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わかりやすく教えちゃダメ!絶対おかしい授業マニュアル

前回、仲間と一緒に頑張るから続けられるオンライン自習室のお話をしました。
人に教えることが一番の学力向上のカギであるとし、仲間と問題を共有して、一緒に解決する空間で、お互いに助け合いながら進んでいきましょう!という内容です。

今回は、生徒にしっかりと考えてもらうために行っている授業マニュアルを少しだけお話します。
※別に隠しているわけじゃないんで、聞いていただいたら全部オープンにお伝えします。

LLLD進学科は、「わかりやすく教えない」ということもスタッフにお願いしています。
自分は勉強が苦手だから、先生にわかりやすく教えてほしい!という方が対象で、授業を質問時間として利用している人は対象外のお話です。


「わかりやすく教えない」意味わからないですよね。はい。
当たり前だよね!って人は、意見を下さい<(_ _)>

わかりやすく教えないとは、「下手な授業をしろ」というわけではありません。生徒の現状を把握して、あとちょっとでできそう!って思うレベルで授業をしてあげてください。
生徒が授業を受けながら、「どういう事?ちょっとまって!自分で考える!」ってなるようにお話をしてくださいね!ってことです。

わかりやすく教えるよりはるかにレベルが高いです。自分もまだまだです💦
教師の姉も、本当に子どもを本気にさせられる授業が出来るのは100回に1回あるかないかだよね。って言うほどです。
個別ですから、もっと頻度と確度は上げていかないといけませんが。。。

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ここで押さえておきたいポイントは2つです。
わかりやすいということは、わかったつもりになりやすいということ。
自分で考える術をみにつけること。


ここで意識する教育的ポイントは、自分で考える事。自分の力で解けたんだ!と錯覚させること。にあります。

私の先生は授業が上手でね。おかげでちっとも覚えていないんですよ…
教育業界では有名な言葉です。

分かりやすいということは、あまり真剣に考えなくても理解が出来るということです。
そんな知識すぐに忘れちゃいますよね。昨日見たツイッターなんて覚えちゃいません。
解けることに価値はなく、どうやってそのように求めたのか。自分は何を考えたのか。しっかりと自分で理解することに意味があると思っています。


「御仏の指」というお話があります。
国語教育のスペシャリスト大村はまさんが『教えるということ』という著書の中でこう述べられています。(以下引用)

あるとき、仏様が道端に立っていらっしゃいました。すると、一人の男が荷物をいっぱいに積んだ車を引いて通りかかります。しかし、大変なぬかるみにはまってしまい、懸命に引いても車は動きません。汗びっしょりになって男は苦しんでいました。
その様子をしばらく見ていらっしゃった仏様は、ちょっと指でその車にお触れになりました。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていきました。

さて、ここで仏様が助けたのは私だ!と言ったらどうだったでしょうか。
感謝こそされるかもしれませんが、他者の力を借りて抜け出したと認識したことになります。男は自分の力で抜け出したという自信があれば、同じ状況に遭遇しても、自分で頑張って抜け出そうとするかもしれませんが、そうはならないかもしれません。工夫すらしないかもしれません。協力の精神を否定しているわけではありません。

将来、子どもたちは保護者のもとから羽ばたき、荒れ狂う社会の波を自分の足で踏ん張って歩かなければなりません。
我々のするべき仕事は、小石を拾って、ぬかるみを埋めて、歩きやすい道を整備することではありません。我々のするべき仕事は、何度転んでも自分の力で立ち上がるための術を身に付けてもらうことです。
時には怪我をすることもあるでしょう。怪我をしたっていいんです。むしろ、ノーリスクで怪我をできる今のうちに怪我をしておいた方がいいのです。また立ち上がればいいのだから。

ここまでお話をすれば言いたいことは理解して頂けたでしょうか。
喩え話をして、想像してもらうことも「わかりやすく教えず理解させろ!」の1つではないのかなと思います。
そんな体験をしてもらいました。

今日は、わかりやすく教えず理解させろ!という内容でお話をしました。
最初の方に、「授業を質問時間として利用している人は対象外のお話です」と書きましたが、質問したからと言って、すぐに教えるなんてことはしません
対象外になるためのプロセス(質問の仕方)も重視しています。
次回は、「質問の質をアップデートしろ!」「ただ分からない」では絶対に教えない!という内容をお話をします。


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