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電脳記号の事件簿【1-1】

【1幕1場】


「女の虚栄心は、北風のせいだわ」と女。

「だから貴方が温めて、と君は色男を口説くのだね」と私。

 和服美人が、ソファーで棒付き飴を舐めていた。当たり前のように居座っている。もう30分はそうしていた。彼女は、事務所が生活圏のつもりでいる。

 背の高い女だ。細顔の、長い髪を櫛でまとめている。名前は猫島めいだ。黒い和服には金粉のあしらい。西洋の化粧をしている。金の小鞄を提げていた。

 彼女は記号的な美しさを意識している。猫島めいは、和服美人だ。

 昼間の探偵事務所で、私は合成ドリンクを飲んでいる。この薬品飲料は、違法でない。

 猫島めいは棒付き飴をポンと出した。小舌で唇を舐める。

「探偵さん。私を温めてよね。心が寒くて風邪をひくわ」

「なぜ冴えない貧乏探偵を口説くのさ」

「20歳までに貴方は、電脳事件を、何度も解決してみせたわ」

「もう2度と御免だよ。これまでは、他に選択肢がないので仕方なしだ」

 私は短髪だ。平凡な顔立ちで、精悍な印象だけは褒められている。机は、窓を背にしていた。私は、そこで合成ドリンクを飲む。格調高い背広を着ていた。

 女は棒付き飴を咥えて口角を上げた。

「相変わらずに怖がりね。劇的解決屋さん」

「その宣伝文句は、度が過ぎたから、辞めようか悩んでいる」

「残念ね。劇的解決は、暗闇に光が差すような響きだわ」

「電脳の暗闇まで依頼されるとは考えていなかったよ」

「貴方はやるときにやる男だわ。今回も、大丈夫よ」

「本題はそれかい」

 目つきで、用事があるのは理解していた。嫌な予感もある。私は努めて平然としていた。電脳事件は怖い。しかし、社会的地位を失うのも怖いのだ。

「女性を紹介したい。虚栄心が強い妹をもつの。妹さんの電脳記号を取り上げてほしい」

「電脳事件の依頼は、もう受けないよ」

「話だけは聞きなさいよ。それだけでもお金を払うわ」

「不思議だね。財閥令嬢とはいえど、財布が厚すぎないかい」

「女の秘密よ。100円札、6枚で払うわ。1ヶ月は暮らせるわよね」

 私は合成ドリンクを煽る。するとあと1口で飲み終える量だ。私はタフな人間で通している。弱音を吐くときも、暗に冗談交じりだ。しかし、弱音が本心のことも多い。

 私は不敵に笑ってみせた。

「話を聞くだけだ。依頼は断るよ」

「貴方は依頼を受けるわよ。もう界隈の人間だもの」

 女は自信に溢れていた。恐らく私のように演技ではない。

「ジンクスに不幸あれ」と私の本心。

 私はグラスを掲げる。飲み干した。

「外で持たせているからすぐに話を聞いてちょうだい」

「人を待たせながら30分もいたのかい」

「女の生活スタイルには、情感が必要だもの」

 猫島めいは鼻で笑うと、ソファーから立ち上がる。私の机に歩み寄る。机の上に、尻を乗せた。挑発的に微笑む。私へ手を伸ばした。彼女の掌は、私の手間で方向を変える。

 彼女は、事務所の扉へ、掌でジェスチャーをした。ベルを鳴らす動作記号だ。

 ベルが鳴ると扉はノックされた。私は「どうぞ」と告げる。猫島めいは机から降りた。彼女は、私の後ろで窓辺に腰掛ける。棒付き飴を舐めていた。

 口出しはしないつもりだ。ありがたい。私は彼女が嫌いなのだ。

 入室したのは品のある淑女だ。細身には貞淑さを宿している。白いドレスと小帽子だ。髪は金色で、白い肌は、血の気が引いているようでもあった。目尻には苦労ジワだ。

 彼女をソファーへ促した。私は立ち上がる。

 私と淑女は、対面のソファーへ腰をおろした。

 懐からキツケの粉末を取り出すと、私は鼻腔から吸引する。淑女には笑顔を見せておく。

「劇的解決屋の寺井すけろくさんでよろしいのよね」と淑女。

「ふふ。はい。宣伝はまぐれ当たりしました」

 私は自分の名に苦笑いした。獅子は、子を崖から叩き落とすらしい。両親は名付けで、それを実行したのだ。青春時代を、嘲笑われてすごした。誰でも親を嫌いになる。

 淑女にも、目尻に苦しみが刻まれている。私は彼女の人生に共感した。

 淑女は細く笑った。色白の肌は、それを際立たせている。

「もっと派手な方を想像しておりました」

「私はどこにでもいる男だ。そうでないと尾行もできない」

「なるほど。探偵様はプロなようだ」

「20歳で事務所を構えられるほどにはね」

「資金は、電脳事件の解決で得たそうで」

「なぜご存知だ」

「区間で噂になっておりました。いきなり事務所を構えた探偵は、噂になる」

 私は不敵に微笑む。

 彼女は頭がよい。応答がはっきりしている。私は頭のよい女性が好きだ。

 彼女とは明瞭に話を続けた。

「妹さんが電脳記号に接しているとか。理由は虚栄心」

「探偵様には、妹の電脳記号を取り上げてほしい」

「記号はどのようなものだ」

「話に納得してしまう記号だ」

「それは話術として?」

 彼女は首を横にふる。苦笑いにも見える表情だ。

「いいえ。見た者をどんな話にも納得させる『宝石』だ」

「貴方も被害には遭われましたか」

「はい。妹が電脳記号の購入を伝えてきた。返品を命じる両親と私に、『宝石』を見せた」

 淑女は、名を上げるにしても親を先にしている。対して妹には、命じる、とも言っていた。私は、彼女の普通、を把握した。悪人というほどではない。むしろ他は善人に近くすらある。つまりは大多数の1人だった。

