人生が物足りないと感じる理由
『人生がつまらない』とか『なんか物足りない感じがする』と思っている人は相当多いように思う。
そして、そういう人は、文字通り、何かが足りていないように思う。
だから、みんな頑張ってお金を稼ごうとする。
ほしくもない高級品を買ってみたり、身の回りばかり綺麗にしようとする。
しかし、物足りなさから来る金欲は底なしで、どれだけ稼いでも足りないように感じてしまう。
どれだけ生活のレベルが上がり、どれだけ生活が充実しても何かが足りないような感じがしてしまう。
それは、物足りなさの原因が許された権利の不足によるものではないことを示している。
どういうことかというと、今の我々は基本t系になんでもできる。
好きな仕事をして、好きな事をして、どこにでも住めて、スマホ一つで基本的になんでもできてしまう。
戦時中の日本や独裁国家の国ではさまざまなことが禁止されている。
それに比べれば、今の日本では規制は少なく、基本的にはなんでも許されている。
それなのに満足できず、今生きている人生を幸せに感じることができないからである。
それは、もっと自由が必要なわけではない、その逆である。
もっと自制が必要なのだ。
人は自由を恐れる。自由を求めながらも、いざ自由になると自分を縛り上げて動きを制限してくれるものを探し始める。
封建制度の時代にあんなに自由を求めていた人間たちも、ルネサンス時代に入り、いざ自由を手に入れるとその不安と恐怖に耐えきれず、その多くが宗教を頼った。
その当時に人気を博していたルターやカルバンなどの宗教改革家に救いを求めたわけだ。
人は時々、欲しいものをなんでも手に入れたら物足りなさは解消されると思っている。
しかし、実際はそうではない。
なんでも手に入れられる時代だからこそ、その中から本当に必要なものだけを厳選して手に入れ、さらに不要な快楽に対してはきちんと自分をコントロールできるようになることでその物足りなさは解消されるのだ。
1日に何時間も何時間もSNSに張り付きになっていてはいけないわけだ。
仕事をする代わりに快適な部屋で横になって好きな映画を見ることもできるわけだ。
お腹がすけば24時間いつでも美味しいご飯が買える国になってしまっているわけだ。
そんな社会で、お金を気にせずなんでも変えて、なんでも食べられることが人生を充実させるわけではない。
今は食べる時ではないという時には我慢をして、本当に必要なものを選りすぐる力を養う必要があるのだ。
今、この社会は自由になり過ぎている。
誘惑まみれで自由になり過ぎたこの社会で、自分をうまくコントロールできるほど人間はよくできていない。
だから、人生が何か物足りなく感じてしまうのだ。
自由を手に入れたわけではない。
自由の奴隷になってしまっているのだ。
そうならないように自制ができるようになることで、人生はより豊かなものになるのではないだろうか?
人生が物足りないと感じる理由。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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