令和だからこそ、必要になっている精神論があるって知ってた?
昭和から平成そして、令和へと時代が移り変わった。
平成の半ばからは昭和から当たり前であった、精神論が少しずつ疑問視されていた。
令和の時代では精神論がすっかり影を薄めている。
技術の向上で今まで見えてこなかった理論が見えるようになっている証拠だろう。
だが、それは自分自身が行動に移した後の話。
自分自身の習慣や何もしていない状態から行動に移るときは、精神論っぽいことが未だに必要なんだなんて思う。
習慣や行動に取り掛かるとき必要になってくることが、 “自分との闘いだ”。
仕事や勉強をしようとした時、ましてや掃除をしようとした時でさえ“自分との闘い”を必要とされる。
ボクたちにはふかふかのベッドがあり、そこに横になればリラックスすることが出来る。
そして、目を瞑れば夢の世界に行くことさえ出来る。
それだけじゃない、親指のタップ1つで世界中の情報へとアクセスできる“天使のようで悪魔のような機器”もある。
やるべきこと、やった方がいいことを数多くの誘惑で後回しになってしまう。
なぜ、そうなるのか?
“楽”だからだろう。
“自分との闘い”
“最大の敵は自分自身”
とは良く言ったものだ。
しかし、ボクはもう少し言葉を付けたしたい。
“最大の敵は楽な道へいこうとする自分”
個人的に今の現代社会にはしっくり来る言葉だと思っている。
例えば、
今日の午後までに自宅で済ませておかないといけない仕事がある。
一旦、例の天使のような悪魔のような電子機器を開いてしまうと一瞬のようにして、1時間・2時間と時間が過ぎ去ってしまう。
気づけば、外が真っ暗になっていたなんてこともある。
仕事を急ピッチでやらなければいけない。
急ピッチでやると必ずといっていいほど出てくる“焦り”。その日に終わらずにいれば、明日へと持ち越しだ。
明日へ持ち越しとなれば、明日の予定が潰れる。
後回しにしてしまうことで、
・焦り
・あったはずの時間が消え
・時間があれば出来たはずのことが出来なくなる
ヤバイという焦り、あったはずの時間、出来たはずのこと、これら全部がストレスに変わる訳だ。
後回しは、結局ストレスとなって自分自身の下へ帰ってくることになる。
“楽な道へ進む”ということは未来の自分への負債になってしまう。
楽な道へ行ったはずが、後になると自分を苦しめる。
自分をストレスから守るという意味でも、楽な道に進もうとする自分を引き止めて欲しい。
その道に進んでしまうと、簡単には後戻りできない。
“楽”は中毒になる。
家にいる時間を大切にすると共に、ボクらは目の前の楽と引き換えに気持ちの余裕と時間を売っているということ常に心に留めておきたい。
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