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私とごっこ遊びのはなし

昔から人と遊ぶのも好きですが、1人で遊ぶことも好きなのですがごっこ遊びをするのが好きです。
それこそ、食べ物屋さん、とか、ケーキ屋さん、とか。おままごとをみんなでしたり、1人で家の中でしたり。

幼稚園の頃も買ってもらったりはしたのですが、小学生の頃にリカちゃんキャッスルに行っては新しいリカちゃんを買ってもらえればリカちゃんとぬいぐるみ達とおままごと?のようなものをしていたり。

小学5年生から中学生の頃かな?
レゴブロックを男の子の友達がやっていて我が家にも少しあったのでクリスマスとかお誕生日に買ってもらったり、昔はお菓子とちょっとしたブロックのセットとかもあってそれを買ってもらって自分の好きなもの、こと。
なんとなくあの頃はまだ恋というものとは?
みたいな。可愛らしい、いや、江國香織先生とか色んなもの吸収している時期だからラブロマンスもSFもファンタジーも何もかも詰め込んでいました。
ドクロのキャラクター、ブロックというか人形があったのでドクロすらも参戦。
ドクロに被せるような形の幽霊もいたのですが(しかも光を吸収して発光するのです!)私は持っていなくて…友達の家に行くとめちゃくちゃ楽しく作って使わせてもらっていたのを覚えています。
幽霊に囲まれるコックさん、とか。

立体よりフィールドに間取りを作って2階建てにしてみたりして。色んな家族ごっこをしたりもしていました。

そう考えると幼稚園の頃からシルバニアファミリーさんが好きです。
母方の叔母が使っていた三角屋根の赤いおうちをそのままもらって。家具とかプラスチックてはなくて木で出来ていて。
そこから私の欲しいなと思ったものをこれもお誕生日やクリスマスなどにレストランとか、お人形も増えて。もう大家族であり、色んな住人とレストランとお家があるから大賑わいで1人でも楽しいのです。

シルバニアファミリーに関しては兄の娘も楽しみ変に親子3代?みたいな。代々伝わり、で、今お人形だけ飾っていたりします。

漫画描いたり、そういう部分でごっこ遊びというか、頭をこねくり回しているあの感覚。
自分というよりその子たちと遊んでいたい感覚もあったり、ぬいぐるみたちともお喋りするし。
思っているより喋りたい?
喋りたいというより、悩みを1人で解消させる為に話をしているのかもしれませんし、なんとなく自分を第3者視点に落とし込む為にやっているのかもしれませんが。

自分を自分じゃなくしてあげる感覚ですね。ごっこ遊びって。
そうやって凄い『ごっこ遊び』とか何者かになる感覚。今でも好きなのはあります。

【本日の読書】
「肉体のジェンダーを笑うな」 山崎ナオコーラ(集英社) 「父乳の夢」読み終わり

 まずは哲夫が物凄く育児参加への意識が高いこと(今の育児感というものを知りませんが、こんなに意識高い人いるかなぁ?と思うのです)にまず驚きつつ、も父が乳を出すってまだ出来ないけれどもそういう育児参加の流れもあるかもしれないし、そこで生まれてきた違和感(例えばまだ育児→母親がするもの、が大きいせいか、冬場にマタニティの方が着るコートは『ママコート』と呼び、育児時に持つカバンの名前が『マザーズバッグ』と呼ばれていること)や、今日子と哲夫の中では、結婚式の時に哲夫が友人に
「結婚式って奥さんを引き立たせる場所じゃないの?」
という質問に対し
「僕らは違う性別になりたいわけじゃない」
と言い、子供の薫に対してもタクシーの方が青色の服を着ていたので男の子ですか?と聞かれたので哲夫が
「性別は本人が大きくなってから決めるんだ、って思っているんですが、今のところは女の子かなと思ってます」
と、劔さんの最近大人の男性がピンク着ているお話もあったけれども、性別を誤認させるような服を着させるのは悪い親という風潮に抗う為に薫は女の子なのに青色の服を着せていたし、今後、薫が着たい服を着せるようにしたいと言っていたり。
凄く『親になる』という部分でも2人は成長していたし、これからも色んな〇〇だからではない育て方をしていくんだろうな。
という良い内容でした。

まだまだ他のお話もありますが、これだけでも今までの育児観であったり色んなものを変えてくれそうだな、と思っています。

本日はこの辺で。

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