【読書録】ミシェル・レリス『成熟の年齢』2

 内容に全然入っていなかった。
 しかし、あの前提がなければ、この読中感(?)は伝わらないという気もする。かつて、何度かレリスのいくつかの本、それも五、六冊、ひとつに挫折しては次を読み始めるというような感じで読んでいたから、一冊も読み通せていないにもかかわらず、どこか影響を受けたような気になっていたのだが、ともかくそのように読んだ結果、レリスは全く掴みどころのない妙な作家として記憶されていた。
 しかし、今振り返るようにして一冊の本を読んでみると、その聖化が外れて、どこか落ち着いて読むことが出来る、だが、その価値は等身大になってますます強さを増した、と僕は信じたい、少なくとも、かつて読んだという記憶は犬も食わない、ただ漠然と良かったという記憶だけになったものは、それはいい美しい記憶なのかもしれないが、それだけでは腹は膨れない、腹が膨れるとは譬えで言っている、何というか、自分の精神に真にガツンと来るのは常にいま現在読んでいる作品の中にしかない。
 今、レリスを落ち着いて読めるので、書いた背景などを一つ一つ分析しながら読むことが出来る、だがそれも、この本がレリスのキャリアの本当に最初の方の本であるから、ということも関係あるのかもしれない。
 しかし、分析というほどもなく、ほとんど露骨なほどに、当時のレリスの立ち位置というか、かかわった人々すべての刻印が、書いたものに刻まれているのを感じる。一つは、シュルレアリスム。他の多くの優れた作家・画家がそうなのだが、なぜかシュルレアリスムというものは、遠巻きに眺められるか、一旦近づいてまた離れるだとか、あるいはかつて内部にいて影響も受けたが離反したとか、そんな話ばっかり聞く気がする。シュルレアリスムの技法のひとつ、自動筆記があるが、レリスは基本的に、ある思い出をたどって別の思い出に繋げるといったような書き方をする。
 シュルレアリスムと三角のように関係を結んでいるのが、フロイトである。フロイトの精神分析の技法、確か自分も精神分析を受けた、といっていた、そこから、自分の人格形成の根源的な所に、両親と異性関係、露骨に言うとエロス的なものが、大きく寄与しているという確信のようなものを感じる、フロイト自身よりも露骨かもしれない、なぜかエロスの記述に滑っていくような筆があり、それを自然なことのような感じているのが、もしかしたらこの背景を知らない人が読むには抵抗を覚える要素の一つかもしれない。
 この背景を持つ、というのは、フロイトと、フロイトの技法を芸術に転化させたシュルレアリスムに関わった著述者は、それなりにいるのだが、その中でも、ダダイスト的ではない、とレリス自身も言っているし、じっさい、全てを破壊するとか価値転倒とかを旨とするような人々とは違う歩み方をしていると感じる。
 最後に、もう一人関係する人を、次回書こうと思う。

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