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【SF小説】ぷるぷるパンク - 第14話❸ 物質化

2,475文字4分

●2036/ 06/ 21/ 18:50/ 管理区域内・平泉寺邸・工場内倉庫
 
 狭苦しい完全な闇の中、PFCスーツ越しではあるけれど、双子の身体の熱さと柔らかさを文字通り肌で感じる。平泉寺さんが言っていたようにすぐにボックスの底に生暖かい液体が広がり出した。そろそろと水位を上げる溶液が少しくすぐったい。双子が同時にびくんとする。
 
 ノースの手ががさごそと探るようにぼくの手を探し、それが見つかると安心したように、強く握って来た。逆の手はサウスの手を探していたようで、すぐにサウスが声を出した。
「アラシカの手はどこ?」
 お互いにガサゴソ探って、手をみつけると、三人は祈るように指を組んだ。両手からも双子の熱が伝わってくることになった。液体は徐々に水位を上げている。腰をすぎ、両手がPFC溶液に浸かった。PFCは生温くて、思っていたよりも粘度が高かった。
 溶液がぼくらのへそをすぎ、胸の辺りをすぎると、双子が再びびくんとして、ノースはぼくの右手を強く握った。水位は上がり続け喉元へ。分かってはいても、息を止めてしまう。溶液は鼻を隠し、瞑った目を通り過ぎて、ボックスの蓋に着いている頭まで届き、全てを覆ってしまった。
 
 ぼくは息を止めていることができなくなって、咳き込んでしまう。一瞬水を飲む感覚に溺れそうになってしまったけれど、すぐに溶液のなかでもそのまま呼吸ができることがわかった。平泉寺さんの言った通りだ。
 肺の細胞があっという間にPFC溶液で満たされると、金木犀の匂い、というよりも味が強くするようになった。ぼくらはそれぞれ握っていた手を離して自分の顔や身体を確かめる。ちゃんと液体の中だ。おそるおそる目を開けてみると、暗闇に変化はないけど、ちゃんと目を開けることができている。
「すごいね。」といったぼくの声は、声帯がうまく震えないからちゃんとした音にはならなかった。
 コンタクトを通せばメッセージが送れるかもしれないと考えたが、暗闇の中でどうにも操作ができなかった。
 
 おそらく時刻通りに、貨物車両がやってきた。外の音は全く聞こえなかったけれど、底面に金属が当たるような音がボックスの中に鈍く響いて、ボックスがゆっくりと持ち上がった。音のない世界に戻った後、車の振動だけが伝わって胃のあたりが気持ち悪い。船酔いはこんな感じだろうか。
 
 少し時間が経って、溶液に満たされた状態に慣れてくると、眠りに落ちる直前のような、体がぽかぽかするような、不思議な気持ちのよさに襲われた。眠ってしまうかと思ったけれど、何故だか頭はすっきりと冴えていた。
 双子が暗闇と液体の中で身体を確かめ合っているのか、もぞもぞとうごいて、時々びくんとなっていた。何やってんだか。サウスはハヤトチリで一人の面を取ったけど、角がある方が楽だな、と思った。ぼくは角に寄りかかって、双子の動きを感じていたけど、しばらくすると双子も飽きたのか、静かになった。
 
「世界を救う。」
 ぼくは心の中でその言葉、その響きを繰り返す。ぼくはただ、双子に遅れをとりたくないだけだった。足手纏いになりたくない。そして、ただみんなに誇れるくらい『ちゃんと』普通に生きてみたいだけだった。
 ささやかに一生懸命いきることが、今や、ささやかに世界を救うことになってしまった。
 
 たとえ、ぼくらが失敗しても、人類は滅びない。滅びないし、表面上は何も変わらない。世界はこれまで通りに痩せていくだけだ。だけど、「世界を救う」という響きの火種が、ぼくの胸の中で今は燃え上がって、ボックスの天井を焦がしてしまいそうなほどだ。
 世界の中心に向かうPFCに満たされたキューブの中で叫ぶ。
「うおおおおおおおおお! やってやるよ! 『ちゃんと』世界を救ってやる! おれは、正義の味方。そう、九頭竜荒鹿だ!」
 ぼくの言葉はうまく声にならずに声帯の気味の悪い振動が、もごもごとPFC溶液を揺らした。ノースの暖かい手がぼくの膝頭に触れた。
 
●2036/ 06/ 21/ 21:15/ AG-0 浸透プール/ポイントP3
 
 どれくらい時間が経ったのだろう。ボックスの蓋が開くとそこはPFC溶液で満たされた大きな空間だった。銀の卵の外径にあわせた広い楕円柱で、遥か天井にゆらめく青白いの光までは何十メートルかありそうだった。
 
 床面に一方の端を固定された真っ白なプローブの束が、海底で揺れる海藻のように揺らめいている。ぼくらが蓋の空いたボックスから浮き上がると、ボックスは分解され、6枚の正方形の板になり、床面に収納された。時刻は21:15。ポイントP3での合流まであと15分。
 
 三人は身体をくねらせて泳いぐように上昇した。
 
 耽美な双子の身体の曲線を露わにするPFCスーツの素材がPFC溶液に反応し、その輪郭はくしゃくしゃのホログラムペーパーのようにきらきらと柔らかく発光していた。
 透明なジェル状の溶液が遠い天井の照明をまどろみのように絡ませて、その中をじゃれ合いながら泳ぐ双子は人魚の群のように神々しくて、圧倒的に美しかった。

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 ようやく水面に上がり、プラスチックの細かい滑り止めがついたプールサイドのような床で、平泉寺さんに言われたように鼻を摘み、耳抜きをする頬を膨らまして息を耳に送るようにしてやると、その勢いで肺から逆流した溶液が吐瀉物のよう口から飛び出した。
 
「あ、あ」サウスが声帯を確認した。
「気持ちよかったね。」ノースがぼくを見て言った。温泉から上がったばかりのようなつるつる肌で、どこかすっきりしたような表情だった。
「さあ、行こう」ぼくが言い終わる前にサウスが先頭を歩き出した。
 
 壁にセンサーの出っ張りを見つけ、サウスが網膜をスキャンさせると、芦原さんや平泉寺さんの部屋のように、何もない金属の壁が音もなく上下に開いた。
 
 ポイントP3。ドアの外に背を向けて立っていた平泉寺さんが振り向いた。
 
 計画通りにそれぞれが左の手のひらに小さな銀河を広げる。PFC溶液に浸かっていたからなのか、それぞれの手から出た光の粒で構成される小さな銀河は金色だった。
 
 ぼくらは静かに、しかし堂々とアートマンに変身した。


 つづく


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