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他人を見すぎない

行ったことのない場所の地図や、買ったことのない商品の値段を調べるために、GoogleやAmazonをよく使います。

非常に便利でありがたいのですが、そこに同時に出てくる口コミの感想、いわゆるレビューは、できるだけ見ないようにしています。

実際に自分がどう感じるかで判断したいし、レビューで書かれている短所が、自分にとっては長所かもしれなかったりする。

たとえば、店が古くさくてバブルの匂いがするのは、現代の若者がデートのランチに選ぶには適していないかもしれないが、自分が銭湯あがりにひとりで行くならば非常に塩梅が良い。

本棚にちょっとマイナーな昔の少年マガジンの漫画の単行本など置かれていたら最高である。

買い物でいえば、少し前にスプレータイプのメガネ拭きを買ったのですが、おすすめに出てくるのは、高い品質を謳っているものや、大容量で長く使えて安心のものでした。

でも、自分が欲していたのはそういう類でなく、いつのまにかどこかになくしていてもあんまり凹まない程度に手軽に使えて、100円ショップのそれよりはしっかりしたもの。

全く未知の物事なら別ですが、日常生活においては、いちおう、自分の中でなんとなくの基準があるのです。

でもこれ、ネットで他人の意見をぼんやりと見すぎていると、だんだん惑わされてきて、ブレてしまう。

どの商品のレビューでもそうですが、良いことが書いてあれば、悪いことも書いてあります。

そのうち、自分の目に入った情報の比重のうち、良いことが多ければ、これは素晴らしいものなのだなとインプットされるし、悪いことが多ければ、これはゴミだなとインプットされる。

実際のところ、本当にそれが素晴らしいのかゴミなのかは、手に取った人にしかわからないし、さっき書いたように、短所が長所になることもあるし、逆もまたあり得る。

なので、全くというわけではないですが、他人の評価というものを、あまり見ないようにしています。この評価というのは、何も店や商品だけではありません。

ちょっと実際の内容とはぼかして話しますが、数年前、とある方がTwitterで、卵ばかりの夕食の写真をアップしてバズっていました。

卵だらけで明らかにバランスのおかしい献立だったのですが、作者さんの意図としては、卵だらけでおかしいだろ?バカだろ?みんな笑ってくれ、というニュアンスに思えました。

リプ欄も非常に盛り上がっていたのですが、そのうち、この献立はバランスが悪いから食生活を改善しましょうとか、こんな食事をしているあなたの健康状態が心配です、などの回答が見受けられるようになってきました。

きっとその回答を書いた方々のほとんどは、悪気があるわけではなく、もっといい食事をしたほうがいいよ、という善意を見せていたのだと思いますが、作者さんはどこの誰か知らない他所の人で、普段の生活なんて知る由もありません。

というか、おそらく単なるシャレで作ってアップした写真です。

シャレはシャレである見抜ける人でないと(Twitterを使うのは)難しい……と、往年のひろゆきさんのようなことを物申したいというよりも、自分としては、そんなに他所の家の食事が本当に気になるの?ということを、その時に感じました。

ネットがなければ、たとえ隣の家がバナナだらけの変な鍋を突付いていても気にならないはずです。だって、見えないのだから。

今日の夕食を作ろうと俎板に置いた玉葱をトントン微塵切りしている間に、そういえばあそこの家は今晩はコロッケかしら、ちゃんと具材は用意できているのかしら、作り終わってコロッケが大好きな友人のコロちゃんに「キャベツはどうした」とツッコまれないか心配だわ……、などと思う人はまずいないはずです。

それ以前に、近所に侍型のロボットとそれを発明した天才少年が住んでいる人がなかなかいないとは思いますが。

唐突にキテレツの喩えを出したせいでわけがわからなくてなってきましたが、要は、ネットだと、他人のどうでもいい情報が可視化されてしまうということです。

特にTwitterなんて、基本的に何を書いても自由。あの芸能人が好きだと書いてもいいし、嫌いだと書いてもいい。それはその人の勝手。

自分が推しているアイドルが、どこの誰だか知らない人にめちゃくちゃにディスられている文面がいきなり出てくることだってある。

どこの誰だか知らない人の意見なので、本来だったらそのディスは知ることのないディスなのですが、ネットというのはランダムに人の発言が流れているので、誰の気持ちが入ってくるかわからない。

ミュートやブロックの機能もありますが、それだけで自分にとって要らない情報をすべてシャットアウトする、というのはなかなか難しいです。

ネットに依存するのが当たり前になった今の時代、なんでも調べてみようという気持ちは大切なことだと思いますが、それと同時に、どうでもいいことはどうでもいいと割り切っていくことも必要。

いちばん良いのは、ネットを見るのをやめるか、ほどほどにすることなのはわかっているのですけどね。でも、意味もなくTwitterとか見ちゃうよなあ。



サウナはたのしい。