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小説 エルとアディオー宇宙を超えた「結婚」の物語

 地球に、アディオという男性がいた。30歳、日本人。東京在住で出会いは多いはずだが、独身である。アディオの周囲の友人は次々と結婚していく。アディオの実家の本棚には少女マンガが沢山あった。自ずとアディオは少女マンガをたくさんを読んで育った。ある日、中学生の時、男性の友人の一人が言った。「何だ。おまえ、女っぽいな。キモイ」アディオはそれを聞いて傷ついたが、笑ってごまかしていた。友達を失うのが怖かったからだ。すると、その友人は気がついたのか、「ごめん、ごめん、変なこと言って。気にすんなよ」と言ったので、アディオはホッとした。学校というところは、行かないと退屈なのだが、行けば常に楽しいわけではない。矛盾に孕んだ場所、それが学校であり、学級だ。

 そんなアディオも大きくなり、相変わらずフェミニンな雰囲気の時もあるのだが、外見はしっかりジェントルマンになった。しかし、アディオは結婚相手が見つからず、周囲の人が心配し始めた。アディオはそれほど結婚願望があったわけではないが、周りの人に急かされたり、心配されるのは苦になっていた。東京都心の流行最先端地では、おしゃれな服装をした男女が何組も手をつないで横断歩道を渡り、嬉しそうにしている。いずれもカップルだろう。その光景を、アディオは一種の憧憬を持って眺めていた。

 数日が経過したある日、部屋の窓から夜空を見ていると、小さな物体が部屋に入ってきた。害虫と思い、退治しようとすると、「叩かないで」と言う美声が聞こえてきた。身長10センチくらいで、なぜか大きな麦わら帽子をかぶり、ほうきの上にのって空中に浮かんでいる。飛べるのだろうか。ネイビーブルーのマントを羽織っており、人間のような風貌だが男女の区別はつかない。「待ってください。わたしは魔法使いです。宇宙から来ました。あなたを助けます」と言う。「何を助けてくれるのですか?」と聞くと、次のような答えがかえってきた。「わたしは地球の担当をしていて、世界中の困っている人を助けています。それがわたしの仕事です。いろいろなところに行きます。昨日はアラスカに行き、悩んでいるエスキモーを助けました。日本人のアディオさん。はじめまして。あなたは優しい人なのに結婚相手が見つからなくて、こまっていますね」「そんな。優しいだなんて。僕は本当は優しくなんかないんだ。事実、昨日もー」そうアディオが言いかけた時、魔法使いが言った。「待って。あなたは優しいでしょう。意外と地球上の人間は自分のことを理解していません。だから自傷行為をしますね。特に、ここ日本ではアメリカより自傷行為が流行っていますね。宇宙から見ると驚きです」それを聞いて、アディオはうなだれた。「そう。自傷行為ばかり。SNSにイイネがつかなければ、それだけで自己否定。ましてやこの年齢になって結婚相手がいないなんてー。友達はみんなもう結婚したよ。そうだ。だったらいっそ自分も自己否定してやる」と思った瞬間、その思いを聞いていたかのように魔法使いが話し始めた。

 「あの、自傷行為はやめませんか。あなたの結婚相手はいます。それでわざわざ、宇宙からアラスカ経由で東京に来たんです。アディオさんに言わなきゃと思って」
 「え、どこにいるの?」
 「興味を持ちましたね。興味を持つことは恋愛の始まりです。そうこなくっちゃ」
 「で、どこの誰なんだ。どんな人」
 「あせらないで聞いてください。海王星にいます」
 「えっ! 海王星?」
 「でも、ご安心ください。地球の日本人と同じ格好をしていて、日本語を話せます。あと英語も話せるはずです。海王星の語学学校で勉強したらしいので。地球での生活も大丈夫です。しかも」
 「しかも、なんだ?」
 「ステキな女性です。名前はエル。結婚相手を探しています。毎晩結婚の夢を見て朝現実に戻り溜め息をついています。365日毎日欠かさずです。見ていると気の毒で仕方ありません。年齢は26歳。お育ちは良い方だと思いますが、なぜか海王星ではお相手が見つからないみたいです。海王星では28歳までに結婚しないと生涯独身という厳しいルールがあります。それを聞くと地球がいかに自由な場所か分かるでしょう。先日、その女性は地球人の誰かに嫁いでもいいと私に真剣に言っていました。ご両親は反対みたいですが、そこは私が魔術でなんとかします。ただし、アディオさんがその女性を気にいるかは分かりません。恋愛は外見だけでなく、性格も大事ですからね。ただ、会ってみる価値はあります。お約束します」
 ここまで言われて引き下がる訳には行かない。そう思って、アディオは答えた。
 「会います。会ってみたいと思う。でも、どうやって?」
 すると魔法使いは小さい紙をそっと取り出して、アディオに渡した。
 「それを見れば分かります。ではご成功を祈ります」
 魔法使いはそう言うと、いなくなってしまった。1人取り残されたアディオは紙を開いてみた。
 「5月28日午後3時、東京都港区XX町1丁目にある地下鉄Y駅前の○○銀行の前に行きなさい。白いブラウスを着た女性がいます。その日の天気は晴れです。」

