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恋愛感情は論理的に話せない

最近はなかなか友人と集まって話す機会がなくなっているが、女性で集まった場合、話題は基本的に「恋バナ」というやつである。

気になる人や、アプローチされた話、将来の人生設計、好みについて…etc.

いくらでも話していられるから不思議だ。

全然違った価値観・恋愛観を持っているのに、共感しながら話は盛り上がる。

恋愛観

私の恋愛に対する考えは、下記に近い。

恋の位置 The position of love on life
「男の人を好きになって、愛して、夢中になって、それが私の人生の主題であっても良い、とは思う。だけど、そのことはライフ・スタイルとは別ものでしょう? それは、物理学がライフ・スタイルと独立して存在する、独立した価値を持っているのと同じだと思う」
『恋恋蓮歩の演習』128頁
◉恋人にも、結婚相手にも、いかに信頼し、愛し合っている人にでも、これだけは干渉されたくないという領域を持つことは、人間として大切なことだと思う。
(「君の夢 僕の思考 You will dream while I think」 森博嗣 講談社文庫  52〜53頁)


愛しくて仕方のない人に出会いたいと、ずっと願ってきた。

なりたい職業や目指す人物像なんかなくて、ただ綺麗に生きて大切な人に大切にされて暮らしたいと思ってきた。

最近は結婚に対してネガティブな意見が目立つし、一人遊びがしやすい世の中になって結婚願望も低下の一途。

その中で私は結婚や恋愛に対してかなりポジティブな(夢みがちな)イメージを抱いていると思う。

誰かを一心に愛したい願望がある。

自分を持つ

「誰かに夢中になる」のはすごく幸せなことだ。

「人生を捧げたい」とか「相手の望みを全部叶えたい」とか言う人もいる。

それほどの気持ちはきっと尊いなと思うけれど、私はさきほど引用したとおり、ライフスタイルと恋愛は別物だと思う。

一口に「愛する」といっても、方法はそれぞれである。相手のために変わる部分ももちろんあるだろうが、全く相手に染まるということはありえないし、すべきではない。

相手に伝わる方法で愛せること、相手の愛し方で自分が愛情を感じられること。

このあたりがきっと相性というやつだろう。

全てを投げ出す憧れ

私は感情的なので、論理武装している。

理屈に理屈を重ねて、「こうあるべきだ」と冷静に、しんどい思いをしないように。

「誰にも干渉されたくない領域」は私にもあるし、森博嗣さんのいうことには非常に共感している。

だけど、そんなもの関係ない!と全てを投げ出すような気持ちに憧れがあるのだ。

理屈を打ち崩すような強い感情を抱いてみたいし、抱かれたい。

きっと、そうした矛盾を抱え続けていくのだろう。恋愛なんてそんなものである。

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