自分探さないインド旅

初めてインドに行きたいと思ったのは高校2年生。その当時ラッドウィンプスが大好きで(アラサーならわかってくれる)、パピルスと言う雑誌に野田さんのインド旅が載っていた。

確か中学生の時にも、外に出たい欲があってお金もないし田舎ののんびりしたところで生まれ育ったから怖さもあって挑戦できなかった。

大学生になってから、今がチャンスという時が訪れた。彼氏と別れたのだ。
ダラダラ続いた恋が終わって、終わってしまうと1〜2日は泣いたけどそれ以降はきれいさっぱり忘れてしまった。
学生時代の失恋は人生のスイッチになりやすい。

その場で「インド行こう!」と思い立って次の日には10万円を握り締めてチケットを取っていた。
ボランティアとセットの旅で、いかにも「自分探し」的な大学生の放浪になりそうだったけど行ってみたら全然違った。自分なんて全然探せなかった。

ホームステイ先は大理石の豪邸

今思えばホームステイ×ボランティアなんてよく応募したなと思う。
(その当時はTOEIC200点だった)
20代前半のバイタリティと常識のなさは半端じゃない。女一人でそんなところに行って、親への反抗もあったのかも。

行きの飛行機は中東系の方々ばかりで、めちゃめちゃ異国感があった。
濃いひげの男性、ヒジャブをかぶる女性。宗教的にも文化的にも考え方が全然違う人たちが一つの飛行機に集まる姿はなんだか物々しかった。

着いて最初にカルロさんと言うコーディネータさんに、ホームステイ先へ案内される。大理石の大きなおうちで都内に住むより大きくてきれいな部屋がいくつもあった。きっとカースト的にも上の方の人だったんだろう。
そこでチャイを入れてもらってビスケットをポリポリ食べた。

受け入れてくれたのはおばあちゃんとおじいちゃん。
インドの人たちはみんな愛想笑いをしない。
初めてあった時にも真顔で「good afternoon」と言われただけだった。
チャイを飲んでいる間に、おばあちゃんはせっせと夕飯のしたく。
魚介系のカレーが出てきて「おお!やっぱりカレーなんだ」と感心しながら横に付けられているのが「チャパティ」と言うインドの家庭的なパンだと知る。ナンよりもチャパティの方がよく食べるらしい。フライパンでできるから。

その日は少しだけ会話をして、部屋に案内された。
そこそこ広くてベッドだけしか置いてない部屋。
こんなところまで来ても臆病な私は「盗まれないように」と毎度キャリーケースの鍵を閉めて寝た。

車と電車と屋台と人。あとは牛。

インドでの日々はそれはそれは非日常だった。雨が降ったら川が氾濫して泥だらけになったり、ガンジス川の分流に足を突っ込んでヒリヒリしたり。ストリートチルドレンにもたくさん会ったし、いろんなもので物乞いしてくる子がいた。手足がない人がお金をください!と札が貼られた箱を持って座っていたり。

東南アジアによくありがちな「道が道じゃない」現象。
交通整備が整っていない上に埃が舞って前が見えない。バスも車もガシャガシャ当たりながらそれでも前に進んでいく。それでも牛だけは器用に避けている不思議な光景。カーストの低い子供よりも大切にされる牛。
悲しい気持ちになんてならなかった。
ここではそんなルールなんだ、と思った。
人によって感じ方は変わると思うけど、私はルールに沿って生きるのが好きな人間なんだなとここで確信した。(就活の時に「法令遵守性は低い」って出たけど。)

物が売り買いされて、人が生き死に、まち全体が埃にまみれて見えにくい。
自分なんてないような感覚になった。

その時は大学生でエネルギーも若さもあって、何かしなくちゃという思いと何も出来ないという自信のなさが何度も振り子のように揺れ動いていた。
大学では外国語系の専攻を取って、外国籍の友達とも話したりしていたけどいつも思うのは「すごいな、同い年でこんな異国で勉強するなんて」という気持ち。でも、自分も飛んだ、異国の地に。
そしたら自分がなくなった。ただただそこにいて、目の前の世界の住人として新しいルールに沿って生きていた。

大学のあれこれ。インドのあれこれ。

ボランティア先はマザーテレサハウスだった。教科書で聞いたことあるレベルだったけど、いざマザーテレサの墓を目の前にすると畏れ多かった。
施設に集まったボランティアも国籍は様々。
こういう出会い方でそのあともずっと続く・・・なんて話も聞いたことあるけど私には無理だった。日本人で一回だけ飲み会を開いたけど無理だった。
みんなキラキラしていて、自主的に動ける人ばかりだったから私とは本質的に違う気がした。私も相当おてんばだけど、何となく性質が合わない気がした。

私は女の子たちの施設に連れて行かれてベッドメイキングとか、マッサージをするボランティアだった。ネイルを塗ったりままごとをしたりと、遊び相手にもなった。子供・・・・そんなに好きではないけど、こんなにもたくさんの女の子たちが家も家族もないという事実だけがそこにあって、それを淡々と受け入れる。ルールだもんな、ここの。と半ば諦観もあった気がする。

諦め癖というのはいつ身につくものなんだろう、と思う。
大学にいてもそうだった。「これは無理」「あれも無理」と諦める。
インドに行っても何も変わらないし、それが強調されただけだった。
でも一つだけ思う。大きな流れは変えられないけど、今目の前にある一つ一つを乗り越えることはできる。絶対に。

妙に人間臭くないところが自分にはあって、世界のどこに行ってもそれは同じだった。仕方ない、こういうルールだから。となんでも諦めた。
夢を語ったり、やりたいことのためには絶対にあきらめない!と語る自分の友達も同僚も信じられなかった。
目の前の一つ一つしか、私には出来ない。
大きな目標を持つと萎縮してしまう。
保守的なのだ、何に関しても。
それでも、たまに飛ぶことがある、異国の地に、知らない場所に。

インドに行って確信したのは、自分がなくなるという感覚だけだった。
自分探しとは対極にありそうで、同じような結果だなあと思った。

インド旅を大人になってからも思い出す。
真顔のインド人、ヒジャブをかぶる女の人、水を変えにくる男の子、物乞い、車、牛。
あの真顔のインド人を見ていると、自分がなくなる感覚を思い出す。
受け入れてもない、自分をよく見せようとも思わない、淡々とした人種。

自分と似ているようで違ったし、違うようで似ていた。

インド旅、自分を探したくない人にもおすすめです。

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