愛の不時着とはまた別の不時着の話
あなたが往来を歩いていて、明らかに挙動のおかしな人が視界に入ったとしよう。どこか精神疾患的な雰囲気を醸し出していて、何か意味不明なことを叫んではいるが、暴力的なことはとりあえずしそうにない。そんなやっかいな存在を前にしたら、そそくさと踵を返しどこか他の道を選ぶ。あるいは目を逸らし、大きくさけて早足に去る。そういう人が多くないだろうか。
「愛の不時着」が豊かに描き出したのは北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国の人たち、いわゆる最高尊厳と呼ばれる金日成、金正日、金正恩委員長以外の、市井の人々の心温まるエピソードであったが、日本人であるぼくらはもちろん、韓国人にとってもそれは衝撃的な内容ではなかったか。韓国にとって北朝鮮は主敵であり、また休戦中とはいえ戦争の相手なのだから。
韓国のある世代以上の方はいう。「北朝鮮の人には頭に角が生えていると信じていた」と。半ば本気で。当然、今は信じていないが。
90年代に日本の大学に、1年間留学に来た韓国人留学生が教えてくれた。日本に来る前に韓国で研修があったというのだ。その研修で日本に行っても例えば朝鮮総聯の職員や、親北朝鮮の立場をとる在日コリアンと接触してはならないと厳しく言われたそうな。
でもいざ日本に来たら「北朝鮮は面白い」と騒ぐ日本人、つまりぼくがいたのだからいい迷惑だっただろう。申し訳ない、と思うがしょうがない。
しかし当時学生ながらに不思議に思ったのは、いわゆる北朝鮮本を当時数多く読んでいたぼくが知っていることを、意外と韓国人の先生や韓国人留学生の方が知らないことで、主敵に対しそこまで無関心で、韓国は大丈夫なのかなと感じた。
今ならわかる。先の研修のような反共教育、反北朝鮮の教育はたっぷり受けたのだろう。角が生えている、というのはオーバー過ぎるが、どれだけ北の人が怖く、また憎悪すべき存在であったかについては。
また韓国には国家保安法という法律の壁がある。Wikipediaから引っ張ってみた。
反国家団体の構成(第3条)、及びに反国家活動の遂行(第4条)。
反国家団体への自発的な支援とこれへの金品授受(第5条)
これを称賛・鼓舞する行為(第7条)。
反国家団体構成員(北朝鮮のスパイなど)の韓国内潜入・脱出(第6条)
反国家団体構成員との会合・通信(第8条)。
これへの便宜供与行為(第9条)。
その存在など国家保安法違反の状況を知りながら当局に通報しなかった行為(不告知罪;第10条)。
反国家団体とはいわゆる北朝鮮及び、それを支持する団体と考えてもらえればよい。
北朝鮮に関わることに対して法律があるのである。当然それを破ればペナルティがあり、また周りの眼も全然違って来る。例えば空腹に耐えかねパンを盗んだと窃盗と、国家保安法違反は全然意味が違う。
当然、法律に触れるややこしい存在については、触らぬ神に祟りなしの姿勢を貫くに越したことはない。ぼくたちでいうところの往来の不審者や、いわゆる反社会勢力の面々に対する態度と同じだ。危ないことは明白。関わり合いにならないことがベスト。関心を持たないことがひとつの予防線となる。出来るだけ遠くに離れて関わらないに越したことはない。
さて「愛の不時着」である。繰り返すが、このドラマは北朝鮮の心温まる日常のある一面を描き出した。そこは評価したい。だが、心温まる一面が北朝鮮の全てではないということを、ドラマの中では忘れがちである。
相変わらずNetflixでは人気が続いている。ぼくの周りでも話題にのぼることが増えた。「北朝鮮はヤバい国だけど、『愛の不時着』はエンタメでしょ。面白かった」と言われて困惑した。こうしてスイーツは別腹、みたいに言われると困るのだ。
愛情の反対は無関心とはマザー・テレサのことばだが、南北間、日朝間には多くの問題がある。全くの無警戒、無関心であることも困るのだが、おかしな愛情のフィルタを持ってみるのもまた困る。あくまで「愛の不時着」は北朝鮮の持つ多面性のひとつとして冷静に見なければと思うのだ。
また「不時着ファン」をまとめ、アジテーションする存在が若干ながらいる。そういう存在は必ず現れる。「愛の不時着」をとっかかりに、政治的な活動に関わらせ、おかしな方向に誘導する輩が。ヒョンビンかっこいい!と言っているうちはまだいいが、深入りすると、自分の意図したところとは全然違うところにいる可能性がある。
かつて「冬のソナタ」が大ブームだったころは「冬ソナをみんなで見る」ことを主目的に、集まった主婦層を引きずり込む新興宗教団体があったと聞いた。泣けるドラマで共鳴出来る仲間を、ソウルメイトと勘違いしてしまう。とかくドラマでも人生でも”不時着”には気をつけたい。ドラマに限らず、何か熱狂、ブームが始まったと感じた時は少し距離を置く。そこに集まるのは、純粋なファンだけではない。数少ない、ぼくが人生で得た教訓である。
■ 北のHow to その73
私淑しているある方から「冬ソナをみんなで見る」ことを目的に集まり、集まった人たちを勧誘していた宗教団体があると聞いたことがありました。またよど号メンバーの妻の手記などを読むと、朝鮮映画を見る会に誘われたというのが、全てのきっかけだったという話もありました。ひとつのドラマ、映画をみんなで見て共感する。それはソウルメイトを得たような感覚になり、その団体から離れられなくなる。そういうことが無いように、熱狂の渦中にいる時こそ、冷静さを失いたくないものです。
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