 アディオは、紙のメモを大切に持っていた。5月28日。それは1週間後の土曜日だった。その1週間は仕事で忙しく、疲れ果てて金曜日になった。美容院に行こうか、エステに行こうか迷ったが、よく考えると魔法使いのイタズラだったらどうするのか。そう考えて、明日は普段着で行けばよいと考えた。
 
 5月28日土曜日、天気は少し雲がかっていたが晴れだった。午後2時55分、待ち合わせの○○銀行の前に行くと、若い女性がたたずんでいた。白いブラウスを着ている。「魔法使いの言ったことは本当だったのか」一人驚いて、慌ててその女性に近づき、話しかけてみる。
 「ぼく、アディオです。はじめまして。あなたは、えーと」いけない。肝心な時に名前が出てこない。すると女性がこちらを見て話しはじめた。
 「わたしはエル。海王星から来ました。魔法使いさんの紹介です。お会いできてうれしいです」そう言ってエルはニコッと微笑んだ。まるで、乃木坂〇〇五期生の人気者⬜︎⬜︎ちゃんのような笑顔だった。「似ている」ーそう思った瞬間、アディオのハートが射抜かれた。エルは、アディオが追い求めていた理想の女性像だったからだ。どうやら、エルも、フェミニンな雰囲気を持つアディオのことを気に入ったようだった。

 その後、半年間、2人はデートを重ねた。エルはお花が好きなことがわかった。地球のお花は宇宙一美しいとエルはよく言っていた。アディオも、もちろんお花が好きだった。アディオは子供の頃から、「お花が好きだ」と言うと、決まって「男なのにキモイ」と言われ続けてきた。その度にアディオは傷ついてきたが、大学生になっても、社会人になっても、誰にもずっとこのことを相談できなかった。またキモイと言われるのが本当に嫌だったから。ところが、エルの前では、お花の美しさについて一緒に喜び語り合えることができた。アディオは運命の出会いを感じたが、エルも同じように思っていた。

 優しいアディオは、エルを連れて、公園、山、庭園など、いろいろな観光名所にお花を見に行った。そして時々花束をプレゼントした。すると、いつもエルは嬉しそうだった。2人とも、新婚旅行は、ガーデニングで有名なイギリスに行きたい、バッキンガム宮殿の庭園を見たい、と意気投合するようになった。やがて自然の成り行きで、2人は婚約を宣誓した。結婚式の日取りも決まり、結婚式が1週間後に迫ったある日、魔法使いがアディオの前に現れた。

 「アディオさん。おめでとうございます」
 「あっ。魔法使いさん。久しぶり。ありがとうございます。おかげでエルさんと結婚することになりました。結婚式は1週間後です。式場は東京都港区の○○教会です。魔法使いさんも招待しなきゃと思っていたところです」
 「招待なんて。いいんですよ。わたしは世界中飛び回っています。なにせ、この地球上は、宇宙の他のどの星よりも自傷行為をする人が多いのです。何とかなりませんか。あっ、アディオさんは自傷行為が無くなりましたね。本当によかったです。たしか、あなた達の結婚式の日に、私は北欧に行く予定です。ノルウェー、スウエーデン、デンマーク、あれフィンランドだったかな。忘れてしまいましたが、北欧のどこかで相談にのらないといけないのです。えーと、それより、エルさんとの結婚にあたり、夫婦生活の注意事項がありまして、お願いを説明しに来ました。これを守らないと結婚生活がうまく行かない場合もありますので、ご留意ください」
 「なんですか。夫婦生活の注意事項って?」
 「エルさんは、日本人に見えますが、実は海王星人です」
 「それは知っています。僕たち、それを分かり合って、海王星と地球という遠い星の出身同士だけど、お互い助け合って一緒に暮らしていく約束をしたんです」
 「素晴らしいです。でもお伝えしていなかったことがあります。実は海王星人は、どうしても地球人には理解できない行動や思考をしてしまうのです。その数なのですが、300あります。その300の行動や思考の様式が、この本にまとめてあります。これを差し上げますので、1から300まで必ず読んでください。できれば暗唱できるといいですね。とにかく、この300を守れば、一生幸せな結婚生活、夫婦生活を送ることができます。お願いしますね。」
 「なんだ。そんなことですか。分かりました。読みます。今日はもう夜遅いから明日からでいいですか」
 「明日からで構わないのですが、必ず結婚式の前日までに、遅くとも結婚式の直前までに、300の項目を読んでください。それでは、ご婚約、そして1週間後の結婚式、おめでとうございました」
 そう言うと、魔法使いさんはいなくなってしまった。北欧に向かったのだろう。

