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女が世界を変えることはできるのか? ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』(吉澤康子訳)

ここ数年、『同志少女よ、敵を撃て』を筆頭として〝戦う女たち〟に焦点を当てた小説が世間の注目を集めている。
現在のブームの火付け役になったのは、2020年に出版された『あの本は読まれているか』であるのはまちがいない。

冷戦下におけるソ連とCIAとの激しいせめぎあい、そしてその渦中で結びついた女たちの愛を描いておおいに話題を呼んだこの小説。
国際女性デーの今日(2023年3月8日)、単行本が出た際に書いた評をアップするので、未読のかたはぜひ本を手に取っていだたきたい。

そもそも『ドクトル・ジバコ』とは?

『ドクトル・ジバコ』とは、アメリカが率いる資本主義国陣営とソ連が率いる共産主義国陣営が冷戦をくり広げていた1950年代に、ソ連の作家ボリス・パステルナークによって書かれた恋愛小説である。
ソ連では発禁扱いとされたが、海外で出版されて大きな支持を集めた。
この小説によって、1958年にボリスはノーベル文学賞を受賞した。

この『あの本は読まれているか』は、『ドクトル・ジバコ』が出版に至るまでの複雑な経緯を、歴史上の事実をふまえながらも、フィクションとして見事に作りあげた小説である。

タイピストたちが歴史を動かす西側

物語は西側と東側から描かれる。
西側は、『ドクトル・ジバコ』出版をもくろむCIAが舞台となっている。
といっても、ジェームズ・ボンドのような男のスパイが颯爽と活躍するわけではない。この小説で描かれるのは、CIAで勤務していたタイピストたちだ。

わたしたちはラドクリフ、ヴァッサー、スミスといった一流大学を出てCIAに就職しており、だれもが一族で最初の大卒の娘だった。中国語を話せる者も、飛行機を操縦できる者もいたし、ジョン・ウェインよりも巧みにコルト1873を扱える者もいた。けれど、面接のときに聞かれたのは、「きみ、タイプはできる?」だけだった。

とあるように、せっかく大学を卒業して就職しても、CIAで与えられる仕事は男たちの会話をひたすらタイプするだけ。
1950年代の話だから……と思う一方で、2020年になっても実はそんなに大きく変わっていない気もする。もう70年も経っているのに。

たまにバックグラウンドや素質を買われ、スパイらしい仕事に回される者もいるが、単なる運び屋だったり、あるいは女という武器を利用して相手側から情報を入手させられたりと、結局は男の「駒」に過ぎない。

イリーナとサリーも例外ではなかった。

イリーナの両親は、まだイリーナが母親のおなかにいるときにソ連から脱出を試みた。だが、船に乗る直前に父親が捕まってしまう。母親は身重の身体で、ひとりアメリカへ渡る。イリーナが8歳のとき、父親はソ連の収容所で心臓発作を起こして亡くなったと知らされる。

大学を卒業してから仕事を探していたイリーナは、知り合いからCIAでタイピストを募集していると聞いて応募する。タイプの腕に自信はなかったが、無事採用される。ところが、イリーナを待ち受けていたのはタイプライターではなく、サリーによるスパイの手ほどきだった。

華やかな容姿に恵まれたサリーは、第二次世界大戦中、諜報機関の一員として活躍していた。どんな立場の女にも見事になりきり、疑われることなく相手の男の懐に入ることを得意としていた。

しかし、戦争が終わり、諜報隊員たちはそれぞれの生活へ戻っていった。
ひとつの場所に居つくのはサリーの性に合わない。けれども、これ以上男たちを渡り歩くのも、堅気の仕事につくのも気が進まない。なんといってももう30半ばなのだから。
そこへ昔の仲間から電話があり、迷うことなく仕事を請けた。

こうしてイリーナとサリーは、CIAによる『ドクトル・ジバコ』出版作戦に関わるようになる。
しかし、サリーにはだれにも言えない秘密があった……

実在のボリスとオリガを描いた東側

東側では、『ドクトル・ジバコ』の作者ボリスと、公私にわたってボリスを支えた愛人オリガ・イヴァンスカヤが描かれる。ボリスはもちろん、オリガも実在の人物であり、東側の物語はおおむね史実に基づいている。

