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二つの自分軸【強みと弱み】


自分の強みと弱みは比べられない


前に載せた「自己洞察に取組む」タイトルの
記事で人の持つ「強みと弱み」と「自己開示」
について色々と書きました。

最近見付けたnote記事、

才能探しの盲点「弱みにも価値がある!」
ここに書かれた文言が素晴らしく心から
共感出来たのでコメントを残しました。
その頂いたレス☟に深い共感を覚えました。
※以下コメントのレスポンスより、

<昭和の時代の方達は、
「弱みと向き合う強さ」

「人生を広く深く捉える感性」
があった。>

以下は記事で共感した文章の抜粋です。
※此処より転載開始。

【私たちは自分が出来ないこと、
 苦手なことを誰かに助けてもらうことで、
 その人に心から感謝することができます。
 そしてその「感謝のエネルギー」が人と人
 をつなげる力となるのです。

 だとすると、
 「弱み」は自分と人をつなげる接着剤と
 言えるのではないかと私は考えています。

 スプーンとフォークのように、
 人それぞれ、凸凹がありますが、
 それらは、「あるがままの個性の形」
 であり、強みになるかどうかは、
 その時の状況や解釈次第でいくらでも
 変わってしまうものなのです。
 
 「強み」「個性」を分けて考えよう!
 自分の才能を探すときに、
 いきなり「強み/弱み」を判断して探す
 と多くの場合「強み」だけに目がいって
 しまい、「弱み」と感じている部分を
 切り捨ててしまいます。

 そうすると、自分本来の
 「あるがままの個性の形」が見えなく
 なってしまい、「本当の自分の才能」
 が見えなくなってしまうことがあります。
 まずは「あるがままの個性(自分らしさ)」
 を見つけていくことが大切です。

 そして、その個性をどのように「強み」
 として活かせるのか、考えましょう。

 このような視点で、
 自分や人を見ていくとお互いの個性を
 認め、強みを活かし合い弱みを助け合う、
 そんな喜びと感謝に溢れる関係性が
 つくれるのではないでしょうか?

自己開示は、先ず弱さ脆さを知り受容れる
生き抜く知恵“謙虚な心を身に着ける”
人は、失敗や挫折してこそ強くなれる】
※以上転載終。

自己開示は、先ず
自分の有りの侭の本質と弱み脆さの理解と
それを素直に受容れる自己受容から始める。

2008年9月接客マナーは心の礎を書き始め
今迄の人との出会い触合いで人間力である
心の力不足を痛感しどうしたらよいか?
を悩み始め今迄嫌いだった読書に向き合う
時間を意識的に作り取組みました。

そして、
人の心の学びの大切さに気付き本心から
取組み始めた年、人として大切な自己開示
を知り少しずつ始めた年でもありました。

母の看病、介護で少なくなった人との触合う
時間を有効的に使いたくてその時出会った人
へ「自己開示」の心身の活動をほんの僅かずつ
ですが実践して、考えていた以上の手応えが
ありましたので続けていました。

その時に先ず、
知ったことは心の中を空にして人と触れ合う
「謙虚さ」(意識・気持ち)の大切さでした。

この謙虚さを知ったことで心の中にある誇り
=要らぬプライドにも気付きました。

謙虚な心での自己開示は肩を張らず自然体で
出来、これを続けていたら日々出会い触合う
人へ配慮「思い遣り」の意識
“生き抜く豊かな心の要素を備える”
大切さ、重さも実感できると気付きました。

“生き抜く心を身に着ける”謙虚さ

人間は心身共に進化成長するために未完成で
適度な弱みと強みで作られています。
故に人間力(人間性磨き)の努力精進の必要性
が生まれると体感しました。

一人の人間が、
先ず人(自他)の持つ弱さ脆さを知ることで、
人間としての自分の強さが何かを知り認知
理解することが出来ます。

人間としての強さは、
どのような状況下でも平らに自らの人間の
持つ情欲感情・思考・志と言う意識を自制
コントロール出来る強さです。

一方、
自分自身の持つ弱さを理解し克服するために
一時的でも自分が傷つくことは避けられません。

一般論として人はみんな、弱く脆い自分の心を
強くしたいと望んでいると思われます。

しかし、
どんなに自分の心を強くしようとしても
中々出来ないのは一体何故でしょうか❓

自分が本当に強くなりたいと心から望む
のに、何故出来ないのでしょうか❓

最大の理由は、
自分が傷つかないで楽をし(精神的負担を無)
自分が格好悪く辛い思いをしないで自分を
強くしようとしているからと受け留めます。

自らが傷つくということ、
他人に知られたくない自分の心を相手や周り
の人に見せる、そのような自分を見たくない
と言う思い(気持ち)に克ち同時に自分の脆く
弱い面を素直に受入れ(謙虚に)自分の備える
嫌いな面にも気づくことだと思います。

