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家探しの人詐欺に注意! 【波乱万丈なワーホリ オーストラリア編④】

ケアンズに来てから、バックパッカー(通称バッパー)から毎朝カフェに通う毎日。

バッパーの部屋の女の子たちは旅行で来てる子達がほとんどだったから、多分私が一番長くいる感じ。
もちろん入れ代わり立ち代わり激しい。

私は毎朝カフェの出勤が早くて、朝6時起きとかだったから部屋の電気をつけるわけもいかず、まだ早朝の暗い中携帯のライトでまずスーツケースから服を取り出したりライト照らしながら化粧したり、みんなを起こさないように毎朝そーっと準備して静かに出勤。

さすがにバッパーに住むより普通にシェアハウスとかに住んだ方が安い事に気が付き、お部屋探し開始!

ケアンズのダウンタウンの中に日本食レストランとかが入ってる小さなモールがあってその中によく張り紙で住居者募集!みたいな日本語で書いてあったり英語で書いてあったりよくその張り紙を見に行ってそこに書いてある電話番号から電話をかける仕組み←当時2013年あたりの話し

噓でしょってくらい安い家賃が書いてあったり、Girls Onlyとか書いてあったりなかなか怪しそうなものもちらほらある。
後々聞いた話では、現地のオーストラリア人男性の家で家賃安いのを売りにしてワーホリで来てる女の子たちが変な事されたりっていうのは聞いたことあるから本当に気を付けた方がいいんだと知った。

その他にも日本人向けのサイトだったりCraiglist(クレイグリスト)という完全英語なんだけど現地の求人とか住まいとかのってるサイト使いながら家探しをしてた。

始めに言っておくが、私はオーストラリアワーホリ生活1年のうち、6ヵ月をケアンズで過ごしたんだけど、その6ヵ月で住む場所をバッパーも含めて

6回

変わってる、笑 ←こんな人いるだろうか。。

お家を見学に行ったとき、オーストラリアのおじさん2人とそのおじさん2人それぞれの娘と息子、プラス1人日本人女性が住んでいるという結構変わった家族構成になってるお家がそこそこよさそうな感じだったからそこに決めた。

娘と息子はそれぞれまだ幼稚園児。

血は繋がってないけど一緒に生活してて2人とも兄弟みたいに仲良かった。

おじさん2人はそれぞれ離婚してて、もともと友達だったのか一緒に住むようになったのかは謎。まずそこまでいろいろ聞ける英語力なし。ちーん

日本人女性が一人住んでいるっていうのが一番心強かったんだけど、その子に会ったら私の1つ下とはいえないほど社交的で英語ぺらぺらで(オーストラリアに中学から住んでいるのもあって)本当に頼れる存在だった。

その子とは意気投合して、毎日のように遊んだ。

その子がケアンズに来て友達も一人もいなかった私をいろんなパーティーに連れて行ってくれたり、クラブに行ったり、カジノ行ったり、自分の知らない世界を見せてくれた。

その子が顔が広かったのもあって外国人の友達が一気に増えて毎日のように友達に会っては一緒にご飯作ったり飲みに行ったり本当に毎日が楽しかった。

この外国人の友達が増えたおかげで私の英語力はこのケアンズでの半年が人生で一番英語が伸びた瞬間だったと思う。

どんどん吸収していって、新しい英単語を聞けばそれがすぐ実際の会話で使える環境。

こうやってまったく苦も無く楽しみながらいつの間に英語がどんどん話せるようになっていった。

遊ぶようになってからどんどんお金は無くなる一方で仕事探しも一応してたんだけど、立ち寄ったインド料理屋さんに履歴書を渡したときにその場で
じゃあ今から着替えて来て

と言われて、速攻で家帰って着替えてそのレストランで働き始めたんだけど、まあ結局ここのレストランでもいいようにこき使われ、いわゆるOn Call(忙しい日に電話が来て今日働いて)って言われる感じ。

だから仕事があるのかさえその日にならないとわからない。。

それでも仕事があるっていう事が嬉しくて、電話があるときは必ずすぐに駆け付けた。

同僚の子はみんなインド人、ネパール人で私に優しくしてくれた。
私も外国人との英会話に慣れて来てた時だったから和気あいあいと楽しく働けてた。まだ毎日が必死だったけど。笑

