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ときどきライター。

今から三年くらい前、ウェブライターの仕事を始めた。
当時、長女も息子もまだ未就園児で、家で二人をみる生活をしていたから、今思うとかなりいっぱいいっぱいだったのだけど、何を思ったかネットで見つけた「ライター募集」に吸い寄せられてしまってその場でトントンとエントリーをした。

数日後、テストライティングのお知らせがきた。
ガイドラインに沿ってそれらしく体裁を整えた文章をつくり、画像を添付して送信すると、赤ペン先生が如し優しいアドバイスと共に、これからよろしくお願いしますとお返事がきた。
それが私のウェブライターとしての始まりだった。
昼間は子どもたちの世話をして、子どもが寝たら洗濯物を干して、ライティングをする、そんな生活を続けていた。
今思うとかなり無理をしてしたように思うのだけど、社会から離れて三年が過ぎて、少し淋しさを感じていたのだと思う。
毎日が慌ただしくて、淋しいとかなんだとか思う余裕なんてなかったけれど、きっとどこか物足りないものがあったのだろう。
記事を書くのは楽しかったし、ランキングで一位を取れると達成感があった。
けれど、そのうちそのウェブサイトはリニューアルを期にいったん読み物記事の掲載をやめることになり、ちょうど、ぱつんぱつんの生活に無理が来ていた頃、仕事はなくなった。

それから一年以上が経った頃、そのウェブサイトから連絡がきた。
また、読み物記事を掲載することになったからライティングしてくれませんか、というものだった。
すっかりライターをしていたことなんて忘れていたけれど、家族以外に必要とされたことが嬉しくて、またライティングを始めることにした。
前回とは違って、編集の担当さんがつき、褒めてくれたりアドバイスをしてくれたり、張り合いはぐんと増えた。
この担当さんがとっても素敵な方で、私の褒め専用bot かと思うほど褒めてくださって調子に乗りやすい私はどんどん記事を書いた。
そして、やはりライティングは楽しかった。

ところが、末っ子の後追いや離乳食と、どんどん育児の負担が大きくなると、書くペースが遅くなり、そして、ある日担当の編集さんが変わってしまったのを期に、ますます納品ペースは下がってしまった。
新しい担当さんはSEO(検索に引っかかりやすくするために指定キーワードを効果的にちりばめること)をとても重視してして、 その方面でのリライトも、確認のない変更もとても多かった。
読み手を想像して書いた記事が、掲載される頃にはSEOの枠にはまりきったすこし味気のないものになっていることも少なくなかった。
担当さんから着くコメントはよいも悪いもなく、 SEO 云々のことばかりだった。
生意気なことを言って恥ずかしいのは重々承知で言うけれど、ちっとも楽しくなくなってしまったのだ。
ほかのライターさんたちも同じことを思ったのか、ライターチームのslack は以前のような賑わいがなくなり、そのうちだれも発言しなくなった。

こうなるとチームの解散は避けられなくなってしまった。

ほどなくしてチームを解散する旨のメッセージが流れ、仕事はなくなった。

とは言っても、その頃は金銭目的でライターをしていた訳ではなかったし、少々がっかりはしたものの、まぁ、いいか、と思うにとどまった。

けれど、書く場所がなくなったことはさみしかった。
web 上に流れた文章に反応がつくあの感触は恋しいような気がした。
その頃から放置気味だった note の更新が徐々に増えたような気がする。

夏前だったろうか、金銭的な事情がその後加味されて、書きたい気持ちも相まって、またライターをしようと思いたった。
生活のバランスを見直して、無理のない範囲でできそうなウェブメディアやライターの求人を見つけて応募した。

過去のお仕事の URL と note の URL をいつも添付していたのだけど、お仕事を下さる方たちは note を褒めてくれた。
SEO にあれだけ気を配って、読者に役に立つ記事を、と思って書いていたものではなくて、憂さ晴らしのように書いていた note を読んでお仕事を下さった。嬉しい驚きだった。
今も、二件取材が控えているのだけど、またしても、どちらも note を意識してのご依頼だった。有難くて頭が下がりっぱなしだ。
因みに、私の取材経歴は鼻くそほどしかなくて、それでも note を読んでご依頼くださるのだからその勇気に乾杯したいし、 note いてくれてありがとう、と思う。

そして、これを読んでいる取材経験が豊富で親切な誰か、適切で素晴らしい取材のやり方、教えてほしい。 (切実)


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