 彼女は、言葉が詰まっている。私は話を導いてあげた。

「それで返品しないことを納得した」

「妹は自慢をしたかったのでしょうね」

「本物の『宝石』でしたか。種類や大きさは」

「種類はダイアで、赤ん坊の握り拳ほどの大きさだ。妹は本物だと言っていた」

「その大きさで本物は高価だ」

「本人はダイア代だけで済んだと言っていて、私も納得してしまいました」

 私は笑った。

「電脳代はなし。そんな上手い話はない」

「はい。聞いた値段も、本物にしては少額でした」

「しかし、貴方達はその『宝石』を見せられたら本物と納得した」

「してしまいました。記号が原因だというのにも納得している」

「なるほど。事情は分かりました。依頼を受けるかは後日お答えする」

 私は立ち上がる。話はおしまいという動作記号だ。

 淑女も立ち上がる。私は彼女を扉に導いた。

 歩きながらも話は続く。

「即決はして頂けないと」

「電脳事件は即決できる事柄でありません」

「分かりました。最後にお聞きしたい」

「何なりと、お聞きください。可能な範囲で、お答えする」

 私は扉を開けた。彼女を戸口に立たせる。彼女は私を見上げた。

「『宝石』は本物なのやら未だに分かりません。私は今でも本物だと納得している」

「偽物だね。もちろん。妹さんも騙されている。電脳記号とは『先端』だ。倒錯もいる」

「倒錯。それはそうだ。でもやはり私は本物と納得している」

「納得間で喧嘩をしない記号だね」

「何卒、記号はお取り上げください」

 私は彼女に会釈する。扉を閉めてあげた。

 扉の横には和服美人がいる。

「なぜ『宝石』を偽物だと推理するの」

「推理以前の想起だよ。電脳記号には倒錯が必要と聞いている」

 私は歩き始めた。机の椅子に座る。

 猫島めいはついて来た。机の上に腰掛ける。

「貴方は、妹さんも騙されていると言っていたわね」

「倒錯とはひっくり返りだ。今回は、本人が水晶玉を『宝石』と思い込んでいる、だね」

「確証はあるの。話を聞いただけよね」

「話ほどに大きなダイアは、少女に買えないよ。『宝石』が偽物なら、倒錯もそれだ」

「『宝石』は符号(サイン)でしかないという訳ね」

「電脳上の記号(シンボル)においては『宝石』なのだろうさ」

「どう解決するの」

「私は依頼を断るが?」

 私は目尻を下げた。口角も上げる。表情は本心を表している。

「よい笑顔で何を言うのかしらね。そこまで危ない事件ではないわよ」

「私は怖がりでね。どうなるか分からない電脳事件はお断りだ」

「納得するだけよ。それも納得は上書きされない程度のね」

「あの婦人は嘘をついているかもしれない」

「そこを疑うのね。人間不信よ」

「考えたらきりがないのは分かる。だから電脳事件は断る」

 私は椅子を回した。窓の外を眺める。光看板は、曇天の下で輝いていた。空には浮遊車だ。いつ見ても魔都の光景は、チープだ。しかし、私も魔都を構成する記号にすぎない。

「貴方も、電脳文明の内側で暮らしているのよ」

「なので記号からは逃げられないと」

「現代の電脳は、コードネットではない。シンボルネットよ」

「理解はしているさ。人類社会からは胡散臭くすら思われている」

「インターネットは、正に胡散臭くすら思われる地位に至りえた」

「超先進的な科学は、魔術に等しいものね」

