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他者の「心・技・体」を動かす【信頼】

WBCで世界一を得た侍の心身の活動-仲間への信頼

💕信頼を学び、理解する

信頼関係の構築

信頼とは疑う余地が無く、
信頼した結果が得られなくても
その責任を自分に求めることが
出来る状態を言い表します。

ですから、対象の人は信頼するために、
相手を徹底的に疑う場合も多少あります。

さて、此処で『信頼』を、
突き詰めて考えてみることにします。

信頼の頭の文字「信じる」とは、
真実と思う。信仰する。
という意味があります。

「真実」ではなく「真実と思う」
ことを示しているのです。
それには、他人の持つ意見、
意思とは関係がありません。

増してや、ハッキリとした根拠に
なるものも必要ではありません。

人が信じているのはある意味で
「その人本人」と言えるのです。

その人が今迄に培ってきた知識・体験、
そしてその様々なことから作られた、
その人独自の個性から判断を下す、

「自らが一番得心出来ること。
 疑っていないこと。」
を真実と思うことが、
即ち【信じている】ことです。

信頼』は信じることよりも、
もっと難しく安易には出来ません。

『信頼』は【信じることを頼る】
わけですから、その対象の人に信じるに
足りる根拠が無ければその人を信用し
信じ頼ることも出来ません。

人は同じ事をしていても、
信頼の有無どんな関係かに因り物事や
結果について見方や意識は変化します。

異なった見方で考えてみると、
相手に対して「信頼関係を作ろう」
と思って作る「信頼」は何らかの
見返りを期待し求めていること故に、
それは信頼とは言えません。

「信頼」は「信じて頼る」こと
の以前に、相手が喜んでくれ温かな
気持ちを持って貰うことも前提の
一つであるとも考えられます。

即ち、信頼は双方に立場において、

「一方的で無条件に信用していること。」

「受け入れていること。」

「許し合えていること。」

「依存するところに根ざしていること。」

であり、時には双方が噛み合ったり、
心や意見が噛み合わなかったりし、
相手への想いがはみ出すこともあります。

また、互いが我慢や自制することもあり、
けじめ・節度も必要であり自分の意識や
判断と異なることでも許すことでもあります。

一方
「信頼=相手の行動の結果が
 自分の予測の範囲内にあること」
であるとも考えられます。

ですから、
相手の行動の善し悪しに係わらず、
予想出来れば「信頼」は成立ちます。
逆に、予想が出来ず、予測不能な行動
を取る人は、相手の立場や人間性に
係わらず信用・信頼が出来ません。

人としての本当の信頼関係は、
表面上の仲良しや明るく振舞ったり、
心を開いたりするだけで築かれません。

それは、相手を認めることから始まり、
思いやり、誠実さ、厳しさ、謙虚に自分を
指差して、触合う他人を咎めず批判しない、
相手の【大切にしている大切な物などを
大切にする】ことなどの様々な心の触合い、
日々の言動や態度の積み重ねにより互いの
心の中に少しずつ築かれて行くものです。

信頼の基盤とも言える、
対象と成るその相手が誠実かどうかは、
簡単に判断できることではありません。

勿論、最初から人を偏見や悪く見るのは
良くないことと多く出会いで体験しました。

勿論、上辺だけの言動の優しさなどだけで、
信頼の【絆】は作ることは出来ません。

前記した、常日頃の極小さな信頼の要素
(誠実さ、思い遣りなど)の数多くの日々の
積み重ねにより得られるものですから、
信頼関係を作ることには慎重に成ります。

例えば、
登山の時に命綱を、誰かに持って貰うと想定し、
その命綱は誰かに持って貰わなくてはなりません。

万が一、命綱を持った人がその命綱から
手を放せば転落して死んでしまう場合に、
その命綱の端を持って貰いたいと、
心に想ったり願ったりする、頼んだり
の出来る人が「信頼出来る人」です。

この信頼と信用とは、切り離すことの
出来ない深い関係とも言えるのです。

信頼と絆

信頼の心得

信頼の心得

信頼と絆を作る

信頼と絆を創るの

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