5回精神科に入院したJKの話②

今回は私が精神病院に入院することになった経緯や、精神病と診断される前はどのように過ごしていたのかについて書いていけたらと思います。長い文章とはなっていますが、読んで頂けたら幸いです。

私は元々高校2年生の夏に通信制高校に転校するまでは、中学受験をして入った中高一貫の女子校に通っていました。女子校というと怖いイメージを持たれる方も多いかもしれませんが、女子しかいないと案外平和だったりもして過ごしやすかったです。なので私の場合は学校の人間関係のせいで退学したわけではなく、自己都合での退学です。今でもその学校の友達とは連絡を取ったり会ったりすることもあります。

先程中学受験をしたと書いたのですが、私は小学校5年生の頃からいわゆる中学受験塾に通い中学受験をしました。中学受験をするきっかけとなったのは主に親の強い勧めなのですが、私自身小学校の学年が上がるにつれクラスに馴染めなかったり人と上手く関われない辛さなどがあったので決断した面も大きいと思っています。
私の両親は元々教育熱心でした。両親揃って大学を出ていることもあり、小さな頃から様々な音楽や芸術等に触れる日々、今考えればそこまで苦しくもない気もしますが、当時幼かった私にはそれらのことが大変苦痛でした。興味のない美術館やクラシックのコンサートに連れて行かれ、家ではドリルなどを解かされる日々。
習い事のピアノに関しては母親が厳しく、毎日のように怒られながら家で練習をしていました。今はそんなこともないのですが、当時の母親は私が思い通りにならないと手を上げる癖があり、また辛い言葉も散々吐かれてきました。
ドリルや計算に関しては父親が厳しく、怒鳴られたり休日にも関わらず問題を解けるまで何もさせてもらえない等縛りが多かったです。
ここには書き切れないのですが、そのようなことが他にも多々あったため、私はちゃんと甘えることのできる幼少期ではありませんでした。

周りの子の間では当時3DSというゲーム機が流行っていたのですが、私はそれも家の方針で買ってもらえないなど、少し周りの流行りについていけないところもありました。またクラスメイトと喧嘩した際に普段親に言われているような言葉を吐いたところクラスメイトが大泣きしてしまい、自分が普段言われている言葉は暴言だったと知る等、少し周りから感覚がずれていたこともあり私はどんどん小学校で孤立していきました。

少し話がずれましたがこのような経緯で私は中学受験をすることを決め、私自身の第一志望である学校には合格することができました。中学校に入ると、周りは勉強ができる子だらけなので思うように成績は上がらず、慣れない電車通学もあり毎日クタクタの日々。私なりには頑張っていたつもりなのですが親との関係は良くならず、入学して3ヶ月ほどして私は学校のカウンセリングルームに通うようになりました。最初は学校のメンタルアンケートのようなもので引っかかり呼び出されたのがきっかけでしたが、私が退学する寸前までお世話になった大好きなカウンセラーさんとも出会うことができるなど、私にとっての居場所でした。中学1年生の頃はそのようにして学校の放課後に月1程度でカウンセリングルームに通うなどしていました。
中学2年生の春、私の通っていた中学校の附属の小学校で事件が起きました。附属の小学校のスクールバスを待っている生徒や保護者、計20人が男によって刺され2人死者を出し、また犯人の男は事件現場で自殺したというものです。事件の詳細は書きませんが、当時全国ニュースで報道されるなどとても大きな事件でした。その日いつものように登校しようとしていた私は運悪くその事件現場に遭遇してしまい、実際に刺されて怪我した子やその周りの状況等を見てしまいました。それからしばらく食事も喉を通らず外に出ることも怖くなり、今でもフラッシュバックの原因の1つとなっています。その事件があってからも学校には通わなければいけなかったのですが、その頃から次第に学校を休みがちになりました。
そんな中学2年生の冬、新型コロナウイルスが流行した影響で学校は突然休校になり授業は全てオンライン授業に変更、そのまま1度も学校に行かず中学3年生を迎えることとなりました。
中学3年生になってもコロナウイルスの影響でオンライン授業は続き、学校は再開せず、外にも自由に出掛けられず、両親も在宅する機会が多くなりました。ワンフロアのマンションに1日中家族3人。最初は良いように思えた生活でしたが、徐々に些細なことでの言い争いなどが増え、ストレスが溜まり、私は1ヶ月で体重が6kg落ちるまでになっていました。
そんな中私の学校では夏休み前のテストのみ登校が許可され、テストを受けることに。久しぶりの友達との再会に喜んでいたのも束の間。テスト問題を解き始めた途端、テストの結果が悪くて親に怒鳴られらどうしようという考えに頭を支配され、私はテスト中に過呼吸を起こしてしまい途中退出してしまいました。そこで保健室の先生に今までの経緯を話し、カウンセリングルームのカウンセラーや担任の先生と連携してもらった結果、児相に電話したらどうかという話になり、私は児相に行くことになりました。児相にお世話になりましたが、そのときの私は精神的に限界で自傷行為を既にしてしまっていたため、精神科の受診を決意。最初は近所の入院施設のない小さな精神科に通っていましたが、親との関係が険悪であったり日に日に病状が重くなっていたことなどから、診断と紹介状を貰い私は入院に至りました。

ここまで駆け足で説明したものの長文になってしまってすみません。私の場合は幼少期からのストレスやトラウマがあり元々精神不安定だったところに様々な環境的要因が重なって入院に至りました。
人それぞれ入院に至った経緯は様々だと思いますが、私の場合はこのような経緯だったということを書かせて頂きました。細かい部分や詳細についてはまた更新して行けたらと思うのでよろしくお願い致します。
最後まで読んで頂きありがとうございます。

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