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Luminary Talk! vol.15 横浜創英中学・高校校長の工藤勇一さんに聴く〜「これからの時代に私たちが実現したい民主主義」〜”誰一人置き去りにしない”学校改革から学べること〜 後編

Project MINTでは、大人がパーパスを起点に新しいステージに移行するための学びのサポートプログラム・コミュニティを提供しており、特別パネルディスカッション「Luminary Talk」を開催しています。「Luminary Talk」では、Project MINTアドバイザーやパートナーの一人ひとりにフィーチャーし、ユニークな経歴を持つ彼ら・彼女たちのストーリーや変遷を、一般参加者を含む皆さんと共有しています。

今回はシリーズ第15弾 ー 横浜創英中学・高校校長の工藤勇一さんに聴く〜「これからの時代に私たちが実現したい民主主義」〜”誰一人置き去りにしない”学校改革から学べること〜を開催しました。

本記事はProject MINT修了生の二人、さなぎりなさん(5期生)と川井美奈子さん(3期生)とによるレポートです。
前編、後編に分けてお届けしており、こちらは後編です。

前編はこちらからどうぞ

《工藤さんのお話》

トークテーマ3 ”真の民主主義”に向けて大人が担える役割は?

植山 大人が増えていく高齢化社会で、子供が民主主義を体得したときに世の中で発揮できる社会を作るにあたって大人の役割は何でしょう。

工藤:大人の役割というのを「教師の役割」と理解します。
対立が起きた時に、最上位目標を見つけられればもう対立は起きていないと言えるのですが、会話を通じて最上位目標を見つけていくのは経験を積まないと難しいことです。そこで初めは適切な最上位目標を見つけてあげ、対立が起きたらもう一度最上位目標に戻って握手をして、また合意の手段を考える、という訓練を子供のうちに繰り返せるようなサポートが必要です。
まずは学校の先生が民主主義を理解するところから社会の変化が始まると思っています。

麹町中学では運動会を体育祭に変えた時に、最上位目標は私が用意しました。たった一つ、「全員を楽しませて。」というものです。運動が嫌いな子も運動が大好きで思いきり競争したい子もみんなが楽しんでやれる体制をつくる、というのは全員がOKな目標になります。

子供にいきなり全部渡してしまうと、目標は世の中を反映して「団結しよう」など情緒的なものになってしまいますが、適切な最上位目標があれば対話が進みます。
また、政治教育として模擬選挙などを行うところもありますが、外で行われていることの模倣や批判の前に、自分の社会を当事者として運営することの難しさを体験により覚えさせることが大切で、それが本当の主権者教育です。

植山:学校の先生ではないけれど子供の教育に関心があり日本を真の民主主義の国にしようとしている、そういう大人にできることは何でしょう。

工藤:「皆がOKなところで握手できる、というところまで対話をしにいく」という概念をきちんと伝えていくことですね。情緒的な同調ではなく、個々の存在意義がきちんと保たれる技術を身に着けるサポートをするのです。子供たちがトラブってる時には、それで傷ついたりどうにもならないという貴重な経験をしています。口を挟んで仲裁してしまうのでなく、トラブルで嫌な思いをしてどうしたら解決できるだろうと学んでいることを支えてあげるのは大切です。

トークテーマ4 ブレずに改革するには?

工藤:自分は普段は淡々と理性的に物事をとらえる習慣をつけようとしていますが、ブレずに、ということになると感情が出てきます。易きに流れたい、ということは、自分にも若い頃特にありました。ここはやらねばならない、と分かっていても、やれるかやれないか、という時には、「これは何のためにやるのか、人のためになるか」と自分に何度も問いました。そしていよいよという時は、当時幼かった自分の息子たちに将来、うちの親父はどっちを歩いたのだろう、と問われることを想像して支えられました。このように苦しい方を選べるか、こちらを選ばなければならない、ということを繰り返してブレないことに慣れていきました。

トークテーマ5 2050年の未来

工藤:日本が世界の民主主義の一翼を担うことができると思います。日本中の小学校で、誰一人置き去りにしないために対話をして上位で合意する、というプロセスを感じさせることができる学校教育がなされて行ったら、日本社会が、政治も含めて、もっと国際的にきちんと対話ができるようになっていくと思います。イギリスのEU離脱をみると、民主的な社会を作ろうという理念のもとに作られた奇跡的な組織のEUからもナショナリズムに走りギリギリのところで脱退するような、危ういものということが分かります。平和でいるために日本が一翼を担えるようになると思います。

