見出し画像

学校の勉強で答えは1つって教わったのに社会生活のなかでは答えなんて1つもない

学生の時に言われませんでしたか?答えは必ず教科書にあるって。

国 数 社 理 英 すべて教科書や文章問題に答えが隠されていると私たちは幼い頃から教育されます。国語に関しては この文の作者の気持ちを答えなさい。とかありますよね📖。気持ちなんて人それぞれ捉え方変わるんだから作者の気持ちになんて寄り添えないよって心の中で学生時代先生に反抗してました。

実際社会では誰も正解なんて知らないんですよね。相手の考えてることの答えもわからないし、何通りあるかなんて想像もつかない。提案が答えではないし。

答えは1つじゃないんですよ。じゃあなぜ私たちは幼い頃から答えは一つって言われながら教育を受けてきたのでしょうか?

私は都合のいい 誰にも迷惑をかけない大人に仕上げる為なのではないかと考えます。


なぜ私たちには義務教育があるのでしょうか?あとみんながみんな自由な発想をすると、

まとめる人が大変だから

なのではないかと考えてしまいます。

義務教育で周りに迷惑をかけない人間に育て上げることで、みんな言うことを聞くロボットに仕上られてるんじゃないかって。

ハワイでは投資者を作るのに対して日本は労働者を作るって言われたこともあります。

誰かの下で働く。誰かの言いなりになって自分の考えは述べない。答えは一つだから、周りと違ったら何が違ったのか 考えさせられる。

そんな国なんです。

なのに、社会に出たら営業に行ったりすると答えは1つじゃない。柔軟な頭を使えと言われます。そんなこと言っても私たちの義務教育は柔軟な頭を使うよりはみんな一緒、秩序、行動を乱すな。と労働者を作り出しているんです。

矛盾してるなマジでって思ったのでnoteに書かせてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?