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【連作短編】だから私は(3)〜密やかに吐く〜③



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第一話とあらすじ





(3)③

 控室に入ると、そこには三崎奈津子が座っていた。彼女をひと目見るなり、私は意気消沈選手権優勝が確実となった。

 三崎奈津子の前髪は眉毛のすぐ上で揃えられていて、緩くウェーブの掛かった黒いロングヘアは胸を隠すように前に垂らされていた。テーブルに置かれた手には左薬指に小ぶりな婚約指輪がはめられていて、手のひらの半分を隠すくらい長いブラウスの袖のレースが、その他の装飾の代わりを担っていた。斜めに被っている頭上の白いベレー帽は、まだ冬の名残りを感じさせるモコモコとした質感で、羽織っている網目の大きなニットのカーディガンと相まって正直四月には暑苦しく感じた。
 これは私もmixiで見たから知っている。森ガールと呼ばれるファッションだ。テレビでもその存在を知った時、私が関わらない人種の話だと思って聞き流していたのだけど、実際目の当たりにしてみると、なるほど自分の感覚は間違っていなかったのだなと思った。可愛いとは思うけど、私は絶対に着ないテイストだ。

「はじめまして。今回式場と披露宴の写真を担当します、カメラマンの林 彩花と申します。」

 定型の挨拶をすると、三崎奈津子は椅子から立ち上がり私よりも深くお辞儀をした。

「はじめまして。よろしくお願いします。すごい、お写真で見るより全然お綺麗ですね。びっくりしちゃった。」

 ははっと引き攣った笑顔をしながら、どうぞお掛けくださいと座るよう促した。
 先週の資料で彼女が甲本や私と同い年ということは知っていたのだけど、それよりも何歳か下の印象を受けた。屈託のない、と言えば聞こえはいいかもしれないけれど、私にはお辞儀の角度や初対面の人間に対する話し方などから、溢れ出る幼さに嫌悪を抱かずにはいられなかった。

「リストと一緒にポートフォリオもご覧になってると思うので、私の写真のテイストは大体ご理解頂けているかなと思うのですが、何かこういう雰囲気でとか、ご要望ございますか?」
「いえ、特には。林さんの撮ったお写真が一番ナチュラルというか、私が思ってたブライダル写真に近かったので、全部お任せしたいなって。」

 由佳ちゃんの話から、てっきり私の名前だけで甲本が独断で決めたものだと思っていたので、思い掛けず自分の写真を褒められたようで気恥ずかしかった。
 同時に、甲本が私にお願いしたいと強く願ったわけでもなかったということなのでは?という何者かの囁きが聞こえてきた気がして、私の気分は再び落ち込み始めていた。

「ありがとうございます。そうしましたら、柔らかい雰囲気のお写真、沢山撮れるように頑張りますね。」
「わぁ嬉しいです。あのポートフォリオ?の中だと、特にバージンロードの写真がすごく素敵で。私もお父さんから新郎さんへのあの流れのところで、ああいう写真がお願いできたらなって思って。瞬間を切り取ってる!って感じで、素敵でした。」

 人前では父とか父親って言いなよ、あと新郎さんってゆうのも何?と心の中で答える私は、甲本不在のダメージを負って荒んでいるとはいえ、本当に性格が悪いと思う。

「瞬間、逃さないように頑張りますね。」

 この打ち合わせの前に由佳ちゃんが彼女に事前に説明していた写真撮影のコースについて、再び説明をしている間、私は何故甲本がこの森ガールを伴侶に選んだのかを考えていた。
 確かに飲みの席で好きなタイプの話をしていたような記憶はあるものの、具体的に甲本が何と答えていたかはまるで覚えていなかった。ただ、彼女のこの雰囲気から、あの甲本のゆったりとした喋り方と同じ波長は感じられた。
 もしかしたら、外見や何やらといったものなんかよりも、もっと深いところでアンテナに引っかかるものがお互いにあったのかもしれない。そうなると、例えメイクを再研究しようが、お昼ご飯を抜いて数グラムの体重操作をしようが、大学四年間の内で引っかかってもらえなかった私に勝ち目などない。

「各コースの料金は以上です。一応今のところはデータを全てお渡しするA1のコースとお伺いしてますが、変更の場合はいつでもプランナーにお伝えくださいね。」
「あの、ちょっと質問いいですか?」