《会場からの質問と答え》

質問:工藤先生の学校改革では、どのように最上位目標を定めたのでしょうか。またどのようなプロセスですべての先生がその目標を受け入れたのでしょうか。また価値観の対立が起きた時はどのように対応したらよいでしょうか(学校の先生からの質問のようですね)
 
答え:すぐには最上位目標は出しませんでした。麹町中ではまずは校長が子供や父兄、教員と同じ土俵に立つ状況作りと、教員は文句ばかり言っている集団という現況をなくすことをしました。先生方に学校の問題点を挙げてもらい、分野別に解決策を考えてもらうと340件も挙げられた問題の半数が改善され、学校は変えられるという実感を得てもらいました。そこで半年経ち、私から教育目標を変えるという宣言とともに8つのコンピテンシーの素案を出しました。これを先生方に叩いてもらい最上位目標としました。当時まだ目標は飾りと思われていましたが、ことある度にこの目標を達成するためだから、と繰り返しました。すると、目標達成のためのアイディアを出そうとするようになり、お飾りでなく達成するのだということが実体験で訓練されていきました。子供たちも同時に体験していき、子供たちの方が純粋に答えを出そうとするのでできるようになるのが少しだけ早かったです。そういう成長の元に2年3年という時間の中で変化していきました。

質問:麹町中学のような明確で具体的な文言を学校の共有ビジョンとして挙げている学校が少ないですが、その理由は何でしょうか。
 
答え:目標は実現するためのものという文化がなく、お飾りになっているためでしょう。麹町中の「人間尊重と相互信頼を基盤として、平和で民主的な国家及び社会の形成者を育成することを目指す」というのは僕が作った言葉です。麹町中の創立の時の資料を探したら、昭和22年にはなく、昭和24、5年のものが見つかって、これと同じでした。途中で違う目標に変わっていたのです。創立の戦後間もなくの時期には真剣に民主主義を考えた人々と、二度と戦争をしてはいけない、本当に平和な国を求める想いがあったと思います。

質問:戦争という手段を選択する大人たちがいるという事実はどう解釈すればよいでしょうか?またどのように解決することができるでしょうか?

答え:これは難しいですね。答えなんか出ませんよね。
もし今本気で戦争が起こったら滅びてしまう。科学技術の進歩が、コントロール不可能なところまで来てしまいました。
心や同質性を重んじる日本の国民性のもとでは、民主主義を子供のころからしっかり理解が出来たらあっという間に浸透すると思います。人類は最終兵器として平和でいる力というのを持っていて、子供のうちからしっかり民主主義を教えることでその力を身につけていくしかないと思います。

《イベントを終えて:感想》

MINT3期生  川井美奈子

まず、多数決は民主主義だというのは思い込み、バイアスだ、と伺ってすっきりしました。そして、誰一人取り残さない民主主義を学校で子供たちに教えていく意義と方法を確信をもったお話で伺うことができました。教職にある訳ではない一般の大人の私も、今までの延長では立ち行かないVUCAの時代にあって同調に走らず、異なる意見を大切にしたいと思います。ばらけた意見を扱うことは一見効率が悪そうですが、改めて目的を問いなおすことで、今まで見えていなかった目的と道筋に出会えるように思えます。
淡々と改革を語られる工藤さんですが、やらねばならないけれどやれるか、というぎりぎりの場面を幾つも乗り越えてこられたご様子です。「みんなのため、利他」の選択が苦しい時、逆に最もプライベートな人の存在が心の支えになったこと、また辛い選択を繰り返すうちに慣れてできるようになってきたというお話は迫力がありました。
近著と合わせて大変有意義なお話を伺うことができて感謝です。一人でも多くの方に知ってほしいと思います。

MINT5期生 りな(Sanagi Rina)

