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人は成長ではなく適応する生き物

人には自己成長の欲求があると言われている。

それは確かに正しいかもしれない。

カウンセラーの小宮昇さんは、自己実現への欲求があるから赤ちゃんは歩けるようになると言う。

確かに、赤ちゃんのような生活を出来たらどれだけ良いかと願う人は少なくないだろう。

一日中寝ていて、泣けば構ってもらえて食事が出てきて、オムツを変えてくれるわけだ。

実情はそこまで単純なものではないが、側から見ればそう見えるという事である。

しかし、それにも関わらず、赤ちゃんは必死で立ち上がって歩けるようになろうとする。

これは自己実現欲求の証だ。

そして、我々はもっと賢くなりたい、もっとスポーツが上手になりたい、もっと仕事ができるようになりたい、と願っている、と思われている。

しかし、実際は、そのような成長はごく稀であるように思う。

なぜなら本来生き物は成長を求むものではない。

だから、現状十分に満足して生きていけているのに今以上に成長しようとは思わないのが普通だ。

しかし、現代社会はそれが悪のような風潮を作り出してしまった。

なので、『自己成長しよう』みたいな類の本や情報、プログラムがあらゆる所に散乱していて、皆どれに投資するべきか決めかねているわけだ。

ただ、僕の経験上、たとえどれだけ有能な情報や人にありついても、成長を求めている限りそれは起きないように思う。

なぜなら、先ほど述べたように、人は他の動物達と同じで成長を求む生き物ではなく適応を求む生き物だからだ。

生物の進化の過程で環境への適応がどのような場面で起こっていたかというと、必要に迫られた時だ。

哺乳類だが水中で生きていくことを決めたクジラやイルカは、我々の手となる部位をヒレとして泳ぎに適した体の構造になった。

低い場所に生えている葉っぱは他の動物達に食べられ、高い場所の葉っぱしか食べられなくなったキリンは首を伸ばしてその環境に適応した。

首が他より短いキリンは絶滅していったわけだし、何より興味深いのが、こんなに首の長さが違うのに、人間もキリンも首を構成する骨の数は変わらないということだ。

つまり、構造上は同じなのだが、環境の適応を迫られた事によってそのフェノタイプは大きく変化したわけである。

というように、人間も含め、動物が本当に変化するのは、その必要に迫られた時だ。

という事実を考慮に入れた時、考えるべきはどうすれば成長できるか、教育する側にいる人間はいかに成長させるかではないのかもしれない。

それよりも考えるべきは、いかに今が適応を要する場面かと感じさせる事だ。

環境への適応が必要とされない場面においては、自発的な変化は起きづらいと思う。

起こせる人もいるかもしれない。

しかし、僕は今のところそんな人を知らない。

ダイエットをしようと決意してできない人でも、コレステロール値が上がり、血中糖度が上がり、身の危険を感じて初めて動き始めるわけだし、

生活習慣を変えれない人でも、その生活習慣ではもう時期死んでしまうとなれば、おそらく習慣なんてすぐに変わるはずだ。

なぜなら、その変化が今求められているからだ。

そんな状況にならない限り、人は成長など求めないのかもしれない。

人は成長ではなく適応を求める生き物。


最後まで読んで頂きありがとうございました。

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