茶化す人たちは何を怖がっているのか
私はとても真面目だ。
努力家ではないので以前は「真面目ではない」と思っていたが、様々な人を見る中で自分との差を感じる事が増え、私はとても真剣に生きていることを認識した。
「真剣」のベクトルが違うだけかもしれないので、他者が真剣でないとは言わない。
きっと私は真面目な上に感傷的なのだと思う。
いたむ気持ち
鳥飛び回りし姿
自由だなんて嘘だ
過酷な空を背負って
生きてんだなんて
痛むこと面倒だなんて云って
本当はどうにかはしたいんだろう
とても大好きな歌詞で、まさに私はこう思っている。
格好つけているのかなんなのか、スカした態度を取る人は多い。
私が普段はわざわざ取り沙汰されることがないけれど大切なことについて話そうとすると、彼女らは
「そんなこと考えてるの?」
と面倒そうにして、どうだっていいじゃんと投げる。
茶化して面白がることも多い。
ひどい場合は馬鹿にした態度を取って見せる人さえいる。
けれど、そうやって面倒そうな態度をとっている人もきっと心の中では「いたむ気持ち」をきちんともっているはずだと私は信じているのだ。
目に付く情報
SNSをしていても「夢に向かって真剣に努力する人を馬鹿にするな」という内容をよく見かける。
たくさんの反応があってよく伸びているし、それはつまり共感する人がおおいということだ。
「夢に向かって努力する」
ここに意味があるのだろうか?
いや、ここは何に置き換わってもいいはずだ。
傲り高ぶっているような人ならまだしも、真剣な態度で臨んでいる人を馬鹿にしていい理由はない。どんな場合であっても。
本当の本当の世界はどうだろう
だから、そうやって真剣な姿を茶化したり馬鹿にする人たちは、なぜそんな態度になるのか甚だ疑問である。
自分が真剣に取り組んでいたことを馬鹿にされてから、そうした真面目な姿を隠すようになったのだろうか。同じことを他人にしてしまっているのだろうか。
そうした負の連鎖があるのだとしたら、断ち切らなければならない。
と、これが私が真剣かつ「みんなも同じようにいたむ心を持っているはず」と信じているからこその思考だ。
シンプルに「難しいことなんて考えない。自分が良ければいい。」そういう人がたくさんいるのが現実なんだろうな。
いずれにしても、誰かを貶めたり貶したりする人が少しでも少なくなることを願っている。
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