自分が一番可愛いと認めるほうが楽ではないか?
自己中心的な人間は嫌われる。
その証拠にナルシシストはあまり好かれない。
ナルシシストとは、端的に言えば『自己愛の塊』である。
異常なまでに自分のことが好きなのだ。
よく考えてみれば、ナルシシストは基本誰にも迷惑をかけない。
強いて言うなれば共感力や思いやりの欠如というところだろうか?
しかし、哲学者の中島義道さんも仰るように『思いやり』は暴力だと思っている僕からすれば、ナルシシストに対して全く持ってネガティブ要素が見当たらない。
余談だが、ナルシシストに似た人種として『サイコパス』や『マキャベリスト』と呼ばれる人種がいる。
彼らは時として他人に害を及ぼすかもしれない。
『ナルシシスト』『サイコパス』『マキャベリスト』の3つをくくって『ダークトライアド』と言われたりするが、実は同列ではない。
ナルシシスト全員がサイコパスではないが、サイコパスは全員ナルシシストだと言って間違いないと思う。
と、同様に、サイコパスが皆マキャベリストではないが、マキャベリストは全員サイコパスだと言っても過言ではないだろう。
サイコパス、マキャベリストのそれぞれの説明は今回は省略するので、気になる人は調べてみてほしい。
つまり、サイコパスはナルシシストのサブカテゴリであり、マキャベリストはさらにその中のサブカテゴリだということができる。
つまり、このサブカテゴリに属さない限りは人に害を及ぼすことはほぼほぼないと僕は思っている。
しかし、なぜか『ナルシシスト』というと嫌われる傾向がある。
その原因は簡単で簡単で『自分のことを他人のこと以上に愛しているから』である。
この傾向は日本では特に顕著であろう。
なぜなら、日本は村社会であり、自分のこと以上に他人のことを優先し、他人のことを考えることが美徳であり、それができない人間はその村から排除されていたからである。
しかし、実際のところどうだろうか?
そんな人間は存在するのだろうか。
僕はそのような人種の存在ごと否定したいと思っている。
よく、『他人に迷惑をかけたくない』という人がいる。しかし、厳密にはそうではない。
『他人に迷惑をかけている人だと見做されたくない』という方がしっくりこないだろうか。
もしくは、『〇〇のために』という人もいる。
しかし、そう言う人たちは『〇〇』に何かを施すことで何を欲しているのだろうか?
賞賛か感謝の言葉か、承認か金銭か地位か、なんでもいい。
実際のところ、そのどれもがないと分かった状態で『〇〇のために』何かしたいと思える人がどれほどいるかと聞かれたらほとんどいないだろうと思う。
ただ、それがダメだと言いたいわけではない。むしろそれでいいのだ。それが自然なことなのだ。
中野信子さんがテレビ番組で『不倫をするのは人間の脳の構造上、ごく自然なことだ。「なぜ人は不倫をするのか」という問いは「なぜ目がふたつあるのか」と聞かれるほど難しい問いである』と話していたが、それと同じ感覚である。
なぜそこまで「ナルシスティック」なのかと聞くのはかなり不自然だ。
人間とはそういうものだからである。
なので、それを責めてそれを改善しようとするのは現実的ではない。
それよりも『自分が一番可愛い』と認めてしまうことのほうが楽なはずだ。
そして、すべての行動は自分のためだと割り切るほうが楽だと思う。
その副作用として誰かの役に立ったり、誰かが救われれば万々歳だ。
しかし、別にそうならなくてもいい。その代わり自分が満足いくことをしないといけない。
そして、そうしている自分を許すことが何よりも大切なことだと、僕は思う。
自分が一番可愛いと認めるほうが楽ではないか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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