北朝鮮に日本はない#4 アディショナルタイムは少ない
「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」(河井雄司氏著 講談社現代新書)を興味深く読んだ。失意と共に。余りの内容に三島由紀夫ならずとも「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない」と呟きたくもなる。
日朝関係も同様である。アントニオ猪木氏が現在77歳。国会議員の立場で何度も訪朝した貴重な存在だったがついに政界を引退した。猪木氏は北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国でも評価が高かった。猪木氏は朝鮮総聯の行事や、朝鮮学校などで行われるイベントにもよく顔を出していてぼくも取材先でよく見かけた。特異なキャラクターが強調されるが基本的にマメ。そして詳細は後述するが、猪木氏と北朝鮮の親和性は高い。北朝鮮の勘所をつかむのが実に上手なのだ。また、在日コリアン関係のイベントや、昨年夜会で見たのは初鹿明博衆議院議員。残念ながらスキャンダルで無所属になってしまった。
年間訪朝者数が数百名とまず絶対数が少ないことに加えて、訪朝団を編成するような日朝交流団体を見て思うのは10年後が怖いということだ。現在43歳のぼくが若手。訪朝団も60代、70代が核で80代もいる。このままでは10年後には体力的問題から、訪朝団を組み訪朝出来る人はがくんと減るだろう。在日コリアン側もこれは同じだ。日本全体の少子化の波は、在日コリアン側も同様。ともかく若者の絶対数が少ないのだ。
局地的には日本の若い人の関心も高まり特に北朝鮮への旅行関係の交流イベントが開かれ、大学生による訪朝、交流も行われているなど小さな希望を見出せる話題も聞く。北朝鮮を観光で訪れたり、関心を持つ若者も増えたというが、そもそも日本全体の若者の数が少ないうえにその関心がかつての冬のソナタ、W杯共催を契機にした韓流ブームを彷彿とさせる朝流ムーブメントを起こせる規模になるとは到底思えない。毎年ぼくは大学で1年1回特別講師を務めている。「北朝鮮について初めて知りました」「とても面白かったです」と授業後に頂く感想は幸い、好意的なものが多いが、それが持続成長していく予感は正直ない。
議員レベルでも民間レベルでも、10年後には北朝鮮に関わる人材は激減するだろう。今でさえ少ないというのに。数ではなく質という向きもあるだろうが、果たして北朝鮮の勘所をつかみ渡り合える人材がどれだけいるか。おもねりや忖度、うわべだけの反省なら誰でも出来る。相手の弱点を分かった上で対等に交流できるか。それが出来なければ外交交渉、例えば拉致問題の解決など覚束ない。
この底流には北朝鮮の早期崩壊論がある。90年代。95年に金日成主席が亡くなり、ぼくが北朝鮮に関心を持ち始めたころ、北朝鮮はまさに早期崩壊すると信じられていた。クーデターや経済危機などを理由に。しかし、2020年現在も北朝鮮は存在している。金正日総書記、金正恩委員長とトップは変わったものの。
国交もないし、変わった国だし(それはあくまで、日本から見てということだが)、日本人を拉致するとんでもない国。そしてどうせ早期崩壊、瓦解するから相手に対して関係を作る必要などない。とんでもない国だからまともな関係を作るならその崩壊後に考えればよい。そうやって約20年間鼻をつまみ目を逸らし、あるいは揶揄し消費し無視し通り過ぎてきたのだ。
だがその間に北朝鮮は核実験を重ね、ついに核保有国であると宣言した。飛翔体実験も相次ぎ明確な日本の脅威として存在するようになった。拉致問題は解決はもちろん、ろくに交渉すら進まないまま時間だけが過ぎた。普段の暮らしなら厄介な隣人がいれば、引っ越せば済むが残念ながら国の引越しは出来ない。厄介な隣人への交渉ツールは現状ほとんどなく、関わる人材はどんどん少なくなっていく。脅威を希釈する術がない。
個人的なことを書くなら、北朝鮮に関心があるというと「工作員?」「怪しい奴だ」と蔑視される現状に辟易している。ぼく個人のパーソナリティに問題がありよく言えば個性的で独特、はっきり言えば執着的でオタク的な怪しさを醸し出していることは自分でも大いに認める。だがこの国について語る時に「どうせ北朝鮮でしょ」とフィルタをかけ、別に特別に尊重する必要はないにせよ、少なくとも早期崩壊せず現在存在する、世界に約190か国あるうちのひとつの国として冷静に見る視座が欠けているのは問題ではないか。
アディショナルタイムは少ない。フィールドに立つ選手はどんどん少なくなり、残った選手も足をつったり引きずったり満身創痍だ。倒れ込んでいる選手もいる。けれどゲームは続く。不幸なことに。
■ 北のHow to その17
少子化の影響は様々なところに出ているが、日朝関係にも出ている。逆に捉えればこの世界に若いうちに関われば、時間が経てば貴重な存在となれる。
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