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【連作短編】だから私は(4)〜密やかに吐く〜④


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第一話とあらすじ





(4)④


 休日のほとんどは、家の中か公園で過ごすことにしている。

 式場カメラマンという仕事が決して嫌いなわけではないけれど、私にもそれなりに撮りたい写真というものがある。
 もちろん、写真家として活動を続けている高校時代の写真部の同級生なんかとは違って、私の中に芸術家気質というか、何某かの拘りや譲れないものというものがあるわけではないのだけど、仕事以外の自由な感性というものに従って、ただ自分の好きな空気を切り取りたいという気持ちはそれなりに持っている。

 公園には私の好きなものが多くある。
 影と光だったり、笑い声と鳴き声と、人も動物も植物も、空も大地もすべてが混ざり合って全力で生を謳歌しているあの空間が、私はとても好きだ。
 当然、こんなこと恥ずかしくて誰にも言ったことはないし、私の見た目や性格に似合わない感性だということも自覚している。そもそも高校で写真部に入部するときだって、地味目な先輩たちからギャルの冷やかしと勘違いされて入部届をすんなりと渡してもらえなかったくらいだ。
 化粧気もなく白いTシャツにデニムのパンツという地味な恰好の今となっては、こういう自分の好きなものや気持ちを他人に口にしても許される気がするけれど、私は未だに誰にも教えてはいけないものとして隠し通している。
 ほとんどを一人で過ごす今の日常だと、そもそも他人にこういったことを話す機会もないのだけれど。

 ゴールデンウィークの過ぎた平日の代々木公園はすれ違う人もまばらで、世間がまたいつも通りに戻ったことを感じられた。
 ゆっくりと歩きながら、横を走り去っていくランナーの後ろ姿やベンチに影を落とす木漏れ日、小さな花びらや散歩中の犬、ベンチで大きな口を開けて寝ている若い男性、とにかく目に入るものにカメラを向けては、余計なことは考えないで写真を撮り続けた。

 シャッターの音に気づいて目を開けた男性は、こちらを見るとにこっと笑った。

「今、俺撮った?」
「ごめんなさい、つい。」
「どんな寝顔してた?俺。見してよ。」

 男性は特に怒っている様子もなく、私のカメラの画面を覗いてきた。大きな口を開けて涎を垂らしている自分の姿を見て、けらけらと笑い出した。

「間抜けだなぁ。お姉さん、カメラマン?写真撮るのうまいね。衝撃の瞬間!って感じ。」

 ありがとうございますと言ってお辞儀をすると、男性はひらひらと手を振って再びベンチに横になった。
 瞬間という単語で、私は考えないようにしていた三崎奈津子のことを思い出してしまい、無意識に歩幅が広がり歩くスピードが速くなっていった。


 式本番の日までの二カ月、結局私は甲本に会うことはなかった。
 由佳ちゃんはその間も何度か打ち合わせを行っていて、そのたびに控室の前をそれとなく通ってみたりしたけれど、姿を見ることはなかった。

 もちろん、他のカップルの結婚式や披露宴の仕事も淡々とこなしつつ、やっぱり頭の大半は甲本のことで占められていた。
 それでも仕事としてそつなくシャッターを切り続けられている自分に、思いがけず社会人としての実力が身についてきていることを感じられた。
 甲本達の式本番、つまり明日は、余程の何かが起きない限り本人とついに対面する。ちょうど二日前あたりから下腹部の鈍痛が徐々に強くなり始めていたのだけど、それに加えて緊張のせいなのか胃のあたりもきりきりと痛み出してしまい、私の身体はほとんど悲鳴を上げていた。
 このままだと精神的にも参ってしまいそうだったので、せめて気持ちだけは上向きにしたいと思い公園まで足を運んできたというのに、やっぱり甲本と三崎奈津子の存在からは逃れられなかった。

