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自利利他の活動-思いと想い


人を「思う心、想う心」に気付く


自利利他・自分・他人軸・想いと思い

人は、人として大切な心の中に
夫々の異なった「思い」と独自の
「想い=想像する能力」=気持ちが生まれ
その大きさは、人により異なります。

現在、世界クラスのアスリートや文化を
持つ多種多様な日本人や日本のチームが
現実として多くなって来ました。


そのような人たちに共通することは
自らの「思い」と真摯に向き合うと共に、
自分やチームを支えて頂いている人達
への強い「想い」を抱き現状に満足せず
高い目標に向け見えない処であっても
影日向なくチャレンジし続けています。

特に自然災害で被災された皆さんの思い
や想いは部外者の私達にはわかりません。

それは、
震災を体験した羽生選手、被災直後、被災地
の子供達とサッカーを一諸にプレーしながら
勇気づけていたU-21代表手や倉森監督を始め
とした色々な方の「想い」の源になっています。

【想いと思い】在り方・生き方・自他の軸は❓

『思い』
自分の意識や活動を思考する
『想い』
他人や回りの人のことを思考する

思いは「心の礎」
想いは「心の源」

思いは、
「感情と状況に影響される」
想いは、
「夢や目標・目的から生まれる」

思いは、「意思・信念」
想いは、「想像・発想」

思いは、
「我が心を律し、利他心を生む」
想いは、
「総てを一体させ、技と力を高める」

思いは、
今現在の心(思考・思案・意思)を表し
想いは、
回想(追想・想い出)予想(構想・夢)を表す

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思い・・・辞書に想いと言う
文字だけでは載っていません。
思い・想い・念いとしてあります。


人は、
自分の先々を心に浮かべる=「想い」が、
自らの今現在の気持ち=「思い」を越え
た時、自然災害の被災者の皆さんの様な
苦難や辛さを実体験し以前と異なる環境で
日々社会生活、仕事や家庭での暮らしを
体験し生きていると人は心に闇が広がる
と共に、ネガティブで暗い意識になり易く
将来の不安などで気持ちが頭一杯になり、
最終的には自殺と言った選択してしまう
のではないか、私見ながら考えています。


日本人は
他国人と比べ、自分の心と向き合い、
他人を認め、人を思い遣る心を
備え持っていると受け止めています。

その思い遣る心は、他人の心を想像する心
利他・愛他の心」に言われております。

その精神を日々の暮らしに生かすには、
私達は自然災害を被災された方の気持ち
を心の礎にし、日々の生活で触れ合う人
を心から一人の心を持つ人と認め知る=
(認知承認欲求満足活動)と共に、大切にし、
思い遣る心身の活動を怠ってはなりません。

人の心の中に在る、思い遣りの心は
リアルに目に見えません

そして、
人は生きる上で一番大事なことである、
目に見えないバーチャルな心であると
心底から受止ています。

人の心は、(≒非認知能力)
リアルに目に見えないし、神仏も目で見る
ことは出来ないと言えるのかもしれません。

その目に見えないバーチャルな人の心が、
日々の生活や人生を左右しているのです。
そして知識ではなく、人に優しく振る舞い、
困っている人達を助けようとする智恵です。
喩え、あらゆる物の姿が一切消え去っても、
行為や態度の記憶は必ず「心」は残ります。

私達は、
その心と他者を思い遣る心=利他心は
対人関係上でも大事にすることです。
決してその「大切な心」さえ失わなければ、
人は何とか生き抜けると体験しました。

利他・無私の心

そして、自分の為でなく、誰かの為に
想い祈る心を大切にしなければなりません。
自分以外の他者への思い遣りの心、
優しさは何らかの形で報われる時が
必ずやって来ると思います。

