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第7回 あなたの黒歴史を教えてください

おすすめの本、教えてくれてありがとうございます。

自閉症裁判は図書館で借りることができ、リリーさんの本はあなたが貸してくれたので、GW前までにぜんぶ読めたらいいな。リリーさんの本、面白いですね。バース1号が何回も出てくるくだりで声出して笑いました。まだ前半ですが、ナイジェリア大使館の話と第8回のミュージシャンの話が好きです。

こんばんは。QりのQです。

あなたと初めて話したとき、「いろいろなコンテンツに詳しい人だな。趣味もすごく合うし、なんとしても仲良くなりたい!」と思ったことを思い出しました。今回も素敵な本を教えてくれてありがとうございます。機会があればまた教えてください。僕も紹介された3冊の本、全部読み終えたら感想お伝えさせていただきます。

コンテンツで思い出しましたが、先日のドライブ中に片方がお題を決めて、もう片方がYESかNOで答えられる質問をしてお題を当てる「アキネーターゲーム」をしましたね。その時あなたが頭の中で設定したお題が菅田将暉。僕が「生物ですか?」、「人間ですか?」、「男性ですか?」といろいろ質問していき、10個目くらいの質問で「クリーピーナッツと仲がいいですか?」と聞き、あなたはNOと言いました。
結果次の質問で菅田将暉を当てることができたのですが、そのとき僕が「『サントラ』って曲やってるし、さっきのクリーピーナッツと仲がいいかはYESじゃないかな?」と言って、ドヤ顔でサントラの曲を車のなかで流した刹那、あなたがちょっとむっとしていたの、気づいてましたよ。「夢なんて見なけりゃ苦しまない~♪それでもこうしてもがいていくしかない~♪」とのんきに僕は歌ってましたが、その横で、助手席で、むっとしているあなた。僕は気づいていたよ。

でもちょっとだけ「サントラ」の話を。なんだか、サントラのMVをみるとちょっとだけ泣きそうになるんです。ラジオへの想い、創作への想い、苦しいけど憧れる夢への想い、挫折した過去、それらをぜんぶひとくくりにまとめて、叫んでふっとばしてくれる菅田将暉をみて、ほんのちょっとだけ泣きそうになるんです。

実はここ最近まで菅田将暉は嫌いでした。完全なる食わず嫌いで大変申し訳ないのですが、すごく昔に「ダウンタウンなう」という番組に若手俳優として出演していたときに嫌いになりました。

僕の人生で一番好きな芸人はダウンタウン(それはあなたも知ってくれている通り)なのですが、「ダウンタウンなう」番組内で菅田将暉がダウンタウン好きすぎて大号泣して、ずっと泣いていたんです。ダウンタウンの二人に手紙を書いて、手紙を泣きながら読むという回……。それがすごい大反響だったんですが、それを知った僕はその回だけは観ないようにして、録画したその回のDVDも、目に入らないように部屋の奥底にしまいました。いや、絶対俺の方が好きなんだけど。若手の俳優か知らんが。ダウンタウンの取り合いでマジで嫉妬してました。菅田将暉に大嫉妬する、当事のQ。

それから数年、菅田将暉の活躍は語るまでもないでしょう。追ってなくても目に入る、ブラウン管越し、いや地デジ越しの菅田将暉。勝手に食わず嫌いしていたQ。でも嫌いなものって、意識しちゃうじゃないですか。『まちがいさがし』のMVは20回は観たし、霜降りミキXITにゲストで出てた回は10回観て、オールナイトニッポンもなんなら聞いてました。

そんな僕ですが、このサントラのMVを観て菅田将暉が大好きになりました!(好きになる下地は十分できていたような気がしますが)。

(そして因縁だった菅田将暉ゲスト回の「ダウンタウンなう」も観ました。めっちゃ良い回でした。めっちゃダウンタウン好きな好青年で、観ながら僕も泣いてしまいました。めっちゃいいやつやん……。)

このMV,今日あなたと一緒に観たいな。あ、これ観る前にIMALUとせいやが「有頂天マイク」という番組で歌っているのも一緒に観たい。いや、まず「有頂天マイク」を観てから、そのあとにMVを一緒に観ましょう。そうです、これが一番正解な流れです。完璧です。

さて、僕から4個目のQ。
「あなたの黒歴史を教えてください」

僕が菅田将暉のことが嫌いだったという黒歴史……というのもありますが、サントラのMVも、菅田将暉とクリーピーナッツの軌跡を描いてますので、この質問にさせていただきました。

黒歴史。

僕もかなりあります。厨二病だった過去。

中2のころ、相田みつをみたいな詩を作っては、段ボールの切れ端に書いてクラスメイトに売ってました。L’Arc-en-Cielのアルバムを買えるくらいは売れたと思います。でも実際、みんなどう思ってたんだろう。