 そのまま足早に原宿門の方に向かいながら、先ほど撮った写真を確認した。この男が余計なことを言わなければ、もう少し落ち着いた時間を過ごせたのに。
 本人も言っていたその間抜けな寝顔は、どことなく昔の甲本の雰囲気に似ていた。のらりくらりと生きてきた人間特有の垂れた目元と柔軟そうな口角筋が、絶妙に相手の庇護欲を誘う顔立ちをしていた。
 さすがに今の年齢の甲本がこの雰囲気のままだったら嫌だなと苦笑いをしつつ、私はその男のデータを削除した。

 結局その日の夜は、本格的に始まった生理のせいで、ばっと流れ出る経血の感覚に起こされては明日の甲本のことを考えてしばらく眠れず、やっとうとうとし始めたと思ったら下腹部の痛みが増してきて覚醒をするという繰り返しだった。どうして大切な日に限って、体調万全で臨めないということになりがちなのだろう。いくら生活に気を付けて外的な要因を防げたとしても、生理に関しては為す術がない。
 女の身体のクソ仕様に苛立ちながら時計を見ると、すでに起床の時間が近づいていて、全く寝ていないのと変わらない心持ちのまま、私は重怠い身体をゆっくりと起こした。

 会場に着くと、すでに三崎奈津子が控室で着替えを始めていた。
 メイク終了後に、披露宴のエンディング映像用の素材撮影を行う予定だったので、私はそれが終わるまでの間、廊下で由佳ちゃんと今日の予定を再確認していた。

「よかったよ、メイク終わるまでに間に合ってくれて。」
「ごめん、もっと早く来るつもりだったんだけど、昨日から生理来ちゃって。動き鈍い。」
「あー、まぁわかるよ。それは仕方ない。とりあえずもうメイク終わると思うから、そしたら撮影よろしくね。私はそろそろ新郎来るから、そっち行ってる。終わったらD2控室ね。」

 早口で指示を出したあと由佳ちゃんは小走りで外に出て行った。まだ下腹部の痛みが収まらない私は、ジャケットの胸ポケットに入れていたロキソニンを多めの水で流し込んでから、上半身を目一杯膨らませるように深呼吸をした。

「あ、いるね彩花さん。終わったよ。」

 ヘアメイクの古関さんが控室から出てきて私を呼んだ。中へ入ると、小さく可憐な三崎奈津子が、生成り色のウェディングドレスに身を包んで部屋の中央に立っていた。
 打ち合わせのときの純朴な姿は、そのまま森の中にひっそりと佇むお城の中のお姫様へと変身していた。細かい刺繍の施されたプリンセスラインのスカートは、三崎奈津子の小さな顔をより際立たせていた。オフショルダーのパフスリーブには大振りのサテンレースが贅沢にあしらわれていて、その華奢な腕を波間のように包み込んでいた。
 なるほど、こういう人間なら小動物と会話ができても何ら不思議はない。リスも小鳥も彼女の前では警戒心を解いて、花や木の実をせっせと運んでくるのだろう。それを見た三崎奈津子はきっと満面の笑みで「ありがとう」と返すことができる人間なはずだ。見知らぬ野生動物からそんなことをされたら、おとぎ話の中ですら「え、ちょっ、…何?」と言って引いてしまうだろう私とは、やはり別世界の生き物だった。

「本日はおめでとうございます。とってもお似合いです。」

 まだ痛みの残る下腹部の重みがより増した気がした。

「ありがとうございます!今日はよろしくお願いします!」

 少しはにかみながら、三崎奈津子は視線を足元へ落とした。小刻みに震える右手を見て、私は一旦、むずむずと湧き上がる羨ましさを頭の片隅へと追いやった。

「いいお写真、沢山撮りますね。」

 ぱっと顔を上げ、私に微笑んだ彼女はとても愛くるしかった。すかさずカメラを構えてシャッターを切ると、お互いにクスクスと笑い合った。
 私は、プロのカメラマンだ。


(5)に続く


食費になります。うれぴい。