自分の弱さを認め、受容れるという行為は
自分に自信のない人には難しいことであり
そこにジレンマが生まれます。

なぜならば、
自分の弱さを認めると唯でさえ生きる基盤が
弱いのに一時であっても自らの生きる基盤が
失われてしまう故であると思います。 

この自分の弱さ脆さを認め受容れる、と言う
ことは、一時的に今までの自分の存在基盤を
自ら否定することになるからです。 

人は意外と
他人に否定されるならば多少は耐えられます、
でも自分が自分を否定することは必要のない
プライドがある故に耐えられないものです。 

ですから己のこの活動に耐えられない人は、
自分の弱さを認めることが出来ないのです。 
故に、自分の弱さを受入れ認めることが
難しくて中々出来ないのではないでしょうか。

このようなことの弱み心の脆さや自信欠如
と言う悪循環が自分を弱くすると思います。 

自分に自信をつける上で自分の弱さを素直に
受入れ認めるということが必要不可欠なのに、
それを認め受容れようとしないからいつまで
も弱い自分から抜け出せないと体験しました。 

人間は挫折し、
失敗してこそ強く成れると言う事を古より
“可愛い子には旅をさせよ”
“ライオンは我が子を崖から落とす”

今迄の人生体験に照らしても人間は、自分が
失敗し傷付く体験が有ってこそ強くなれたと
いまでも強く受け止めています。 

自分が傷つくということは色んな場面で、
喜怒哀楽の経験を重ねると言うことです。

自分の気持ちが傷つくのが恥ずかしくて
恐ろしいと感じるから自分の弱さ脆さを
中々認め受容れられないと体感しました。
※人にはおかしな感情=プライドがある。

そのような自分を素直に受け容れ認知が
出来ないからいつまでも苦しみが続き、
辛い気持ちになるのではないでしょうか。 

自分が心身共に強くなりたいと切望しても
中々強くなれないで苦しみ悩んでいる人は、
果たして自らが辛く苦しい思いや一時的に
でも傷つかないで強くなろう思ってないか?
と言う捉え方で思考してみてはどうでしょう。 

自分が本当に強くなるには一時的にせよ今迄
の自らの生き方を全否定し、絶望の淵に追い
やられる意識になると言うことは決して避けて
通らなければならない精神鍛錬だと考えます。 

その苦しみと苦痛、絶望の体験を乗り越えた
人だけが強い心と自信を持てると思います。 

色んな絶望を乗り越え克服出来る体験をした
から自らの心に確りした自信が付いたのです。
この自信は、心の基礎体力の鍛錬です。

人生で絶望や挫折のない人の自信は、比較的
偽り物の場合が多く直ぐ簡単に崩れてしまう
場合が多いと受留めます。

周りで自信を持って活動している人を
よく見てみるとそう言った過去の経験の
ある人が多いと体験しました。

自分の本質を知り受容れ理解することは、
自分の心が傷つき強くなることです。 

心身共に本当に強いアスリートの人達は
先ず基礎体力を身に着ける苦痛と向合う
鍛錬をしその辛い鍛錬を楽しんでいます。

人間は
「自分はどこから来て、どこへ行くのか」
と、古から言われてきましたが、現在は
「自分は何の目的のために、
 どこから来て、どこへ行くのか」

と言う自分軸を見付けながら生きて行く
のが人の一生であると思います。

人は、自分の見た目を変えたり飾ったり、
生活環境などをどんなに変えたりしても、
強い自信は得られません。 

この自信を付けるために、
辛くても自分の心である内面を正対して
受容れ素直に見つめるしかありません。
 
自己開示(≒内観)により自分の内面を確り
見つめることで生きる安堵感が得られます。

本当に心の強い人、自信を持っている人は
やはり自分の脆さ弱さを知り受容れ理解し
それに立ち向かう勇気を備えた逃げない人、
ではないかと体験から思いました。

そして、
自分の弱点も認め、人に素直に「助けて
と救いを求められる心身の活動を素直に
そして自分から言えることです。
でも、中々そう言えない人が多いようです。

弱い人間ほど、
他人に「助けて」って実直に言えないから、
自分で何でもしてしまう。

逆に、全く自分の(-)感情を隠し持ちながら、
何もないかのように仮面を被ったままの姿で
本当の姿を隠し通して接する人もいます。

例えば、
共通の話題や仕事関連に関する話は仲間に入り
凄く盛り上がるのですが、プライベートのネタ
になると、急に黙ってしまう。
折角親しい友人関係を続けようと思っていても
相手に閉塞感があると誤解してそれ以上の会話
が成り立たなくなってしまう。

その結果、人に会う時は自分の方が気遣いをし
過ぎ、結果として緊張感が漂い疲れます。

その緊張感を解こうと熱く会話をしようとする、
そうすると自分自身の心が疲れる。

しかも、全く距離が縮まった感じが得られない。
一方で、自分のことをきちんと包み隠さず他人
に語れる人(自己開示する人)には、心を開いて
素直に接することが出来るのです。

このようなことからも、
いつも自然体で自らの弱さも認め、逃げない人、
そして、適切な人に進んで自己開示の出来る人、
人を素直に認められる人、このような人は本当
の強い心と自信=信念を備え持つ人ではないか、
と色々な場で実感しました。

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