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折り鶴が折れない少年の日の思い出

社会の中で生活していくに於いて、常識を知っており、それに準じているというのは大切なことだと思います。

街中で全裸で歩いてはいけないし、公園のベンチでいきなりツナギのホックを外し始めてはいけないし、公共の場所で性行為に及ぶことは絶対にしてはいけません。

店内にも貼り紙がありましたが、大阪市内の某銭湯の露天風呂でやらかした奴はマジで反省しろ(激怒)。ちなみに、ハッテンで有名だという噂のある◯◯区の某湯には、こわくて一度も行ったことがない。

自分は、ガリガリ体型で顔も薄いし、阿部高和のようないい男じゃないし、道下正樹みたいにうれしいこと言ってあげられる繊細さもないし、誘われることはまずないと思われるが……。

いや今回は、そんなことはどうでもよろしい。インターネット中年なので、すぐに阿部さんとか野獣先輩とかをつい出したがってしまうが、いつものように、とても真面目で社会的で教養があり読者の皆様の人生観がゴットンスポコンと変わるような有益な記事を書きたいと思います。

ゴットンスポコンというのはドラえもんのひみつ道具「水ビル建築機」の起動音です。ホンマに真面目に書く気あるんか。

とても真面目な14歳のぷらーなさんが、とても真面目な小学3年生くらいだった頃、同じクラスに、Eくんという人がいました。

彼は友達が多く、先生にも好かれていて、クラスのムードメーカーのような雰囲気でした。怒っているところをまず見たことがありません。

たぶん、みんなからすれば、明るく穏やかないい子、だったのだと思います。

だったのだと思います、などと、なんだか引っ掛かるような物言いをあえてしているのはなぜかというと、自分はずっと、Eくんのことが、正直にいって、なんだか苦手だったからです。

そう感じるようになった直接的な原因かどうかは今となっては確かめようがないのですが、ある時に、みんなで折り鶴を折ろう、という授業があったのですね。

平和への祈りを込めて、鶴を折る授業。1945年8月6日に広島県に落とされた原爆の被害を受け、白血病により12歳という若さで亡くなった佐々木禎子さんが、病気の回復を願って、折り紙で1000羽を超える鶴(千羽鶴)を折り続けたことが起源であり、今でも千羽鶴は平和への祈りの象徴として、国際的に知られている……。

というのは、小学校の頃に習った方が多いでしょう。そして、恥ずかしながら、わたくし、折り鶴が折れません。

いや、正確にいえば、説明書のとおりに折って形を作るという行為は、たぶんできます。でも、鶴にならないのです。言い方を変えれば、折り鶴を折るのが絶望的にヘタクソなのです。

それは小学生の当時からで、まあ折り鶴とはいいがたい、鳥でもない、よくわからない物体ができあがり、自分でも「うーん……」とはなったと思います。それを見て、同じ班にいたEくんは言いました。

「折り鶴、折れへんの?」

彼がどんな表情をしていたかまでは覚えていないのですが、ただ、今でもどうにも言語化しづらい、モヤモヤした気持ちが生まれました。

さっき、穏やかで明るいと紹介したように、Eくんは決してイヤなヤツというわけではないし、この反応も、別に自分のことを侮辱するような意図ではなく、自然に出てきた感想なのだと思います。

でも、後年までなんだかモヤモヤは晴れず、以後、ずっと彼のことは苦手で、話したことはありませんでした。

別に怒りではないのです。

いや、むしろ、「おまえの鶴、なんやねん」とツッコまれたなら、言い返しやすいし、それがきっかけで仲良くなれる可能性もあった。

あるいは「おまえバカじゃねーの?」と罵られたほうが、気分的にスッキリした。

Eくんのそれは、どちらでもない。

厄介なのは、しつこく書いているように、彼は決して、意地悪な奴ではないということです。

まあ、もっと性格が良ければ「しゃーないな、教えたろか?」と言ってくれたんじゃないかという気もするので、特にいい奴とも言えませんが、9歳くらいの子供にそんな気遣いを求めるのも酷だし、まあそれはつまり、彼はフツーの奴だったということだと思います。

ヘルマン・ヘッセ先生の『少年の日の思い出』という短編があります。佐々木禎子さんのエピソードは小学校で習いますが、こちらは中学校の国語の教科書で習ったことがある方が多いのではないでしょうか。

教科書に載っている箇所は少年時代のエピソードを切り取っていますが、全体的には、その少年時代の苦々しいエピソードを、大人になった今でも引きずってしまっている、という内容です。

教科書で知っている方も多いでしょうが、このエピソードというのが、完全に主人公が悪いクズエピソードで、なに被害者ヅラしとんねんおまえと言いたくなるような話なのですが、主人公はずっとネチネチし続けています。

なんだこの自己中ヤローは……と、他人事のように思っていたのですが、これ、未だに20年以上も前のEくんのエピソードを引きずっている自分も似たようなものなのでは?と、ふと思いました。

ただ、自分はEくんのことを憎んではいないんですよね。仮に、小学校の同窓会でその話を振られたとしても、別に逆上はしない。

ただ、いま大人になったEくんと再会したとしても、仲良くはなれないだろうなあという気持ちはある。

お互いに多少なりとも変わってはいるだろうけど、その場で楽しく話すところまではできても、LINE交換しようぜという気分にまではならないんじゃないかなあ。いや、わかりませんけど。

憎んではいないにしても、そして、クラスの人気者だったのは事実であっても、わざわざここでそんなフォローしなくてもいいんじゃね?という気持ちもある。

それはただ単に、当時の周囲にいた人々に忖度しているだけで、本当の想いをいえば、ズバリ嫌いだし、実際のところはイヤな奴だと思っていたんじゃね?と問われれば、「もう結構!」と叫んで膝を抱えたくなる。

あ、ヘルマン・ヘッセ先生は、もしかして、怒りではなく、こういう感情を描いていたのか?すげえなヘッセさん。そして、折り鶴を上手く折るコツを誰か教えて。

サウナはたのしい。