漢学オタクがマルクス・ガブリエルを視ると・・・

最近なにかと話題の若手哲学者マルクス・ガブリエル。NHKで特集番組が放映されていた。

意識高い同世代友人たちが興奮して語っていたものの、予告編で見た宮根ばりの口八丁手八丁ぶりが生理的に不愉快で敢えて視聴を避けていた。

が、不覚にもザッピングしていたら放映開始時間にあたってしまい、悔しいが見始めると見入ってしまった。

編集の妙なのか、ガブリエルがドイツ人だから確信犯なのか、カント、ヘーゲル、シェリング・・・ドイツの哲学の巨人はみなさん現代の混迷を看破していらっしゃったらしい。

確かに、私も最近1919年に執筆されたマックス・ウェーバーの「職業としての政治」を読み、あたかも2020年の情勢を語っているのではないかとの錯覚に陥り、畏敬の念を禁じ得なかった。

なんでもかんでも快刀乱麻すべて答をお出しになる。よく口が回る。宮根というより明石家さんまか・・・

と、次の発言で思わず「ちょっと待った!」と叫んだ。

『ドイツ語のgeistは英語やフランス語にはピタリと当てはまる訳語はない。しかしChineseにはある。それはjingshenだ』

jing shenは「精神」の北京語発音のアルファベット表記(拼音)である。

ガブリエルさん・・・

申し訳ないが、geistと全く同じ概念が古来東アジア大陸にあって「精神」と呼ばれてきたのではない。

19世紀後期に西欧思想が導入された際に、geistの訳語として「精神」をあてたのだ。

そして、この訳出を行ったのは日本だ。これを清朝末期の留学生が持ち帰ったのだ。

ガブリエルからの『日本語では何というのか』という問いに対して、同行する斎藤幸平という若いドイツ哲学者は『seishin』と答えたが、上記の事情は説明したのだろうか?

説明できなかったとするならば、悲しいことだ。これこそ東アジアの知識人としてのリベラルアーツの喪失だ。

ガブリエルはドイツ人として、アメリカも含めたヨーロッパの文化・言語を深く観察して理解しているはずだ。

つまりsignifiant(記号表現)たる言語とsignifie(記号内容)たる文化・習俗とをよく知っており、言語ごとに対応関係が微妙に異なることまで理解しているはずだ。だから「ピタリと当てはまる訳語はない」と言うのだろう。

はたして英語のspiritやmind、あるいはフランス語のespritと、ドイツ語のgeistとの違いはガブリエルが言い立てるほどの大きな相違があるのだろうか?一般の日本人にはわからない。

かたや、「精神」は以下の②③④の意味まで含めてgeistと同じということまでガブリエルは検証したのだろうか?

精神(『大漢和辞典』諸橋轍次)
①こころ、たましひ、霊妙な心、霊魂、精霊
②生気の溢れていること、生気や光彩があって美しいこと
③気力、根気
④意義、理念、主義

中華人民共和国では思想・言論・学問は全て中国共産党の統制下にある。現代中国語にも堪能というガブリエルが、中国人研究者や学生に囲まれて『geistとjingshenとは同じです』と言われて、悦に入っている姿が目に浮かぶようだ。

漢学オタクとしては、geistは「朱子学の“性”」ではないか?いや「氣」ではないか?・・・と妄想が膨らむ。

ガブリエルさん

漢語の意味は、時代、思想、解釈により揺らぎがあるんです。
それは西欧語でも同じでしょ?

geist=jingshenは、現代の中国共産党による解釈です。

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