見出し画像

時計たちとともに

我が実家には、とにかく時計がたくさんあります。

風呂場とトイレにはデジタルのものが標準で付いていて、そこから続くリビングには、自分が生まれる遥か前から使っているらしい、ピエロがぶら下がった丸い置き時計が、この家の象徴のごとく、ドーンと壁に張り付けられている。

もともとは下のピエロは左右に揺れ動いていたそうで、そういえば小さい頃には、このピエロがびゅんびゅん動いていたような気がする。

しかしながら、現在はその機能は壊れてしまい、いつからかわからないけど止まったままのピエロがそこにいます。もしかしたら、丑三つ時にこっそり動いているかもしれませんけどね。

テレビの横には、細長い置き時計があります。時計の上部にはスヌーピーみたいな二足歩行ができるタイプの犬がいて、その手前にピアノが据えられている。

これも、昔は動きました。アラームが鳴ると同時に、犬がピアノを弾き始めるのですが、かなり長い間この時計のアラームを使っていないので、今でもできるのかどうかは不明。

ダッシュボードの上には、いかにも昭和くさい、数字が蛍光色で縁どられた小さな時計。これもたぶん、自分が生まれる前からある。

5分くらいズレるのは当たり前で、たぶんこいつだけ、時空が微妙に歪んだパラレルワールドにいるのだと思う。

更には、もともとは自分と弟の目覚ましとして使っていた、タマゴ型の置き時計。

これはアラームの曲が15種類くらいあるもので、カーペンターズやビーチボーイズなどの名曲がわんさか入っていたのですが、どれも知らない曲だったので、GLAYとラルクを入れてほしいと思っていました。

今はアラームが壊れ、カーペンターズもビーチボーイズも流れない。こうなってしまった今となると、イエスタデーワンスモアと願わずにはいられない。

当時はあの曲がイエスタデーワンスモアという題目だったことを知りませんでしたが、和訳をググると、まさにこういう状況を歌ったのだな、ということがわかる。

あと、ボーカルのカレン・カーペンターさんはもともとドラマーだったということも、さっきググって知りました。

そういえば、デビュー当時の椎名林檎さんは、ドラムの叩き語りが特技だとおっしゃっていたが、今でもされているのだろうか。

スマホを見るとすぐにこのような余談をしてしまうわけですが、このスマホにもまた、左上に時間の表示があるし、これを書いているタブレットにもまた、右上に時間が浮かんでいる。

ちなみに、ここ1年ほどは、動画の視聴と文章の打ち込みは基本的にタブレットで行っています。どうもこのところ、視力の低下を感じるんでのう。14歳なのに。

紫外線とかを気にしてUVカットのメガネを買いましたから。でも、さりげなく色がかかっていて、サングラスだったりします。いちおう14歳ですし、まだイキりたい気持ちがあるので。

などとダラダラと話が逸れている間にも、時計たちはチクチクタクタクと休まずに動いています。365日24時間労働、賞与もなければ給与もなし。

世界中のすべての人々の生活の役に立てるし、時間を必要としない人はいないので職業差別もされませんが、圧倒的にやりがい搾取であり、本来ならば労働組合を作ってデモを起こしても良いくらいです。

時を刻んでいて偉いと誉め称える人を見たことがないし、秒針の尊みが深すぎてしんどいと推している人も見たことがない。過小評価されすぎじゃね?

そんな時計業界を救済するためなのか、またもやうちのオカンは新しい時計を買ってきました。またもや、といっても、前回に時計を買ったのはたぶん20年くらい前ですけどね。

いや、一時期はフォトフレームもあったから、あれをカウントすれば10年前も買っていることになるのだろうか。あの頃の各携帯キャリアの謎のフォトフレーム推しはなんだったのだろう。その答えもまた、時間をずっと刻んできた時計たちは知っているのだろう。

さて、新たに仲間入りした時計ですが、別に物凄く欲しくて買ったわけでもなく、流し台の横に付いていたデジタルの時計がついに壊れたので、キッチンで時間が見られるように、とのことらしい。

まあ、うちは台所とリビングの間にドアも仕切りもなく完全に繋がっているので、リビングのピエロの時計を見ればいいのですが、どうもこのところ、こちらの調子が悪く、時間がズレたり、唐突に止まったりすることが増えたらしい。つまり、長年つかっているのでそろそろ寿命が来そうなのだそうだ。

それでも完全に壊れるまでは棄てないのが我が家でして、昭和生まれの時計と平成生まれの時計と令和生まれの時計が共存していることに。

それでもって、壊れたデジタルの時計も、表示はされなくなったものの取り外しはしていないので、そのもの自体はなくなっていないのですよね。

これから先、いったいいくつまで時計が増えていくのだろう。

おじいさんが生まれた朝に買われて、おじいさんが亡くなると共に動かなくなった、あの大きなのっぽの古時計みたいな立派なものは、我が家にはひとつもない。

しかし、すべて数千円(ピエロのやつはそれなりにいい値段だったのかもしれんが)の庶民的な時計だけど、あのおじいさんと古時計と同じく、長い時間を共に過ごしていることは間違いないわけで、感慨深いものがある。

この時間を大切にしよう。いま自分がするべきことは何か。したいことをしよう。ということで、スヤスヤとお昼寝をするのでした。時計は休みなく働いているというのに。

サウナはたのしい。