「学校で教える民主主義」の可能性   

「千代田区立麹町中学校の工藤校長が、びっくりするような学校改革をしているらしい」。いつの頃だったか、そんな噂を耳にして以来、気になる教育者の一人だった工藤さん。今回、ミントのトークイベントでお話を伺って、眼差しの真剣さが際立っていると第一印象を持った。
宿題や定期考査の廃止、話し合いによる合意形成、「何のために」を意識した学校運営。多くの実践を積み上げた工藤さんのお話は、具体的で説得力もあって、興味深い内容だった。「誰が悪い」「社会が悪い」と悪者のせいにする文化が学校内に蔓延していて、さらに保護者も教師もそんな思考回路に染まっていたことをズバッと指摘された。
「誰かが居心地の良い社会や学校を作ってくれる。自分はその利益を享受する立場なのだ」。そんな消費者的な一方通行の権利意識が日本社会に浸透しきっていることに問題意識を持って、工藤さんは自身が行動した結果を語ってくれた。そして、「誰一人取り残さない社会」は実現可能であると、学校改革を通して私たちに示してくれたのだと感じた。
麹町中学校の先生たちは、工藤さんが校長として提示した「最上位の目標」を、最初は「お飾り」だと受け止めていたという。ありがちと感じた。私が生徒として所属していた学校でも、「現実とリンクしていないスローガン」が決定され、その言葉だけが教室や体育館の宙に浮いている場面が何度もあった。学校は、言葉が現実味を持たなくてもいい世界なのだと生徒は受け止めた。ちょっとした裏表のようなものか。
いま民主主義の危機がさまざまなところで指摘されている。「核兵器の行使」が論じられ、誰もがひるんでしまいそうな世界情勢の中で、私たちは生きている。しかし、工藤さんは諦めていないようだった。「私たちが最終兵器として持っているのが、学校で教える民主主義です」という力強い言葉が心に残った。

MINT5期生 ナッキー(Yasuhiro Nakui)

「モノゴトを決めるときに多数決を使わないこと」と聞いて1つ思い出したことがある。そして、もっと早く工藤さんに会いたかったというのが率直な気持ちだ。工藤さんのお話にあった「みんなが握手できる最上位目標をどこにおくか?」はまさにその通りだと思った。しばらく前、私の高校で教員を10年していた。私はたまたま前任者から引き継いだ学際的なクラスを担当した。たぶん、そのクラスはどの教員もやりたがらないクラスだったと思う。
その理由は、クラスの中で扱うことが決まっているわけではないことと普通教育と工業教育といった異なる鎧を着たオトナが話し合わなければクラスが成立しないからだ。
当時、そのクラスで私が5年に渡って担当した約350名の高校3年生たちは、なぜか圧倒的に自分に自信がない一方で、不平・不満を豊かな表現力を持って伝える力には長けていた。そこで私は「不平、不満をいう大人を作り出したくない」という違和感をもった。だからこのクラスではもう1人の教員と夜な夜な議論をして「一緒に働きたいと思う人材」=「社会に文句をいう人を作らない」と決めた。2009年から2013年まで越境学習とプロジェクトマネジメントという方法を使ったカリキュラムを開発して、高校、大学、企業による共同研究をしていた。私が勤務していた地域において「災害が起きても誰にとっても美しく、かつ強い社会インフラと地盤を作って下さい」という目的を設定した。完了要件は3つ。
 ①当時の生徒たちにはチームで仮説検証のための実験を繰り返す活動を課し、解決案を企業、または大学院に所属する4人の博士号取得者に期日までにプレゼンをすること。
 ②各チームでプレゼン内容を決める過程において、多数決を使うことを禁止としたこと。
 ③自分たちの成績の10%程度は自分たちで決めて良いこと。
*その約10%は私がそのまま成績に加算することを約束したこと。
クラスの終わり頃には自己肯定感も自己効力感も圧倒的に低かった生徒の多くは「自分で決めることって超楽しい」ということを私に告げて卒業した。
あれから、15年以上経っただろうか?
たぶん、どこかで私と一緒にいろいろな領域で社会を作っていると思うとなんだか嬉しくなる。安易に多数決に流れるのではなく、正面からモノゴトを考え続ける人材であって欲しい。
現在、”Learnability Recrafts the Future”という自分のパーパスを土台において、私は企業などで仕事をしている。
工藤さんが指摘するように「多数決というモノゴトの決め方=意図的でないにせよマイノリティを切り捨てることを含むに慣れたオトナ」が今の社会を作ってきたのだとしたら、唯一の正解がない状況では何かが犠牲にされてしまう構造になる。
企業活動の文脈でDiversityとInclusionそしてEquityが語られるようになってしばらく経つ。
最上位目標で握手をするためには単純な精神論は役に立たない。
もしかすると、工藤さんが進める民主主義の手続きができる人材育成に並行して、オトナがInclusion→Diversity&Equityの順番で学び続けることができると、自分が高齢者になったときに社会を作っている世代と握手できるのではないかと想像した。

