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神経回路の再設定(後編)

MS(多発性硬化症)での入院から現在までの話(約3年半)です。前編はこちらにあります( https://note.com/ykkmasa/n/n445f3ac40aeb )。後編は退院後の経過です。痛みや痺れだけではなく、働き方や生命保険、障害年金など広く社会的なルールのようなものについて書いてあります。MSに限らず多くの人に少しだけ参考になるかと思います。

1.退院してすぐに思ったこと

2017年9月、約1ヶ月の入院を終えてやっと家(実家)に帰りました。家はやっぱり落ち着きます。ぶっちゃけ1ヶ月も入院すると結構しんどいです。相部屋だったし治療(点滴とかで横になっている事が多かった)しかやる事ないので。
家に帰ったらとりあえずご飯が食べたかったです。病院食がおいしいかどうかではなく、今まで日常的に食べていた食事が摂りたかったのです。突然に毎日の食事が今までとは違う。自分の舌がすぐには順応しないんです。とにかく腹一杯食べました。それと、事前に母に「肉が食べたい。ひたすら肉が。」と言っておいたので母が肉料理を用意してくれていました。美味しかったです。本当に。
あと、よくわからない開放感に満たされていました。入院中はWi-Fiも届かない9階の部屋にいました(2階までは届く)ので、一応スマホとノートパソコンを持ち込んで退院後の生活の仕方などの調査や考えをまとめていましたが、テザリングしてるとあっという間にデータ量が大変なことになって、その9月のスマホ利用料が2万円くらいになってしまいました。自宅Wi-Fi環境って素晴らしいw
長期戦になりそうな入院の際はその間の通信料に注意です。少しの期間上限なしとかにしてもいいくらい。
とにかく、今までの自宅環境って素晴らしいと思いました。

2.自宅リハビリ

リハビリの通院はだいたい2−3週間に一回でしたので、自宅でもできるリハビリを理学療法士の先生と相談していろいろやってみました。
特殊な機器などはないためほぼほぼ日常の動作ですが、まず積極的に左手を使うこと。ただ、大事な作業(落として壊れたら困るものとか)はしませんでしたが、試せることは全部やった気がします。それはある飲食店経営者の方に「左手が寂しがってる。仕事を与えてやらなきゃ。」と言われたことが大きかったです。

具体的に何をしたかというと、まず
・入院中にやっていた「ペン回し」みたいなこと
・これも入院中にやった「親指とその他の指先をくっつけるアレ(できてきたら目を瞑って)」
・入浴時にお風呂の中で「手を伸ばしてグーパー」
・体が鈍りに鈍っていたので1000円ぐらいで買える「腹筋ローラー」
全部すごく大変です。だってそもそもグーやパーができないですし、普通に腹筋ローラーできる人ってそんなたくさんいないです。左右の握力が極端に違っていたので、様々な困難を伴いました。

通院の時に握力測定するのですが、2ヶ月くらいはほとんど20前後であまり回復した感じが無かったのですが、その年末(12月)に突然40台まで回復してて理学療法士の先生に「何やったんですか!?」って言われてしまいました。

その次のリハビリの時に、筆の毛みたいな道具で触覚を試して「一般の人とほぼ遜色ない」ということでリハビリは終了となりました。すごく根気よくやってくれたあのリハの先生には本当に感謝しかないです。入院中に少し思うところがあって、その先生に「この左手絶対に元の状態に戻したいです。お願いします。」と言ったことがあったけど、即答で「もちろんです」って言われて「本当の医療職ってこういう姿勢が必要だよね」と内心思いました。自分の姿勢に反映されたかどうかはわかりませんが。

とにかく以前のように動くようになった左手とその後仕事を始めました。
ただ、少しの時間でも簡単な作業でもものすごく疲れたのは確かです。時短勤務から始めて少しずつ元の労働量に戻しました。