この思い遣りは、
自らの思いを届けることの意であって
想いと祈りは利他の心、愛他の心です。

2011年被災された東北地方の皆さんが
備え持つ口に出さない優しさ思い遣りの心
は今後の日本に必要不可欠で大切な心です。

因みに、
「優しい」の文字は、「人」の「憂い」
(苦しみ・辛さ・悩み)に寄添うと書きます。

思い遣りと優しさ

対人関係上で、情け※心を持ち
「してあげたのに」とか
「してやったのに」
と言う会話を良く耳にします。
この「あげた」とか「やった」の言葉
の使い方について考えてみます。

※情け=人間味のある心。
    他人を労わる心。
    人類愛・人間愛・博愛・慈愛
    慈悲・思いやり・親心・人
    情・ 慈しみ・広い心・優しさ
    厚情・気持ちの暖かい・同情
    哀れみ・恵み・親切・厚意など

仏教では、奉仕や施しの活動を
「してあげる」
「してやる」のでも
「して差し上げる」
「させて頂いている」
「させて頂く」でもなく
唯々『御恩返しをさせて頂いている
と受け止めることと説いています。

一方、国語学者・言語学者の
北原保雄氏は「あげる」は
本来「やる」の謙譲語で、
「やるという行為を及ぼす相手を
 尊敬して用いる敬語」
であると解説しています。

現在社会では、
変化が更に進み「やる」の謙譲語
としては「差し上げる」が一般的になり、
『あげる』の謙譲性が殆んど無くなり、
「対等若しくは、それ以下の人に
 対してしか使われなくなっている」
と思われます。

その他にも、
「あげる(やる)」という行為は相手に、
様々な利や恩恵を与える行為なので、
どうしても恩着せがましい感じになり、
相手を尊敬することと馴染まなくなる
言葉であるとも言われます。
更に、「あげる」は「差し上げる」
という謙譲語がある故に、
その謙譲性が弱くなる推測されます。

即ち、
「あげる」は「与える・やる」
の丁寧な言い方で敬語(謙譲語)
ではないとと捉えることです。

私の場合、
普段の会話
「してあげる(あげた)」
「してやった」
の言葉は謙虚な気持ちを持ち続けるため
に出来る限り言葉として使わないようにし、
己の行いを自分の責任でしたと自分にキチン
と言い聞かせるために
過去形の「○○○をした」、
未来形の「△△したいと思う(考えている)」
言葉を出来る限り使うようにしております。

求めよ、さらば与えられん」☞ 自利
新約聖書「マタイ伝」の一節から
多くの人々に知られている言葉です。

古からの名言

求めよ、さらば与えられん。
 尋ねよ、さらば見出さん。
 門を叩け、さらば開かれん

この言葉の持つ語彙は、
物事の受け渡しを成就し
成果をあげるには与えてもらったり
何もせず待っていたりするのではなく、
自ら自発的に求める姿勢が大切である
と言うことです。

この言葉の意味は
「与える人が何等かの見返りや損得を
 抜きに純粋な心で他人に施すことで、
 本人は気分が爽やかになるばかりか
 相手からも喜ばれ、感謝される、
 物的見返りを期待しないこと」
と言うことを表わしていると思います。

支えられている人

さて、
私達人間はその文字の如く祖先や多くの霊、
人々に支えられ人と人との間で生かされる
ことを自らの心の礎に確りと刻み、己が今
生きていられることに「お陰様で・有難い」
と謙虚に人や自然、物事に感謝しその恩恵
の心を何時も忘れないで、生かされ生きて
日々無事に生活していられる現実を捉え
御返しをさせて頂いている
気持ちを持ち続け表し伝えて行く
ことがとても大切であると思います。

まだ記憶に新しい
2011年の東日本大震災時、
世界各国や国内のボランティア、
国内外赤十字の方、自衛隊、警察官、
被災地やその周辺の行政機関の人々、
原発の現場で事故の対処をする人々、
消防官と言った方々の行動を始めとして、
被災された方々の素晴らしい活動は、
まさしく自己犠牲(奉仕)の心そのものです。

そこで、大震災復興や原発事故後の
復興だけばかりか、これからの厳しい
少子高齢化日本の社会を生き抜く為にも、
この奉仕・施しの心(=徳目・愛・情・信)
を忘れることなく生きて行きましょう。

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