でも、オーダーとかを聞けるレベルではなく私の仕事はひたすら食べ終わった料理の片づけ、テーブルセット、お皿洗いでカフェでしてる仕事とはあんまり変わらず。笑

でも仕事終わりには毎日賄いがもらえて←インド料理屋さんだから毎日インドカレー。爆笑 そのカレーが夜ご飯になるから嬉しかった。飽きたけど

そしてそのレストランから一切電話かかってくる事がなくなり、事実上のいつの間にかにクビ。

カフェでも私がだんだん英語を話せるようになって言い返せるようになってきたのもあって、店長と言い合いになってクビ。

それでも毎日が楽しくて充実してた。笑

知り合いつてで、ホテルのハウスキーピング(部屋清掃)の仕事があるから応募してみるといいと言われて応募してみた。

その時も日本人の彼曰く、「履歴書なんて本当の事書いても採用されないよ。ハウスキーピングの職歴がある事にしときな」とアドバイスをもらい、ハウスキーピングの職歴がある事を履歴書に書いた。←オーストラリアに来て既に職が4回変わってるからどんどん職歴に書けることが増えて言ってる。爆笑

ホテルの仕事は無事採用してもらって、嘘を書いたからにはバレないように真面目に頑張った。
もうそれはそれは体力のいる仕事で毎日時間内にほぼ普通に掃除してるだけじゃ不可能な数の部屋数の掃除をさせられた←雇ってもらいながら大口叩く

毎日ホテル内を走り回る日々。手を止めてたら間に合わないくらいの部屋数。しかも残業代なんてなし。

シーツを運んでいるときにエレベーターの中で同じくシーツをランドリーに持ってきた人がたまたま日本人で感動したのを覚えてる。

その女性は多分私より何歳か年上な感じで、この仕事を始めてから鬱になった。って言ってた。顔も死にそうな顔。

私はなぜか必死すぎるからかただこなしてるだけで鬱になるくらい病むことはなかったけど、早くさっさと仕事終わらしてみんなと遊びたいって気持ちの方が大きかった。笑

友達の外国人の仕事も似たような仕事してる人ちらほらいて、他のホテルで私と同じくハウスキーピングしてて仕事の話も出来るようになった。

スーパーバイザーがフィリピン人で、私とか他の国のワーホリの従業員以外はずっとここで働いてるフィリピン人のおばちゃんばかりでその人たちがくせ者だった。

多分この人たちのせいでエレベーターで会った日本人は鬱になったんだろうなってくらいこき使ってくる。←私はオーストラリアに来てこき使われてしかいないから免疫が大分ついた。

私の英語力も日常会話がある程度出来るレベルになって、今まで一切言い返せなかったのがだんだん言い返せるレベルになってきて、フィリピン人のおばちゃん達にも自分が理不尽だと思う事は結構言うようになった。

ちなみに転職5回目にしてようやく違法ではなく銀行口座を通じて給料が振り込まれた。今までは全部の職給料は手渡し現金時給10ドル。笑
このホテルで働き始めてやっとオーストラリア最低時給の18ドルで働けた!

↑銀行口座もいらないんだったらワーホリじゃなくぎりぎりまで観光ビザで働けばよかったと後悔してる。←違法だけど

謎に20歳以下(←ちょっと曖昧覚えてない)は給料が少し低くなると言われ19歳だった私はほかの従業員と同じだけ働いてるのに給料が少し低かったことが理不尽すぎたのを今でも覚えてる。笑

仕事が昼過ぎまでだったからその後夜働ける仕事を探してたんだけど、ある程度履歴書にもそこそこ職歴が書けるようになったからか←ただ職歴のそれぞれの期間がとてつもなく短い。笑 ジャパレス(日本食レストラン)で雇ってもらえることになった。

過去記事。

普通日本人ならあっさりジャパレスで働けるのに私の場合働けるまでの道のり長すぎないか。。

そこでは小さなレストランだったけどウエイトレスは私一人と教えてくれる日本人のおばさん。←おばさん、おじさんって書くけど私の10代、20代前半はいつもこんな感覚、苦笑

英語も受け答え出来るレベルにいつのまにかなってて、ウエイトレスの仕事が楽しくて仕方なかった。

自分が英語を使って接客出来てる事、日本と違って外国人ってこんなにも自分の感情伝えてくれるんだーって嬉しかったの覚えてる。

とりあえず大げさにありがとー!とかほんっとうに美味しいよ!とか最高なご飯だったとか伝えてくれて私もサーブし甲斐がある!

日本でたまーにやったことある婚礼での配膳の仕事とかこんなにお客さんに感謝された事はなかったからオーストラリアでのウエイトレスの仕事ってこんなに楽しいんだーって感じだった。

しかもホテルでハウスキーピングの仕事した後に自転車乗って30分くらい飛ばしてこのレストランで夜働いてた19歳の私のタフさといったら。笑

仕事もあって、友達もいて毎日が充実すぎるくらい充実してたこの頃。

やっと私にも恋愛という新たな展開が始まる。。笑


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