3.今までの労働って

退院翌年の3月くらい、やっと元の労働ができるようになってきて「よかったぁ」って思いましたが、疲労と背部の痛みは続いていました。非常にしんどかったです。そしてMSについて色々調べていると、想像したくない嫌な未来が頭の中びっしりに膨らみました。
僕のMSは再発寛解型(良くなったり悪くなったりしてだんだん進行していく)とのことだったので
・いつまで普通の労働ができるかわからない。というか周りの人より確実に短い。
・再発したら最悪また入院(労働が中断される)。それがいつかはわからない。
・発症初期は再発しやすい。
・そもそも1日仕事とか夕方には悲鳴をあげてる。
・でも寿命自体はさほど縮まらない。

数えたらキリがないめちゃくちゃ大きな不安要素がひしめいていました。基本的には「仕事ができない=収入ない=生活できない」ですよね。それでもあと数十年は生きなきゃいけないのかと思うと、どうしていいかわかりませんでした。
ちなみに22歳で統合失調症と診断がついているので、働き出した24歳の時点で生命保険は入れませんでしたが、MS発症も同じで基本的にはお断りされます(その後も時期を見て問い合わせてみているのですがやはり回答は同じですね)。だからもう自分でかけれる保障はなく、コロナ禍で多くの人が実感しているように公共の保障制度はあてになりません(年金のお知らせがきて、老後の年金受給額は現時点で60万円/年、と…)。障害年金も基準がかなり厳しく(腕が無くなったとか失明したとか)受けられません。条件に限らず必要なのは今じゃないのかなって思いますけどね。

ちょっと話が逸れましたがその時実感したのは「今までの労働って、みんなの労働力ってめちゃくちゃすごいパワーだったんだな」ということと「先の見通しが全く立たなかったこと」。それによって自分の中には不安と絶望しかなかったですね。

4.職場(働き方)を変える

今思えばあの時の選択は間違っていました。
いつ再発するかわからない、いつまで働けるかわからない、だから今体が動くうちに極力頑張ってお金にしよう。これは最悪の思考でした。もうほとんど時間がないような気がして、その時の社長と相談して高年収の職場へ行きました。ただ、それは単なる焦りで、結果的に自分を追い込んだだけでした。2年ほどで苦痛だらけになって、コロナ禍がきて、体も心も限界で、結局仕事を辞め、干からびる寸前でした。知人や家族の助けが入ったことは本当に幸いでした。
けど絶望だらけは変わりません。

5.落ち着いて考える時間

焦っている時に何かの決断をするのは良くない。実感しました。
手は動く。けど体はきつい。病院は行かなきゃいけない(2箇所)=平日休みは病院で潰れる。仕事は行かなきゃいけない。自由時間なんて無いです。今は通院先が3箇所になっていますので、1ヶ月のうち複数日どこかの医療機関にいます。この状況では仕事に行くことは負担を増やすことになります。けど働かないと… 堂々巡りですね。

ただ、前述の「助け」があったから、現在療養とリハビリを兼ねつつ自宅にいます。しかしいつまでもというわけにもいきません。けど続くコロナ禍… 社会復帰のタイミングをすごく慎重にうかがっています。体もとても万全とは言い難いし。継続的な保障は無いし。難しいですね。
けど考えて準備する時間ができたことはありがたいとしか言いようがありません。冷静に、動きの多い社会情勢を見極める。今まで考えたことも無かったけど、一歩間違えたら命取り。

時間がもらえたことで色々わかったことがあり、最近はすごく落ち着いて物事を考えられるようになりました。
働き出す時の自分の動きはその時にまとめます。

6.今日までのまとめ

実はMSについて調べていくと、働いているMS患者はかなりの割合で「障害者雇用」だったり「時短労働」だったりします。正直フルタイムの「普通の労働」ってやつは夢のまた夢かもしれません。
「そうは言っても働かないと…」
この思考は見方によっては不自然です。
生きることが目的なのか働くことが目的なのか。働くために生きているっておかしくないですか?と思ってしまうのです。
労働と生活はセット。その二つではない「生きる目的」を今の僕は見失っていますね。
机に向かっって1時間が限界です。ほんとにこんな30代は想像してなかった。
今後の動きはもう少し考えさせてください。

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