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思い出の味

 誰にでも思い出の料理があるはずだ。私の思い出の料理は、お母さんの作るオムライスだ。小さい頃、自営業のビルの一角で昔ながらの雰囲気の喫茶店を経営していた母は、よくオムライスを作って出していた。チキンを細かく切って玉ねぎとケチャップとご飯を合わせて炒めたチキンライスを薄い卵焼きでくるりと巻く。今はやりのトロトロ卵じゃなくて、クレープみたいな黄色い卵焼きでチキンライスを包むのだ。そしてケチャップが上にかかっている。お母さんが私に作ってくれる時は、いつもケチャップで私の名前を書いてくれた。私が字が書けるようになるとケチャップの字を私に書かせてくれたりもした。一緒に卵を割ったら卵の黄身が二つ入っていて、そんな卵をはじめてみた私は感動して喜んだ。でもせっかくの卵をフライパンに流し入れる途中でボウルごと落としてしまって号泣した。そんな私を母は、おこらず慰めてくれた。

 うちには住み込みのお手伝いさんがいた。お手伝いさんの料理は彼女の御主人様である祖父と祖母に向けたものだった。明治大正生まれの二人には砂糖が贅沢品だったからか、豊かさの象徴とばかりに砂糖をたっぷり使った料理を好んでいた。二人の好みで煮物やタレも砂糖たっぷりで甘ったるくて、私は全然好きではなかった。だけど彼女が作る味噌汁だけは、私の中で味噌汁の基準となっている。かつおだしと昆布ダシでとったあっさりとしたお味噌汁は、具もワカメとお豆腐だけでシンプルだった。旅館を経営していたから、旅館の朝食で出てくるようなシンプルなお味噌汁が、お手伝いさんのお味噌汁だった。実家を出て自分で料理をするようになって具がゴロゴロ入っているお味噌汁も作ってみて「これだと味噌汁だけでもオカズになるな うん便利」と思うようにもなった。でも、たまにカツオと昆布の味以外はあまり色んな味がしない、すっきりしたお汁のお味噌汁を飲むと「あぁ・・・美味しい お手伝いさんのお味噌汁みたいだ」と味覚とは違う場所で美味しさを感じる。

 結婚して家族ができた今でも朝食によく作るのは、卵サンドだ。これは、お継母さんが教えてくれたメニューだ。正確にはお継母さんはスクランブルエッグをマヨネーズで和えたものを焼いたパンに挟んでいた。

私は半生の卵もボロボロして食べにくいスクランブルエッグも好きではないので、溶いた卵を四角く焼いて小さく切ったハムやベーコンを入れたものをマヨネーズを塗ってパンに挟む。美味しさのポイントは卵に塩少々と砂糖を大さじ1くらい入れること。あとパンに挟んでマヨネーズをかける時に黒胡椒をまぶすことだ。食べるとパンがサクッとして、卵が甘くて、黒胡椒がピリッとして、マヨネーズが塩辛い。これを初めて食べたのは、お継母さんが一人暮らしをしている家に遊びに行って初めて泊まった日の朝だった。朝起きると、お継母さんは、スクランブルエッグを作ってくれて、マヨネーズと一緒に焼いたトーストにはさんでくれた。それは生まれて初めて食べる味で、私が大好きな洋風の味だった。お手伝いさんが祖父母のために作る田舎の味付けの和食ではない。わたしがいつも憧れていた同級生のお母さんたちが子供のために作っている味だ。

18で実家を出てから実家や両親を思い出させるものは本当になんでも嫌だった。思い出すとぞっとして不安になって心臓がばくばくして目の前が暗くなるのだ。実家を出たわたしは、自由を謳歌するどころか典型的なPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症していたのだった。そして以後20年間以上この障害を抱えて生きることになる。だから亡くなった母の墓参りに帰省するときもなるべく実家の近所は通らないようにした。実家の食卓にのっていた食べものもほとんど今でも食べられない。似たような食べ物は、見たくもない。でもこの卵サンドには、全然嫌な思いはなくて今でも作って食べている。あの朝、お継母さんは、優しかった。そして私は、「お母さん」ができて嬉しかった。 

 父と結婚後、お継母さんは一生懸命働いた。経営者の妻として、母として。彼女は、頑張って頑張って頑張った。「立派な奥様」「素晴らしい妻」「しっかりしたお母さん」「文句のつけ所がない嫁」みんなが彼女を褒め称えた。そして私は「立派な親を困らせるわがままな問題児」として扱われるようになった。お継母さんが、頑張れば頑張るほど私は「立派な親を困らせるダメな娘」の役をやるより他に行き場がなくなった。描いた絵がコンテストで入賞しても、成績が上がっても、校則をちゃんと守って、学級委員をやっていても、私は常に「問題がある子」「おかしい子」として扱われ続けた。私の中にいる人格の一人は私を信じていて、私に「あなたは大丈夫よ 前を向いて生きて生きなさい」と言ってくる。でも私の体のもう一人の人格は「あなたは親や周りの人間を不幸にした問題児 幸せになる資格なんてない」と今も私に言ってくる。

 私たちはもう親子には、戻れない。もう戻れないけど、あの卵サンドを食べた朝の嬉しさは今でも私の中で劣化することなく記憶されいる。そして私は今でも卵サンドを息子たちや旦那さんに作っている。


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