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平壌の夜のパレードとたばこと星空

 朝鮮労働党75周年では夜のパレードが開かれた。金正恩委員長は時に言葉を詰まらせながら何度も「ありがとう」を繰り返し、勇壮な軍用車と兵士の行進が続き、未知の兵器がのっそりとその姿を現した。

 金日成広場は石畳だが、石畳には無数のしるしがある。いわば記号の海なのだが、一糸乱れぬ行進のわけがそこに描かれている。

 北京を経て平壌に来ると空の青さに気付かされる。実際に紙のプリントが主流だった時代、帰国後フィルムを写真店でプリントすると、北京から平壌に移ったところで決まって驚かされた。「あれ?やけに青が鮮やかに出ていないか」と首をかしげる。それだけ空がきれいなのだ。

 およそ世界の首都と呼ばれる都市のほぼすべてが夜を失って久しい。不夜城ということばももはやその意味を失った。コンビニ化する世界とその夜。ネオンサインと車列の光の洪水は、繁栄の対価として星と深い夜を奪ったのだ。だが多くの人はそれを顧みようとしない。

 平壌で行われた真夜中のパレードに、ぼくは危惧を抱いた。また平壌も、星と深い夜を奪われるまま、なされるままなのかと。

 数年前、平壌の普通江ホテルでその日の報告書を書き終えた。行きつけのホテルのバーに行く前に、たばこを吸おうと思った。ホテルの正面玄関に行くと寝ずの番をしているポーターが笑顔を向けて来た。

「火を、ちょっと」。たばこを指の間に挟み、くいっと口の高さまで上げるとポーターは全てを察した様子でポケットを探る。交替で仮眠をとっていたもうひとりのポーターが詰所から出て来て大きなあくびをした。

「眠い?」と聞くと「眠いですよぅ」と嘆く。外国人を前に想像以上に油断している。「ま、いっしょにやろうよ」たばこをふたりにも勧め、火を借りる。並んで3人でたばこを吸った。

「先生さま、何をしに来ましたか」。火を貸してくれたポーターに「星を見に来たのだ」と答えると、その答えがきざったらしく聞こえたか、それとも外国人が口にするには意外な答えだったか、ふたりは大笑いしたのだった。

「笑うなよお。星、きれいじゃん。平壌の空、いいじゃん」というと彼らも天を見上げた。「確かにきれいですね」と、たった今気づいたようにひとりが頷く。「きれいだなぁ」。もうひとりが、眠気の取りきれない声でぼんやり呟いた。日本人と朝鮮人、男3人で空を見上げる姿は、何だかおかしかった。「出来ればきれいな女の子と星は見るものだよねぇ」というと「そうだそうだ」とふたりはまた笑った。

 ちりちりとたばこが燃える音がする。それくらい平壌の夜は静かだった。確かにまだその時、平壌は夜を明け渡していなかった。

 それからぼくたちはいくつかのくだらない会話を交わし(それはまた、改めて書く)、バーに向かうぼくはふたりのポーターに、今生の別れのように大げさに手をふって別れた。彼らもまた笑い、大きく手をふり返して来た。

 ホテルの廊下は相変わらず静かだ。直角に曲がる廊下の角に寝ずの番の職員がいて顔を上げる。何か本を読みながらノートに書いている。「学習?」と聞くと「そうです」という。「頑張りなよ」というと笑顔を浮かべ「部屋に帰るのですか」という彼に「ちょっとバーに寄るよ」と答える。廊下の奥に木の扉が見える。行きつけのバー「銀河水」。木の扉は意外と軽く薄く、近づくと扉の奥から笑い声が聞こえて来た。

 エジプト人の友人か、ヨーロッパから来たぼくのような酔狂な観光客が既にいるのだろう。ぼくは扉に手をかけた。

■ 北のHow to その87
 明日は党創建記念日。75周年を迎えました。深夜のパレードとは意外でした。
 平壌に行くことがあったら、ぜひ空を見上げてください。驚くほど空は澄んでいて、驚くほどの星が光っています。空が降って来るような、漆黒の闇。革命の首都は未だ、夜を奪われていません。身体の奥にある生物の基本的な恐怖心がぴくりと動く気配がします。

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