また中2のころ、BUMP OF CHICKENの『天体観測』をモチーフにした小説を書いて友達に読ませてました。「中間試験で忙しくて、連載遅れてごめんね!」と小説家気分で友達に言ったりしてましたが、読んでくれた優しい友達、いま何してるかな。

中2。身長が10cm伸び、体重は2kg落ち、眼鏡からコンタクトにしてすごくイメチェンできた年でした。学級委員もやって合唱コンクールの指揮もやって、英語スピーチの学校代表もやってました。調子に乗りまくってたなぁ。

あと成績もとんでもなく優秀だったため、先生公認の「数学と社会、テストでここが出る!Qりの予想問題集」も作って配布してました。なんかこの年、なにかを作っては配布して、ばっかりですね。

あと初めてバレンタインをもらったのも中2でした。うれしくてうれしくて、ホワイトデーは気合を入れて、手作りのミカン味の飴をあげました。クッキングパパの飴のレシピ、そのまま作ったはずなのに大失敗したのもいい思い出です(Tさん、飴食べてくれたかな)。

ホワイトデーを過ぎたあたり、もう3月14日を過ぎたあたりで「調子に乗ってる!」と自覚したので、中2の3月14日あたりから中学卒業まで、スーパー謙虚モードになりました。意識的に謙虚モードに。学級委員もやらない、指揮者もやらない、予想問題集も作らないし、飴も作らない。天体観測の小説も途中で打ち切り、段ボールポエムもやめました。

スーパー謙虚モード。調子に乗ってると嫌われるから。

小学校4年生のころの話。

Hくんという”親友”がいました。毎日学校が終わってはHくんの家でスマブラをやって、マリオカートをやって、スターフォックスをやってました。Hくんはでかいマンションに住んでいたので、マンションの中で鬼ごっこもよくやってました。702号室、今でも彼の家の番号を覚えてます。毎日一緒に学校から帰って遊んでました。

ある日、同級生のYくんが引っ越すことになりました。Hくんと他何人かとで、Y君のために「思い出のアルバム」を作りました。そして引越し当日にHくんたちと一緒に泣きながらアルバムを渡し、Yくんを見送りました(今思い返すと当時から作って配布してますね)。

またHくんは僕の誕生日回にも来てくれました。僕の母親がつくった誕生日ババロアケーキを食べながら、その日も楽しく遊びました(Hくんは当時流行っていたビーダマンの連射キットをくれました)。

小学校4年生の3月、クラスみんなで冊子を作ることになりました。その冊子には一人ひとり自己紹介のページがあり、「わたしのともだち」を書く欄がありました。僕はその欄いっぱい使って友達の名前をたくさん書きました。Yくんの名前も、もちろんHくんの名前も。

4年生最後の日、終業式に出来上がった冊子が届きました。家に帰って、みんなの自己紹介ページを楽しみながら読みました。そしてHくんのページ。Hくんの「わたしのともだち」の欄に、僕の名前はありませんでした。

本当にショックで、大泣きしたのを覚えています。数日家から出れないくらいの、人生初めての衝撃。冊子が届いた次の日から春休みだったのが唯一の救いでした。家に引きこもってHくんの「わたしのともだち」に僕の名前がない理由をずっと考えました。

たぶん僕は、お調子者で、でしゃばりで、わがままで、自己中心的で、イヤな奴だったんだと思います。

そしてHくんは小学校5年生になる前に名古屋に引っ越してしまいました。それ以降、人生で一度も彼に会ってません。理由聞きたかったな。僕のこと、嫌いだったのかな。

小学校5年生になり、クラス替えをしてから心機一転、僕はスーパー謙虚モードに生まれ変わりました。人の話をちゃんと聞く、相手のことを思いやる。11歳にしてすごく大人になったと思います(小学校6年生で応援団長をやったり学級委員をやったりしましたが、5年生の間は少なくとも謙虚でした)。

あなたと初めて話したとき、「いろいろなコンテンツに詳しい人だな。趣味もすごく合うし、なんとしても仲良くなりたい!」と思ったことを思い出しました。

対人的に、特に初対面の人に対して謙虚を心掛けているのはHくんの一件があったから。あなたと初めて話した時も、きっとスーパー謙虚モードだったと思います。

黒歴史からだいぶはずれてしまいましたが、心にチクっとくる思い出ばなし。あなたの黒歴史も、教えてほしいな。

『ここにタイトルを入力』、めちゃくちゃ面白かったです。お弁当屋さんの休憩時間に、ぜひ観てみてください。是非ともネタバレなしで。

QりのQ


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