 猫島めいは、私の肩に手を置いた。少し引っ張る。こちらを見ろとの動作記号だ。社会モラルを守る大人として振り返るしかない。すると、猫島めいは、目を細めていた。

「女々しいことは言わないでよ。依頼を受けなさい」

「人間は、女々しさで命拾いすることもある」

「なら追加で支払うわ。妹さんとも話をしてちょうだい」

「妹さんと、何を話すのさ」

「あちらの言い分も聞いたら、追加で600円を払うわ」

「なぜそこまでする。君の利益はどこからきている」

「私は利益のために動いてはいないの」

「まさか。だって君は君だろう」

 タフな笑みを向ける。

 私は席を立つ。窓辺に寄りかかる。彼女と距離を取り直したのだ。私は腕組みをした。

 相手は、口元を歪めている。

「見た目で女を判断しないでよ。痛い目をみるわ」

「女運が悪い覚えはない」

「貴方も、劇的解決屋の癖に平凡よね」

「君も、博愛主義者にしては見た目が派手だ」

「高等遊民にも仲間意識があるの。件の妹は見すごせない」

「本人のために敵へ回るのかい」

 猫島めいは、机から降りた。机の椅子に座る。

 私は腕組みを解いた。話ながら肩をすくめてみせる。

「いいえ。高等遊民の縄張りを荒らし始めているの」

「納得するだけの電脳記号で、何をしたのさ」

「無銭飲食をカフエで繰り返しているの」

「カフエとは、いわゆる性的サービス込みの?」

「本当はヤクザの仕事なのだけれどね」

「財閥令嬢の君がヤクザの代わりをしている」

「結果論よ。高等遊民の集まりで彼女を懲らしめると決めたの」

「高等遊民のギャングがあるのかい」

 私は机に移動した。引き出しで捜し物を始める。

 猫島めいは、ため息を吐いている。

 女は話を続けた。

「いいえ。ギャング未満の素人集団よ」

「ヤクザも、商売にならないね」

「今どきはその程度の集まりが多いわ」

「ヤクザのシマを荒らしてはいないかい」

「みかじめ料なんてもう古いわよ」

「本人達で自衛していればよいと」

「今どきはそうよ。今どきは」

 私は他の引き出しも見てゆく。

「ヤクザを飼う財閥の人間がそう言うのかい」

「そのほうが経済的だもの」

「今回の懲らしめは、ヤクザに話を通しているのかい」

「いないわ。当たり前よ。だってヤクザは怖いもの」

「ならヤクザに任せるとよい。仕事を奪われたら、ヤクザも動きかねない」

 私はハッとした。小切手を見つけたのだ。私は素早く「1200円」と走り書きした。

「そうなる前に、劇的解決をしてほしいのよ」

「その宣伝文句は、やはり辞めるかもね」

「素敵なのに残念ね。何とかしてくれそうな響きだわ」

「ふん。妹さんとは話をするだけでよいのかい」

「あら、600円がほしいのかしら」

「今どきは、紙幣の最高も100円札だ。物価安で、600円もバカにならない」

 私は、小切手を彼女に渡した。

 彼女は、額面を確認して署名する。私に小切手を返した。

 私は小切手を受け取る。小切手を懐にしまった。

「1円が、紙幣でなくて硬貨の時代もあったらしいわね」

「昔は円より下の銭単位が省かれていたのを信じられない」

「科学完成運動の前と後ではね」

「今も昔も、『運命』と『エネルギー』に、融通は効かないよ」

 私は扉へ目配せした。退室を勧める動作記号だ。

 女は美貌を歪めている。愛憎のこもる目で、猫島めいは退室した。

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