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悩むよりも考えて過ごす方が有意義

最近は悩むことが少なくなった。

「どうしよう」「困ったな」ということは多々あるし、よく口にする。しかし悩むというほどの大袈裟なものではない。

大人になるにつれある程度の経験を積んでいるから、過去の事例をもとに判断できることが増えるのもある。

壁が多いのが人生ではある

生きていれば、正直、悩むべきことの連続である。

大きな選択、小さな選択、毎日なにか取捨選択しながら進むのが人生だ。

新しいことに挑戦すれば今までにない出来事が起きて、どうすればいいかさっぱり分からないこともある。

壁にぶつかれば試行錯誤を繰り返すだろうし、そのまま続けていいのか、新たな方法を探るのか、はたまた別の道へ行くのかと悩むだろう。悩むべきだ。

しかし、自分の気持ちを問う方向に悩んでしまうと、堂々巡りでなかなか答えが見つからない。

そこで悩みすぎると、生活に支障が出たりするのでほどほどにする必要はある。

悩むより考えて過ごす

悩むというのは結論が出せずに苦悩することなのだが、それは「考える」に置き換えればよいと思う。

結論を出せないことが結論でいいこともある。

少なくとも、あらゆる想定を考え尽くせばそれなりの達成感が得られる。

何かを決めなければならない場合も、決断のその日が来るまではひとつに絞り込まずに置いていて問題ない。

これを選ぶとこんなデメリットメリットがある。そう分かっていることが重要だろう。

少し時間が経てば状況や自分の考えが変わって新しい案を思いつくかもしれない。

ただただ無駄に、冷静に考えることなく「どうしよう」と言っているのでは時間も精神も消耗するだろう。

そして、決断のタイムリットが訪れたら、どうせ何かを選ばなければならないのである。

鬱々とした日を過ごすだけなら、もはや悩まず考えず当日に直感で決めてしまえば良いとさえ思うほどだ。

※タイムリミットがない場合、「あの時やっておけばよかった」と後悔する様子がしばしば散見される。これが「やらない後悔よりやる後悔」というやつなので、自分の意志があることはやるべきだろう。

自分の意思で決めている

結局のところ、悩む選択をしているのも自分である。

最後に森博嗣さんの言葉を引用しておく。

「何かに悩んでいる人は、解決策を知らないのではなく、最良の解決策を面倒でしたくないだけだ」
(「臨機応答・変問自在」(2001)森博嗣 集英社 112頁)

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