 翌日から、アディオは職場への通勤途中や昼休みにこの本を読み続けて、言われたように暗唱をした。暗唱は大変だったが、大学入試の受験勉強に比べたら大したことなかった。魔法使いさんがくれた本には、おおよそ次のような注意事項が書いてある。

 1海王星人は、お花が大好きなので、お花を否定しないこと。できれば、一緒にお花を鑑賞すること。
 2海王星人は、白い服を好む。白は海王星では平和と友愛の象徴だからだ。毎日、白い服を着ても否定しないこと。できれば、褒めること。
 3海王星人は、地球を好きだが、自分の星、海王星を誇りに思っている。海王星を否定しないこと。できれば、時々でよいので、一緒に海王星への敬意を表すとよい。
  
 だいたい、このような内容だった。アディオは拍子抜けした。もっと難しい内容かと思っていたからだ。順調に暗唱できるようになり、ついに299項目をクリアした。それは結婚式の3日前だった。アディオは、あと一つ、もう大丈夫と思って安堵した。その翌日から急に仕事が増えたため、魔法使いさんからいただいた本を読むことができなくなった。そして、299項目クリアのまま、結婚式の開始時間になった。いけない、300に達していないとアディオは一瞬思った。だが、結婚式は始まってしまった。皆の祝福、そして、ウエディングドレスを着た美しいエルの登場。アディオは300項目の存在を忘れてしまった。エルは、海王星での平和と友愛の象徴である純白のドレスを着て、本当に誇らしく振る舞い、魅了した。誰もが2人の前途と栄光を祝福した。

 アディオとエルの結婚生活は順調に進んだ。2人は元々美への意識が高く、美容への関心があった。2人とも美容関連の企業に勤め始めた。やがて、2人は会社を辞めて、事業を起こした。美容院、エステ、フラワーショップを総合的にブランド化して運営した。ブランド名は「ネプチューン&アース」である。最初は小さな1店舗からスタートしたが、なにしろ、エルは、英語もできるため海外の情報もすぐに仕入れられる。それだけではない。海王星人なので、海王星や宇宙の最新のファッショントレンドの情報をキャッチできる。このようなアドバンテージがあるため、アディオとエルの事業はどんどん拡大した。店舗はテレビでも紹介されて、有名な人気店になっていった。

 アディオは家でも熱心に仕事をしていた。平日の夜もiPadをいつも見ていた。休日もパソコンに向かう。アディオとしては、それで事業がうまくいけば、共同運営している妻のエルも喜ぶと思っていたのだ。ところが不思議なことに、エルは、帰宅すると一切仕事をしない。スマホも電源を切り、自宅の花に水をやったり、花を見ながら歌を歌っていた。ただ、それでも2人が不仲になることはなかった。

 ある日のこと。自宅で深夜、アディオは驚いて一人で声をあげた。寝つかれなくてスマホを見ていると、アメリカの株式市場で株価が大幅に下落している。その少し前の日、2人の会社は、アメリカの株を大量購入したところだった。エルは「海王星のスピリットがやめなさいと言っている」と繰り返して株の大量購入に反対していた。ところが、アディオは投資会社の親しい社員の勧めで、エルに黙って株を買ってしまったのだ。アディオは、青ざめてエルを起こした。その時、夜中の1時だった。大きな損益が発生する事情を説明し、今後どうするか相談した。するとエルが意を決したように呟いた。

