています」なら、ブランドと言わなければいいだけです。

この話の中でブランドは、ブランドオーナーが何らかの使命感や必然性や思い入れ、大事にしたい、動かしがたい何かを持ってやっているブランドとして話をしますが、ブランドで一番強いのは、ブランドオーナー存命中の息吹です。キリスト教でいうと、イエス・キリスト様が生きていて、その人が信者さんに布教するのが一番いい。

ブランドオーナー存命中に、そのブランドに魂を吹き込む。「仏つくって魂入れず」という言葉があるように、ブランドオーナーが、それなりに思いと考えを持ってやっているのであれば、まずそれをやるのは当然ですよね。

残念ながら今の時代は情報がオープンになっているから、品質とか機能で差が出ないのです。自分がコンサルをしていると「うちのは特別違う」と結構言われるのです。そういう企業にばかり当たります。サプリ、健康系、美容系だと、とにかくこれが肌にいい、体にいいという話を年間何十個も聞くわけです。

それでは競合に捕まえられるのです。もっと言うと、化粧品にしてもサプリにしても、OEMでつくっているところが同じだったりする。OEM会社も機密保持があるから、A社で売れているサプリの成分をB社に売り込むときに、丸ごとオープンにして仕事を取ることはないものの、うまくいっているとか、はやっているサプリは、ほぼ同成分のものが出てきます。

品質とか機能とかで差が出ないのは家電とか自動車も同じ。ずいぶん長い間、日本車がいいと言われていましたが、かなり海外の自動車の品質も上がっています。日本車をつくっていた人が海外の会社に引き抜かれているから当然で、デザインだってまねされるものがある。

では、どうするのか。

まねできないのは、ブランドオーナーその人自身の生き方、生き様です。これだけはコピーできません。つまり最大の資産、最大の売り、最大の個性は、ブランドオーナー、その人自身の生き様だというところです。しかし、それは売り物ではありません。元になるものとしては強力だけど、それをそのまま売っていくのは相当難しい。

多くの人が渡辺直美さんみたいに、900万人インスタでフォロワーを集めようとしているのかわからない。1万人、2万人ぐらいではどうにもならないから、自分の生き様自体を商品にしたらいいと言っているのではなくて、自分のやっているブランドで何か物を売るにしてもサービスを提供するにしても、その大本にあるものとして、ブランドオーナー自身の生き様が反映されていること自体が、最大の差別化ポイントになるわけです。

なぜ生き様とか生き方を、あこがれているキラキラしている人に寄せていく人が多いのでしょうか。なんで他人に寄せるのか俺は理解できません。なぜインスタでみんなが同じような所に行って、同じような写真を撮るのかというのも含めて。それで自分がブランドになろうと思っていなければいいですよ。でも同じように見せたいんですよね?

これは一例で、それ自体がいい悪いではありません。自分は整形肯定派だけど、みんなが同じ顔になる必要はない。みんなが同じ顔をして、みんながボディメイクして同じような体になって、同じようなはやりのブランドを着て、同じようなお店に行って、同じような角度でスタバのフラペチーノの写真を撮り、同じようにインフルエンサーの友達と仲良くしていることを自慢し、同じようにコース料理の写真を前菜から順にあげ、同じように良いすし屋に行ったら出てきたおすしをアップで撮って、インスタのストーリーに順にアップしてみたいなことを、なぜ同じようにやるのと思うんだ。

その生き方、生き様、日々の歩みこそが、自分というブランドの大本のものをつくり上げるので、同じことをやっていたらダメなのです。

ブランドオーナーが生きている状態というのは、それ自体がものすごい強みです。イエス・キリストとか、仏教における空海が今いる状態です。空海さんが開祖とは違うけれど、ブランドにおいて生身の体で開祖がいる状態です。その間に自分の血と汗と涙というか、喜怒哀楽というか、そういうものをブランドにつぎ込む。ファンの方やお客様のところに届けていくのが最も差別化です。

だから人間臭い、汗臭い、人間の業のようなもので、俺は「対面のお客様イベントやファンイベントをやったほうがいいですよ」と言うのです。それが特別なことでなくてもいい。きれいなホテルの部屋を借りて、オードブルで立食パーティーみたいなものをやって、全員でてかてかのワンピースを着て、シャンパン持って乾杯する。そういうのがいいんです。自分がつくったもんじゃ焼きを食べてもらってもいいし、キュウリを切って、冷やしキュウリをみんなでつまんでもいい。

もちろんブランドの方向性によるけれども、それ自体、大企業がまねする必要は全くなくて、ブランドオーナーが出ていって話すべきなのです。

「それってコテツさん、どれぐらいの規模の話をしているの?」というけれど、100億、500億規模の会社でも、こういう話をしてやってもらっているところは、やっぱりブランドが熱くなっています。


なんでそのブランドやってんの?