 三崎奈津子は遠慮がちに右手を挙げて言った。
 なんでいちいち手挙げるん?とまた心の中で答えてしまい、自己嫌悪は加速していった。

「はい、大丈夫ですよ。」
「あの…実は雄くんが、もしかしたら林さんのこと大学時代の友達かもって言っていて。」

 雄くんという響きに、一瞬体がビクッと動いてしまった。付き合っている者同士、更にはこれから夫婦になる者同士、下の名前で呼び合うなんて全く自然なことだ。頭で分かっていても、私は羨ましさを自分自身に隠蔽できずにいた。

「そうなんですよ。…すみません、正直私は少し忘れていたんですけどね。」

 一応嘘ではないことを冗談ぽく言うと、三崎奈津子は少し安心したようにクスっと笑った。

「林さんのプロフィールのお写真見た時、本当にお綺麗でびっくりしたんです。そんな人と友達だったなんて聞いたので、その、私色々考えちゃって…。あの、もちろん失礼なことだとはわかってるんですけど。」
「あぁ、昔なんかあったんじゃないか、とかってことですか?」

 すみません、と言って俯く三崎奈津子の手は少し震えているように見えた。
 この仕事をしていると、たまにマリッジブルーに陥る新婦というものに遭遇する。被害妄想で自分の首を絞めてしまっている人が大半なのだけど、それもこの先の未来への不安から来るものと考えたら仕方のないことだと思う。まだ結婚には縁遠い私でも、一応女としてこの気持ちは理解できる。
 羨ましさから多少穿った見方をしていた三崎奈津子に対して、始めて情が湧いた。

「大丈夫ですよ。ただ毎週飲んでた仲間の一人という感じだったので。」
「そうなんですね。すみません、私すごく失礼ですよね…」
「いえ、皆さん結婚式前は不安定になりがちなんですよ。こういう打ち合わせも多いですし、決めることも多いですから。打ち合わせ中に新郎新婦同士で喧嘩し始めちゃったりとか。」
「え、そんなこと」
「あるあるです。」

 またクスクスと笑う彼女を、私は不覚にも可愛いと思ってしまった。きっと甲本も彼女に対してこういう気持ちになる瞬間が沢山あったのだろう。少し理解できてしまうことがまた悔しく悲しかった。

「だから、不安な気持ちはどんなに小さなことでも吐き出したほうがいいですよ。お友達とか家族とか、もちろん我々にでもいいですし。プランナーの小堺は聞き上手なので、うまく使ってください。」
「そんな…ありがとうございます。うわぁ、なんか少し肩の荷が降りた気がします。」

 そう言いながらも、彼女は明らかに肩の荷が降り切っていない人間の顔をしていた。眉間に皺を寄せながら、三崎奈津子は少し迷ってから再び声を出した。

「実は、失礼なことがもう一つありまして…」
「全然どうぞ。写真の打ち合わせの時間は一応30分取ってますので、まだ大丈夫です。」
「あの…私、昔付き合っていた人に、その、浮気をされたことがありまして。」
「えっ」

 突然の重めの告白に、思わず声が漏れてしまった。恋愛面に於いてそれ程苦労をしてきてない見た目だと勝手に感じていたので、彼女の口から浮気というワードが飛び出たことに驚きを隠せなかった。

「本当にこんな話、ごめんなさい。あの…失礼なことってゆうのが、実はその、元彼の浮気相手が林さんみたいな綺麗な女の人だったんです。」
「あぁ…それで不安に。」

 綺麗なという言い方をしているけれど、彼女の言わんとしていることは充分過ぎるほど分かった。
 私のような派手顔のギャル女に男を盗られたのだろう。高校生くらいから散々「尻軽な見た目してるよな」だの「あの子絶対ヤリマン」だの、男女問わず周りから言われてきた私にとって、「綺麗な」という枕詞の裏の意味は確認しなくてもすぐに分かる。

「本当に、全然関係ない話なのに、なんかすみません…。正直、雄くんがカメラマンを林さんに決めようって言った時、胸がドキドキしてしまって。でもっ!撮られたお写真見たら、本当に私の大好きな感じで。」

 耳を赤くしながら、三崎奈津子は懸命に言葉を紡いでいた。その姿は今まで愛されて育ってきた人間の模範のようで、私には眩し過ぎた。

「…良いお式にしましょうね。我々も全力でバックアップしますし、私も奈津子さんが喜ぶ写真、沢山撮ります。」

 よろしくお願いしますと小さく頷く彼女は、恐らく涙ぐんでいたのだろう。しばらく俯いたあと、ゆっくりと鼻から深呼吸をして、私の方を見ながらへへっと笑った。その顔にはどこか見覚えがあるような気がしたけれど、由来を認めるのが悔しくて気付かないフリをした。