MINT 4期生 Maya

「最上位の目標を明確にしておき、対立が起きた時にはそこに立ち戻り対話を続けることで民主主義の理解につながる」というお話からある場面を思い出しました。子育ての場において夫婦(子にとっての父母)の考え、意見が異なることは子どもに混乱をもたらすから2人で意見を合わせた方がいいか、それとも異なる意見を伝えていいか、について議論したことがあるのですが例えば子どもが理由もよくわからぬままに「学校に行きたくない」と言い出した時、父は「学校は理由もなく休むところではない。世の中したくないことでもしないと生きていけない」と言い母は「行きたくないのなら休むのもあり」と言った場合、子どもからしたら「行く」「行かない」で父母の意見が分かれているためどちらを選べばいいのか困惑するし、「自分のせいで両親が対立した」と感じてしまうこともあるでしょう。
でもこの時「学校に行くか、行かないか」についての意見の対立として捉えるのではなく「子どもの幸せ」という目標のための対話だと捉えたら・・・
「子どもの幸せ」という目標(願い)に立ち返れば父と母の意見はどちらもありだし、子どもは「自分の幸せ」に照らし合わせて考えれば良く、子が学校に行っても行かなくても(3人の共同)目標は達成できるわけで
子どもへは「父と母で示した道は違うけれど、最終的にあなたが幸せになることを目標に選べばいいし、どちらも選ばず第3の道を一緒に考えてもいいよ」と伝えることが大事かもね、ということに落ち着いた場面なのですが
工藤校長先生のお話をうかがって家族という最小の社会においても
*誰ひとり取り残さない
*社会をなんとかできる当事者である
*対立を超えて対話から新しい世界を生み出す
という民主主義の体験を積み重ねることはできる、ということに気付かされました。
そしてそのためには大人が上記3つの信念をもってあり続けたいと思っている自分がいることにビビりながらも希望を感じています。 

Project MINT代表 Tomoe(植山智恵)

工藤さんと直接お話しさせていただく機会を頂き、大変学びの多い場となりました。合意形成のプロセスで、人の利害関係を感情コントロールしながら推進していく力を子供が養っていくことが今の日本には重要です。
そのために、私たちができることは、自分自身の感情を知ることも大切ですが、それ以上に、自分と組織、社会と分けていき、組織で動いていくには組織みんながハッピーでいよう、そしてみんなのニーズは違うということを前提で動いていくこと。 これはすでに個人主義の国には慣れ親しんだコンセプトなのかなと思います。今日のイベント中には話せませんでしたが、欧米など個人主義の国は、逆にHyper individualistic culture(超個人主義)が台頭してしまい、自分自身の心身の健康のケアを怠ったり、相手を防御的に捉え競争的になってしまう、というデメリットがあると指摘されています。逆に合意形成の力を強調しすぎるとこのようなデメリットも出てきていくとのことですが、でも、欧米社会はどうやって共生していくのか、と少なくとも合意形成を行動に起こしながら模索していますよね。日本はその模索、実験、というのを社会としてまだ実装ができていないステージなのかなあと感じています。元々和平や思いやり、みたいな精神があるからこそ、みんなのベースの心理的状況(比較的良い人が多い?)という特性を利用して、より良い民主主義を築こうと本気出したら、日本は世界のお手本になれるポテンシャルがあると工藤さんもおっしゃっていました。わたしもそこは日本のポテンシャルとして信じていることの一つです。さあ、大人は何ができるのでしょうか?自分のニーズを理解してそれを対立を恐れずに他者に伝えていく。そしてみんなが取り残されないように動いていける人になっていけるよう、意識してみてはどうでしょう?そして、次世代を担う子どもたちが自立的にその行動ができるよう見守りながら大人のこだわりを手放していくことではないでしょうか?大人が自分自身のニーズを我慢せずに満たしてあげる、ただそのシンプルで難しい行為が、実は次世代に大きなポジティブな影響を与えていけるのではと思っております。

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