生き様自体がブランドだと言ったときに、これも昔からはやっているんだけど、ビジネスで行われていることは、大体10年周期ぐらいで昔やっていたことをまた皆さんがやっているのです。起業やビジネスをやっている人が、金もなくて人脈もなくて、何もない状態で起業してうまくいったみたいな話をすごくしたがります。

神田昌典さんが1998年にアメリカのダイレクト・レスポンス・マーケティングを持ってきて、顧客の煽り方とか自分自身の苦労話からうまくいった話で、「大変だった僕も、のし上がりましたよ」みたいな話をしています。

神田昌典さんは矢沢永吉さんのすごいファンで、矢沢永吉さんの『成り上がり』を読んだそうです。そこに広島から夜汽車で東京を目指して横浜で降りて、キャロルというバンドをやって、矢沢永吉というカリスマアーティストにるという話があります。

ルーツをたどればそれみたいなもので、苦労話を聞かれた状況だったら必要だと思います。「誰々さんってどういう歩みだったんですか。最初はどうだったんですか」と。

俺は小哲津ゼミの「ブランド解剖」で、ブランドになっている人やブランドビジネスをやっている方を呼んで、ストーリーを確認して、どこがブランドになったか、うまくいった分岐点があったかというのをやっています。

聞かれているならいいと思うけど、苦労話で同情を得るのがはやっているんですか。Twitterのプロフィールにみんなそういうのを書いているんだけど、人生で大変なことなんて、みんなあるじゃんというところで、俺が個人的に好きか嫌いかというと、全然ぴんとこないよという感じなのね。

ブランドを考えたときに何がよくないかというと、苦労話とか、とんでもない出来事で同情を得るところです。かわいそうと思われるとか、そんなところからよくやったねとか。同情を得るということは、情けを掛けられる側になることなのです。

ブランドというのは、ファンの方から見たときに、そのブランドに触れることで日常から非日常になるような気持ちになれるかなれないかというのがとても大事です。日常というのは実はあまりにも退屈で、思いどおりいかないこともあって、どんなスターでも成功者でも、不満不安を感じるステージによってレベルとか出来事は違うけれど、みんな日々淡々と、しょうもないことも起こりながら生きているわけ。

でも自分にとって特別で、これじゃなきゃダメというものに触れることによって、自分の日常から非日常を感じさせることがブランドはとても大事なことだから、同情を引いて苦労話をしたり、「こんな自分も大変なんですよ」みたいなことで、同情してあげたい、かわいそうだとなっている時点で、相手のほうからさげすんで見られる場合もあるわけです。

突拍子もないことを言って注目を浴びたいが人間です。

子どものときに「おなか痛い」といったら、お母さんとか、かわいい保健室の先生が「大丈夫?」と言ってくれたら、うれしいじゃないですか。でも、大人になってビジネスとかブランドを進めていく上で、出だしがそれしかないんだったらしょうがない。ネタがそれしかないのだから。

ビジネスを始めたては語ることがない。それがビジネスを始めて語るべきこともできてきて、自分の大事にしていること、ブランドとしてのポリシーとか、こういうことで世の中に関わっていきたいとか、私のブランドはこうありたい、ファンの方にこういうものを提供していきたいんだというのができているのに、ずっと苦労話を出して、お涙頂戴話を生き様にしてやっていると、ファンの方にあきられます。

もちろん、うまくいったことも、うまくいかなかったことも含めて、ファンの方に愛されるのがとても大事。ただ、それだけを全面に押すのでは、いつまでもファンの方の気持ちを引っ張れません。一緒にビジョンを共有して前に進んでいけるような形が、やっぱり一番いい。

では、生き様をどう伝えていくかというときに、ブランドの購入者とかファンの方に関係ないことを出してもしょうがないわけで、やはり自分の生き様の中で、そのブランドというか、その商売をやっている必然性・使命感、なぜやっているかにつながるところは、繰り返し伝えたほうがいいでしょう。

以上、久々野智小哲津でした。

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