『そういうあなたはどうなのよ』(whataboutism)
人は一人では生きていけない。
だから、いつも誰かと支え合いながら生きているわけだが、時にはぶつかることもある。
価値かにゃ考え方は十人十色なんだから、それはごく自然なことだろう。
その時は話し合って、お互いがお互いを理解した上で問題を解決していけば良いだけの話である。
しかし、論点がずれて問題解決とは全く違う方向に行ってしまったり、議論のはずがいつの間にかただの批判や攻撃になってしまうこともある。
そんなふうに、議論の中で論理が捻じれたり、心理操作されてしまうことがあるのだ。
そんな心理操作の一つに『whataboutism(そういうあなたはどうなんだ主義)』というのがある。
あまり聞きなれない言葉かもしれないが、アメリカでは冷戦直後くらいから用いられ、意外と良く聞く言葉らしい。
僕も最近知ったばかりの言葉である。
これはどのような心理操作なのかというと、その名の通りで、本来自分の問題について議論しているはずなのに『そういうあなたはどうなのよ』とか『なんで俺だけなんだ、あいつもやってるじゃないか』というように別のところに論点をずらして自分の問題から目を背けようとする行為だそう。
元々、旧ソ連が自国を批判したジャーナリストを死刑に処した事件で西側諸国から猛烈に批判を受けていた時。旧ソ連が『アメリカだって黒人を無差別に迫害しているじゃないか』とアメリカの問題にすり替えようとしたことがこの言葉の始まりだそうだ。
この行為は多くの人にとって心当たりがあるんじゃないだろうか。
『なんで私だけ』『そんなあなたはどうなの?』『あの子だってやってるよ』など、
僕も何度も言っていた記憶がある。
特に恋人同士や夫婦同士での喧嘩の話を聞いていると、この『whataboutism』がよく見られることがある。
自分の間違いのはずなのに、相手の問題に目を向けさせて問題をすり替えようとする。
しかし、仮にそうやって自分の代わりに相手を批判してみたり、他の誰かも同じようなことをしているからといって、自分の問題や間違いが『正しい』に変わることはない。
それを容認してしまうと、いつまで経っても問題が解決しなくなってしまう。
特に日本は村社会なので、何か村で問題が起きるとまずは犯人探しから始める。
そして、みんながみんな自分は悪者になりたくないから他の誰かに問題点を探し出そうとする。
そんな癖がついてしまっているせいか、まぁすり替えの上手いこと上手いこと。
確かに自分の問題と向き合うことは辛いし、認めて反省することはストレスである。
しかし、そうしなければ良くならないし、成長もしない。
もし、自分の問題や欠陥を指摘された時、『そんなあなたはどうなんだ』と言ってしまっている人は一度グッと堪えて、『確かに』と認めてみてほしい。
それが自己の成長につながるだろう。
『そういうあなたはどうなのよ(whataboutism)』
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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