第一章のタイトルが「ミューズ」となっているように、オリガはまさにボリスのミューズであり、実際に『ドクトル・ジバコ』のヒロインであるラーラのモデルになっているらしい。
しかし、オリガの人生はミューズという言葉から連想される優雅さからはほど遠い。

第一章「ミューズ」は、黒い背広姿の男たちが家にやってくる場面からはじまる。泣きわめく子どもたちの声を聞きながら、オリガは男たちに連行される。
そこから矯正収容所に送られ、「反体制的見解を持つ作家パステルナークの作品を褒めそやしてきた」という罪で懲役5年の刑を言い渡され、シベリアで過酷な労働に従事させられる。

わたしはセミョーノフが聞きたがっていることを話さなかった。小説はロシア革命に批判的で、ボリスは社会主義リアリズムを拒絶しており、国家の影響を受けずに心のまま生きて愛した登場人物を支持していると、教えはしなかった。

以前に紹介した『チャイルド44』と同様に、この時代のソ連においては、スターリン体制を支持しない者は「反体制」とみなされて収容所に送られる。

ソヴィエト連邦は完璧に正しく幸せな社会であり、貧困や犯罪といった資本主義国に特有の悪は存在しない。それなのに、ボリスはロシア革命に翻弄される人々の姿を書いた。とうてい許すことができない。
だが、世界的にも高名な作家であるボリスにはそう簡単に手出しできないので、ボリスへ圧力をかけるためにオリガを捕まえたのだ。

だが、ソ連にとって最大の事件が起きる。スターリンの死。
5年の刑期が3年になり、解放されたオリガは愛するボリスのもとへ向かう。
ボリスは自分のことを待っていてくれるのだろうか? 収容所に送られる前から、ボリスは何度も別れ話を口にしていた。妻ジナイダとオリガのあいだで板挟みになって苦しんでいたのだ。
そもそもボリスはオリガが捕まっているあいだ、いったい何を考えていたのか……?

女が世界を変えることはできるのか?

こうしてイリーナやサリーといったタイピストたち、あるいはオリガの視点を通じて、ボリスが書いた『ドクトル・ジバコ』がまずは海外で出版され、そこからCIAの手引きによってソ連に逆輸入されていく展開が語られる。

彼女たちはこれまでの物語では男の添え物として扱われていた存在だ。

脇役としての女。タイピストだとしても、諜報活動の紅一点だとしても、男を助けたとしても、男を裏切ったとしても、世界を動かす主役はあくまで男であり、女は脇役だった。
女のミューズにインスピレーションを与えられて創作に励み、世界に感動と驚きを伝えるのは男の役割だった。

けれどもこの小説では、女たちが自ら考え、主体的に行動し、陰謀が渦巻く世界をたくましく生き抜いていくさまが描かれている。

この小説の大きなテーマのひとつは、「一冊の小説で世界を変えることができるか?」であるが、もうひとつのテーマは「女が世界を変えることはできるのか?」だと感じた。

YouTube読書会について

 以前、単行本の出版にあわせて、この小説を課題書としてオンライン読書会が行われた。こちらのサイトで無料で視聴できる。

この読書会で、西側の章の語り手となる「わたしたち」とはだれか? という問題が挙げられた。
登場人物一覧と照合してみても「わたしたち」を特定することはできず、この物語の主人公は、イリーナでもサリーでもオリガでもなく、女たちのすべて、あるいはその連帯なのだということが印象に残った。

そのほか、「ボリスはダメ男か?」「世界を変えるのに文学は有効なのか?」など興味深い論点が議題になっている。
また、邦題が決まるまでの経緯や、「本を届けるためにはテーマを絞る」といった担当編集者の話も参考になる。この本を読み終えたかたはぜひご覧ください。
(2023/03/08 2020/08/08付はてなブログ記事を加筆修正)

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