東京日朝焼肉大戦争血風録(10)
舞台は再び朝鮮大学校に戻る。陽気な音楽が流れだす。「統一列車は走る」という音楽の軽快なメロディが流れ始めると、異端児も笑顔の男も老人も女性も立ち上がり、七輪も焼肉も置き去りにして電車ごっこの列を作り、キャンパスをうねうねと蛇のように自由に走り回る。
朝鮮大学校のイベントの大団円、終わりが近づいた瞬間だ。ぼくは校舎の2階の廊下からそれを眺める。
日朝友好関係のイベントの最後は必ずこれで締めくくられる。日本人の参加者も在日コリアンも、大人も子どもも若者も、うねうねと電車ごっこを続ける。底抜けの笑顔で。野放図に。走り回る。
それは悲しき輪舞である。ぼくはその列には加わらない。
いったい何年この大団円は続いているのだろう。マンネリとまでは言わないが、実際に統一列車はいつまでも走らない。分断は続く。もう半世紀以上も。それを一瞬忘れるための輪舞。それを想うと胸が痛くなるのだ。
10数分の輪舞が終わり、司会が散会を告げる。正門で別れ際異端児が握手を求めてきた。「焼肉はやっぱり屋根の下…」首を振りぼくの会話を押しとどめる。「今日は来てくれてありがとうな」。笑顔の男が「ソンベ(先輩)、一杯やりましょう」と異端児を誘う。「最終の新幹線で帰るか」と異端児が笑う。痩せた男は学生と話している。会釈を返した。老人はタクシーに乗っていた。窓を開け「日本の記者さん。今日は楽しかったよ」と笑う。ぼくは一礼した。
「朝鮮大学校は全寮制でね。4年間ずっと一緒なのよ。だから縁が深くなり、全国に親友がいるようなものなのよ。あのふたりは大阪。わたしは仙台から。今日は同窓会みたいなものなの」。女性が笑顔でそう教えてくれた。では、とぼくは手を上げると「おう!」と異端児が大きく手をふる。みんな笑顔で見送ってくれた。ぼくたちは名乗らず別れた。
数日後、ぼくはA子と会った。朝鮮大学校の焼肉の話をすると、明らかにA子の顔が不機嫌そうに変わった。
「つまり、わたしは間違っていたということですね」。ぼくが首を傾げると「わたしは店にこだわり過ぎました。野外で焼肉。しかも大学って学び舎ですよね。そこで焼肉なんて、いったいどういう発想なの…。考えもつかなかった」。呻くように呟くA子。「ぼくたち日本人には想像すらつかない世界があるということだよ」。とぼくは会話を引き取った。
A子がキッとこちらを見た。「北岡さんはそれを堪能したわけですよね」。気まずく頷くと「ジャーナリストとしての矜持はそこにあるのですか」と畳みかける。「取材元からすっかりごちそうになって、いい思いして、それでもジャーナリストなのですか」。
「待てよ。別にごちそうになったからと言って、記事に手心を加えたわけではないよ」。A子は「悔しい!」と一言吐き捨てるようにいうと「どうやったらその焼肉を食べることが出来るのですか」という。「朝鮮学校のイベントに行ったら、たいがい外で焼き肉やってるはず」「本当ですか」「たぶん。ま、今度、今度いっしょに行こうな。連れて行くよ、な」。
ここにひとつの戦いが終わった。
だが残念なことに、何度かチャンスはあったのだがお互いの仕事の都合が合わず、またコロナ渦で野外で焼肉は行われなくなってしまった。A子の宿願はいつ叶うのだろうか。
東京の朝鮮大学校を舞台にした戦いはここでおしまい。だが、ぼくは既に次の戦いに巻き込まれていたのである。そんなことは知る由もなかった。
つづく
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