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理解は同じ経験があるから



はじめに

障害や生きづさを感じていると、どうしても他人に理解をしてほしいという考えになってしまいますよね。
何故、そうした思いになるのでしょう?
辛い気持ちや思いを自身だけでは処理しきれない思いが溢れるからです。
最初は聞いてくれるだけでよかったことが、理解して欲しいと変わるのことがあります。
そもそもなぜ理解をこれほど求めてしまうのでしょうか?

1.幼少期に教わるから

子供のに、両親や教師から「相手の事を思いやりなさい、相手の立場に立って考えなさい」と言われませんでしたか?
実際に言われても正直意味が分からなかったのではないでしょうか?
でも、なんとなくそういうことで人を思いやったり考えて行動するということを学んできたと思います。

2.同じ目的があっても

学校、塾、クラブ活動などを振返ってみると気がつくかもしれません。
学校でも、塾でも、クラブ活動でも必ずグループができませんでしたか?

例えば
気が合う人、趣味、興味が合う人で分かれます。しかし、全部その人を理解できたかと言われたら実際どうでしょう?
クラブ活動では、声を出しなさい、話し合いなさいと言われます。
このように、同じ目的をもっていても相手を理解することはとても難しいということです。

代表的な言葉

● 解ってくれている思っていたのに
 ▶ 云ってくれたらよかったのに
● 察して欲しかった
 ▶ 言ってくれなければ分らない
このようなケンカが起きますよね。
これらは、家族関係でも同じと言えます。

私たちは、経験や知識のないことを理解するには難しいということです。
たとえ、経験者だからといって全部を理解することは難しく、自分と相手とでは同じ考えや思いにいたるとは限らないのです。

3.理解して欲しいよりも

障害も同じで、障害や生きづらさを他者に理解して先に何かを求めてしまうことは自分も周りの人も辛い状況になってしまいます。
自分と相手とは違うということ、同じ障害でも人が変われば違いがあります。まずは、自分の障害を自身で理解し、自身で補えることは補い、難しいところを自身で伝えられる人になること。
また、協力してもらえる人をつくることが自身を守りながら生活していけるということにつながります。


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