 「もう限界です。ずっと我慢してきたの。さようなら」
  
 そう言うと、エルは一瞬で荷物を集めて、1秒でパジャマから普段着に着替え、宇宙へ旅立った。アディオは、エルが空を飛ぶのを初めて見たので驚いた。方角を見ると、海王星の方向にエルが進んで行く。海王星に帰ってしまうのか。そう言えば、エルがどうやって海王星から来たのか聞いたことがなかった。宇宙を飛んできたのか。どうやら、海王星の文明は、地球よりもはるかに高度なようだった。そう言えば、エルは、そんなことを時々言っていた。そして「それでも地球のお花は宇宙一美しい」と言っていた。

 アディオは1人でぼう然と部屋に佇んでいた。エルがいなくなった今、仕事のやる気も出ないので、お店の経営権を第三者に譲渡した。その売却益で、生活には苦労しなかった。だが、かつてのように一緒にお花を見てくれるエルはもういない。見かねた友人達や仲間が、次は地球人と付き合ったらどうか、と言って、何人かの女性を紹介してきた。いずれもお花が大好きな日本人だったが、アディオは興味を持てなかった。エルは海王星人。一度、異国の地、海王星人の女性と結婚すると、地球人の女性に魅力を感じなくなるのかもしれない。そんなアディオの前に魔法使いが現れた。

「アディオさん。お久しぶりです」
「あっ、魔法使いさん。エルなら出て行きました。あれ以来、ぼくは不幸です」
「アディオさん、例の本、299項目までしか読まなかったでしょう。300個目のルールを守らないから、海王星人のエルが出て行ったのですよ。ほら、もう一回この本を読んで」
 魔法使いが本を投げてきた。本を開くと、最後のページに300個目の留意事項があった。

300 海王星人は自宅に仕事を持ち込まない。海王星人と結婚したのなら、その配偶者も、自宅で仕事をしない方が良い。なお、海王星の文明は地球よりはるかに高度である。海王星人は空を飛べるし、未来に何が起きるかを必要に応じて予知できる。

「そうだったのか」アディオは300個目のルールを読まなかったことを後悔した。そして、泣き叫んだ。その泣き声に驚いて、魔法使いは逃げてしまった。

 アディオは、その後、毎夜、晴れの日も雨の日も海王星の方向に向かって1時間祈りを捧げた。もちろん、手にはエルの好きな花を持って。別にそのようなことは、本には書いていなかった。アディオが自分で考えて行動したことだ。そうすれば、エルが帰ってくるような気がしたから。しかし、一年続けても、二年続けても何の変化も起きなかった。それでもアディオは海王星の方向に祈りを続けた。五年経っても、それ以上、時が経過しても、アディオは祈りを続けた。やがてアディオは不条理な気分になり、サミュエル・ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」を思い出した。意識が朦朧としてきたその時、アディオの前に白色に光るドレスを着た女性が現れた。どうやら海王星で流行っている「感情を表わすドレス」らしく、白の生地にところどころピンク色のハートマークが点灯している。「エルが帰ってきたのだろうか。夢なのか」と思った。だが、どうやら夢ではなく、本物のエルのようだった。よく見ると、エルの頭にはNeptuneと書かれたティアラがある。エルは海王星の王室の一員なのだろうか? 「自分はエルのことをまだ何にも知らない」ーそう思った瞬間、エルの声が聞こえてきた。五年、いや六年ぶりに聞くエルの声だった。そして、以前と変わらず、ステキな笑顔を見せた。

「ありがとう、アディオ。わたしもこの時をずっと待っていました。いったん別居しても、どちらかが六年間祈り続ければ配偶者は帰ってきます。それは海王星の301個目のルールです。本には書いていないです。書いてしまったら、誰も配偶者を大切にしないのではないでしょうか。だから301個目は秘密のルールです。魔法使いは301個目のルールの存在を言わなかったでしょう。なのに、アディオはよく分かりましたね。また、二人で夫婦生活を始めませんか? 私たち、離婚したわけでなく、別居しただけなのですから」

 このエルの言葉に、アディオが大きくうなずいたことは言うまでもない。


〔参考文献〕
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』白水社、2013年。
乃木坂46『乃木坂46公式書籍 10年の歩き方』KADOKAWA、2023年。

(この作品の著作権は執筆者に帰属します。無断転載と引用を禁じます。©︎ Dr Hiroshi Sato, Professor of Education at University of Tsukuba 2023)





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