 控室を出て事務所に戻ると、五冊ほどの分厚い資料集を携えた中尾さんがちょうど椅子から立ち上がるところだった。

「あ、終わりです。次、どぞ。」

 なるべく目を合わさないようにして、私はデスクに置いていた自分の鞄へ一直線に歩いていった。

「何かありました?」
「え?いや、別に。今日はその、遅刻?とかしなかったので、ちゃんと時間通り終わったってゆうか。…あぁ、あの、いつもすみません、時間押しちゃって。」

 返事をしながらこれは叱られるパターンかもしれないと思い、予め謝っておくことにした。しかし、ちらっと見た中尾さんの顔は怒っているどころか、眉間に皺を寄せて何となく心配そうな顔をしていた。

「時間云々ではなく。顔色、あまり良くないように見えますけど。」

 中尾さんに優しさが備わっているなんて考えたこともなかったので、思わず目を見開いてじっと顔を見つめてしまった。
 薄らとファンデーションは塗っているものの、化粧品自体の力ではなく、元々の肌理の細かさがしっかりとした土台を作り上げているのが見て取れる。最低限の化粧で実年齢相応の疲れを感じさせないのは、絶対に何かをやっている証拠だ。

「スキンケア、どれくらい時間かけてます?」
「え、いきなり何の話ですか?」

 心配そうな顔は、瞬く間に嫌悪丸出しの表情へと変わっていった。眉間に皺を寄せたその顔を見て、私は相手があの中尾さんだったことを思い出した。

「いや!えっと、あの、すみません。なんか、へへっ。」
「…本当に、何かありました?」

 再び椅子に座り直した中尾さんにつられて、私も向かい側の椅子に座った。こうなってしまうと、何か話さないといけないじゃん。じゃないと終わらないじゃん。自分で招いたことなのに、私はこの非日常な状況に戸惑いながらも、中尾さんに心情を吐露した。

「実は今の打ち合わせのカップル、新郎が大学の同期で。まあまあ仲は良かったんですけど、その、まぁ自分の気持ちとか色々あって、卒業後は特に連絡取ったりはなくて。あ、今日は打ち合わせ、来てないんですけどね。」

 何で中尾さん相手に私はこんなことを言っているのだろうと思いつつ、これが由佳ちゃん相手だったら言わずに笑って誤魔化しただろうなとも思った。
 由佳ちゃんがどうこうという話ではなく、むしろ中尾さんの誤魔化しの効かないであろう姿勢の前で、ある程度曝け出さざるを得なかった。

「その、来てないってことにも、なんか…。先週から私、足元ふわふわしてるんですよ。新婦さんと話してても、浮かれたり落ち込んだりって何度も繰り返してて。その疲れ?が顔とかに出てたのかなぁなんて。」
「なるほど…。そんなに深刻な悩みが原因というわけではないんですね。それなら良かったです。」

 え、ちょ、おい。おいっ。人の話聞いておいてそんな言い草って、と心の猛獣が吠え出した私を余所に、中尾さんは席を立って事務所のドアへとつかつか歩いて行った。
 打ち合わせ時間があるからということなのはわかるけど、もう少し何かないものだろうか。普通は親身になって話を聞いて(ふりだけでもいい)、慰めの言葉の一つでも掛けるのがコミュニケーションなのでは?
 言ってやりたい言葉が頭の中を駆け巡る間に、中尾さんは再びこちらを向いた。

「昔の恋愛感情は、ワインと同じです。時間が経てば、醸成されて深みが増す。でも、美味しいからと飲み続けると酔います。たまに栓を開けて、愛でるくらいが丁度いい。」
「…それ、小説か何かの一節とかですか?」
「私が好きな映画の台詞です。でも、真理だと思っています。でも酔ったら酔ったで、人知れず密やかに吐けばいいと思いますよ。」

 ニヤリと笑ってから事務所を出ていった中尾さんは、正直少し不気味だった。それでもやっぱり年齢を考えると皺は少ないし、ストレートの黒髪も健康的な艶やかさだった。絶対お金と時間を掛けている。しかも自分に似合う形で。
 迷走を続けていたこの数日の私にとって、その不惑に見える生き様は素直に羨ましく思えた。

「いや、待ってよ。私別に恋愛感情なんて言ってないし。」

 しばらく中尾さんのことを考えていたあと、私は思い出したかのように独り言を呟いた。



(4)に続く


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