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喫茶アンヂェラス閉店。生きた時代が歴史になるということ。

数年前のとある猛暑日。
朦朧としながら浅草を歩いていると

突然、目の前にオアシスが現れました。


**喫茶 アンヂェラス **

私は、お世辞にも甘党とは言えないし、炭酸もそこまで好きではありません。
なのに店内に入った瞬間、どうしても惹かれてしまった、このクリームソーダ。

暑さで体から糖分が出てしまっていたせいかもしれません。
でもそれ以上に、木造の落ち着いた空間、漂う昭和レトロの香り。

「昭和時代、デパート帰りの子供が喫茶店で親にねだって飲んだちょっと特別なクリームソーダ」

に対する憧れが自分の中にあったのだと思います。
この時飲んだクリームソーダは人生で一番おいしく感じ、それ以来クリームソーダが好きになるくらい衝撃的な経験でした。

それ以来、浅草に行くたびにアンヂェラス で
お茶をいただいています。

そして、先日も友人と行ってきました。

この日は、3階への階段を上ってすぐの席に案内されました。隣は階段とフロアを隔てる、木造の柵となっています。

座ってメニューを眺めつつ一息ついていると、
ある音に気づきました。

ミシッ…ギシギシッ…

なんと!人が階段を移動する度に、真横の柵が軋んだ音を立てている!

アンヂェラスの創業は、昭和21年。
70年以上愛されている老舗の喫茶店です。

「そうかあ、この建物も70年以上がんばってきたんだなあ…」

としんみりしていると、
その音を聞いた友人がこう言い放ちました。

「えっ!ミシミシいう!怖っ!」

なんてひどいことを!この建物は戦後間も無くから高度経済成長期、バブル、リーマンショック、何もかも見てきて、長年人々の憩いの時間を支えてきた…

ミシミシミシッ…ギシッ…

え。

怖っ。

そう。
老舗喫茶店「アンヂェラス」は老朽化のため 2019年3月17日で閉店してしまいます。

友人の「怖い」という感想は何も間違っていません。少し体格のいい人が階段を歩くと、小さめの地震かと思うくらい揺れるのです。はい。怖いです。

そう遠くない未来、大地震がくるのでは?と
言われている東京。
「憩いの場」になるための大前提として、建物の安全性は必須です。
老朽化した建物は危険です。少し寂しいけど、感情的になってすがりつくのではなく
感謝の気持ちを込めてお別れしなきゃならない。 「時が経つ」ってそういうことですよね。

友人の言葉にハッ!とさせられました。

こちらをじっと見つめる猫リザさんともお別れです。

店内をぐるりと見渡した友人が、こんなことを言いました。

「こうして、昭和が歴史になっちゃうんだね…。」

昭和が「歴史になる」。
さすが聡明な彼女は、おもしろい表現をするな
と感心しました。

わたしは
父方がずっと軍人の家系。
日露戦争で先祖の誰それが活躍して、太平洋戦争では…なんて話を聞かされました。

母方の祖父は満州からシベリアに連行され
その頃のトラウマをたくさん話していました。

両親は「三丁目の夕日」の世界を生きていました。私が幼い頃、ドライブ中にずーっと流れていたのは山口百恵ちゃんでした。

写真好きの一家だったおかげで、大正時代の曽祖母の写真も家に数枚あるし
祖母は昭和戦前の女学生時代のアルバムを残していました。

写真だけじゃありません。

祖母が成人した時の、この絹の振袖を
祖母は大事に大事にとっていました。
そして私にプレゼントしてくれました。
現代では見たことのない色・柄の美しさに見惚れました。

これをきっかけに、私は、明治モダン大正ロマン昭和レトロの世界にのめり込んでいきました。

だから

明治・大正・昭和・平成

は私にとって地続きなんです。
よく知っている人たちが生きた証が目の前にたくさんある、いわば自分のルーツを辿る物語。
「歴史」って感覚が全くなかった。
生きたこともない時代に、懐かしさを感じた。

明治〜昭和史は教科書をみていて、あ、あの写真のやつだ! おばあちゃんから聞いた話だ!あの写真の服だ!
とか身近に実感があるので、ワクワクしてもっと知りたい!とのめり込んで行った。

逆に江戸以前は実感がないので
単に「出来事や人物名を客観的に覚える作業」
になっていたかもしれない。
江戸以前は、私にとって
「歴史になっちゃってた」んだなあ。

私自身は平成一桁台生まれのアラサーです!
ただ、親が私を生んだのが遅かったので
同年代より親が年をとっている、というのもあるのでしょう。

現に目の前にいた友人は

「特に戦争以前のことは全部、漫画や映画で知った。実感としてないから、うらやましい。」

といっていました。

ということは、もっと若い子はもっと実感がない。「三丁目の夕日」の世界ですら
教科書で見た歴史上の出来事で
下手したら、応仁の乱とかと同じ括りだと
考えているのかもしれません。

当たり前のことなんだけどね。

アンヂェラス も閉店したら姿を消す。
いずれ私みたいにここのお店を知る人間も
時と共に必ず姿を消す。

「昭和21年から平成31年にかけて、浅草にこのような造りの純喫茶があった」という記録だけの存在となり、歴史の1ページになる。

これも当たり前のことなんだけど

そう考えると、やっぱり
なんともいえない切ない気持ちになりました。

まもなく、平成が終わります。
テレビではよく「平成史」が取り上げられています。

平成4年生まれの私は、まだまだ働き盛り。
平成と共に大人になってきました。

自分が生まれ育った、自分の価値観が形成されてきた時間の流れを
「平成史」として振り返られると

なつかしい、愛おしい

という感情と

自分がリアルタイムで生きた時代が徐々に歴史の一部にされていってしまう!
自分のルーツである昭和以前は尚更!

というへんな焦燥感で
いっぱいになります。

でも、時代が変わったからといって
突然人々の記憶がリセットされて新時代の人間が誕生し時代を牽引する!なんてSF映画みたいなことは現実には起こらない。

私たちはこれからも毎日せっせと生きていく。

私が、自分の両親や祖父母たちの生きた昭和、大正に自分のルーツを感じるように、これからの世代にも「平成が自分のルーツ」と感じてもらえるように。

この先何が起きるかなんて誰もわからない。
けれど平成を生きたわたしたちも、昭和を生きた人々も、間違いなく新時代を牽引する人々の一部なんだ。

その時代を生き、経験したからこそ
導き出せる答えもきっとある。

まだまだ、ただの歴史の1ページになんてなってやるものか。


アンヂェラスは閉店して姿を消すけれど
私のようにお店に行ったことがある人が
そこでの思い出をニコニコ語っているうちは
アンヂェラスは消えない。
このお店だって、まだまだ歴史にならないぞ!


ありがとう、アンヂェラス。


この日、店頭でメニューを見て
なんだかんだまだ若者の私は
ツヤツヤのイチゴがたくさん乗って
おしゃれで今時風の見た目のイチゴタルトに
目を惹かれました。

でもいざ席に通されると

木造の落ち着いた空間、漂う昭和レトロの香り

あの日のクリームソーダのように
イチゴタルトには目もくれず
気づけば

コーヒーと
「アンヂェラス」
を注文していました。

一口かじると
ホワイトチョコレートがパリッ

そして手作り感溢れる
少し水分が飛んだ、けどフワッとした
カステラ生地。

コーヒーを口に含むと、
その少し乾いたカステラに染み渡る。

この瞬間、この場所で
「アンヂェラス」というケーキは
どんな高級ホテルのラウンジのスイーツよりも
ずっとずっとおいしい!

私はそう感じました。

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