HSP・HSCについて考える③~社会的要因からみるHSPの浸透と、遊戯王カード的なHSPの活用の危険性~

こんにちわん、こんばんわん!心理学が好きな犬です。恒例と化したHSP・HSCについて考えるシリーズの第三回です。

第二回ではHSPがブームの訪れに対し、それによりビジネス化する危険性があることを述べました。

では、そもそもなぜ今HSPがブームとなっているのでしょう?これは一過性のもので、徐々にその言葉の効力は薄れていくのでしょうか?そのような視点で第三回、スタートです。

 まず、最近になってHSPかもしれないと思う方々が増えてきているというのもやはりその言葉、その概念のメディア露出が増えてきたことは大きいかと思います。

コロナ禍というのも、HSPの概念の浸透に寄与しているのではないか?ということも私の個人的な考えとして持っています。

マスクを必要とする社会の中で、ただマスクを外すことだけでも周囲に気をつかわなければならない社会的な状況。

ある意味、これは社会に適応する上でのマナーとも言えるでしょう。

他者に自分の飛沫を飛ばしてしまうのではないか、咳をしてしまうと周囲に不快な思いをさせてしまうのではないか、などコロナ禍において社会共通の過剰ともいえる他者への配慮「私自身の繊細さ」と錯覚してしまっていることはないのでしょうか?

コロナ禍で今まで以上に気をつかって生活しているからこそ、メディア露出が増えてきているHSPの概念に自分が合致していると感じ急速に浸透しているのではないか、という持論です。つまり繊細さを社会が必要だと強いてきて、それを個人がHSPと定義してしまうという流れですね。

この辺は、統計的な数値も不十分なので話半分に聞いてもらえたら幸いです。(卒論、修論等で扱うには面白そうなテーマですね)

そのような、社会的な要因もどこかに含んでいるとするのであれば、今後HSP・HSCの概念、言葉はさらに浸透していくのでしょうか?それとも、いつの間にか忘れ去られ、ツイッターのプロフィールからもHSPの記述が消えていくのでしょうか?

HSP・HSCを自称する一人ひとりが、学校や会社といった社会生活の場において「名刺」としてHSP・HSCを自称する分には問題なく受け入れられるとは思います。これが「遊戯王カード」として使われてしまうと難しいような気がしています。遊戯王カードを例に挙げたのは遊戯王世代だからで、これがバトスピでもデュエマでも構いません。

名刺としてのHSP活用は、Twitterのプロフィールに記載することにあるように「私はこういう人なんですよ」という自分を知ってもらうために周知するというものです。特に感覚の過敏さなどは周囲の環境が理解していることで生きやすくなる場面は多いかと思います。

遊戯王カードとしての活用は、「うちの子はHSCなので、○○はさせないでください!」だとか、「私はHSPで○○は苦手なので××はできません!」のような感じで、環境に対しHSPをカードゲームで言うところの魔法カードや罠カードのように使うイメージです。学校や会社においてHSPへの共通認識がまだまだない状況で私はHSPである、HSCであるということを主張しながら特定の刺激・状況を免れるというような使い方をしてしまうと、誤ったHSPの概念の浸透に繋がっていくように思います。

ここまで書いておきながら、うまく例えられているか不安なのですが(笑)

心理士(師)として、Youtube上に大量に投稿されているHSP関連の動画のサムネイルを眺めながら今後どのようにHSPの概念が浸透していくのかを傍観するしかありません。否定するでもなく、肯定するでもなく、見守るしかないのです。

また、コメント等でいろいろと意見を頂けたら幸いです!

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