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必ず出会う。巡る生命力の縁という忘れてしまっているけれど確かにある約束。

初めましての方、そしていつもご覧下さってる方、sanaのnoteに足を運んで下さり、ありがとうございます。皆さんが縁あるいつかの星に繋がる時のために、sanaの現場からの何かをころんとお届け出来たら、と思っています。


聞こえる声に導かれるように

子どもの頃からいつか会わなくちゃいけない人がいるって、私は思っていました。それが今じゃない、まだ先のことだよ、って、そう度々思っていました。

それを忘れて日常を生きて、小学校低学年から高学年になって。何かの折にまたふと思い出すのです。会わなくちゃ、でも、んー、今じゃない。まだ先のことだね…って。

ところで誰に会うんだっけ?
うーん…わかんない…

私は3歳になるあたりからずっと身体が極端に弱かったので、図書室でも家でも本をたくさん読んでいました。人生の苦難を乗り越えて何かを成し遂げた人たちや研究し続けた、という人のお話を読むのが大好きでした。(後年、自分の太陽天秤座のサビアンシンボルそのままであることを知ります。)

中学に入ってからは書店に行くことが楽しくなり、度々通っていました。

ある時、手にした月刊誌があって、立ち読みしていると、とあるページにあった記事がグッと自分に迫ってきたように感じて、そんな自分に驚きつつ最後までをその場で夢中になって読みました。意識の世界のお話だったことは今も覚えています。
書かれていた記事の見開きページのうちの左のページの最後の行に、書いた人の名前が書かれていました。全く知らない名前です。

その時にまたあの感覚がやってきました。会わなくちゃねって。

「えっ?」

言葉とも感情とも言えないようなものが、自分の中に入ってきたような、逆に中心から広がったかのような、なんとも言えない感覚でした。

「この人? 誰?」 

聞いたところで返事は返ってきません。
何する人なのか、どんな人物なのかもそこには書かれていなかったので全くわかりませんでした。今となっては確かかどうかは不明ですが、私の記憶では名前のみ、あるいは職業名的なことが何文字かで他のことは書かれていなかったような印象です。

その後、その出来事を思い出すということがやって来ました。

「まだ。今では無い」

数日数週間は覚えていましたが、数ヶ月経過すると経験自体を忘れていきました。数年に一度思い出すことはありましたが、その度に同じ感覚が訪れます。

「まだ。今では無い」

いつかこれに変化は来るのか? あるいはこれ自体が消えて無くなるのか?
そんなことを思いながらも、また日々の生活に戻り、また忘れていくのでした。何度かそれを繰り返していました。

…… …… ……


その時、という時は自然と来た

月日は流れ、初めて「やがてこの人に会う」という根拠無き感覚があってから、約20年過ぎて私はその人に会うことになりました。

「時が来た」

私の中で、その声が再び聞こえるような、その時が来てしまったからです。

その時の行動が、その後の自分の人生を大きく左右することに繋がっていたということになります。迷いはありませんでした。

今、なんだ、自分でもそう思い動き出しました。

その20年越しのひとつの出会いは、旅の印となりました。
なんだかわけのわからない普通とはちょっと違っている出生、出所の自分自身という不確かで頼りなくふよふよな存在が「自分はいったい何者なのか?」「この人生はどうしてこうなのか?」ということの肝心なヒントを手に入れることとなります。
そのヒントへと繋げつつも自力で考え探し出すように、より自覚する、行動するということへと繋いでくれた、地球人として存在してくれていたその大先輩のおかげで、私の旅は人生の方向性をより絞ることになっていきます。

20年も前からのあの声は、人生の経験といういくつかを重ねて行ったからこそ訪れる、大いなる自分からの転換ポイントへの声だったのでしょう。

ただでさえ外れそうになるとは見えない力によって戻されるような特定の細い道を行くような歩き方だったのに、さらに融通の無い人生の歩き方へと進んでいくことになりました。
言い方を変えましょう。30代半ばから始まった新しい歩き方への道は、最も自分の素性らしい生き方を作っていくことへのシフトだったのです。
やがて私は相談業という仕事を自分で立ち上げ、スタートさせました。


いろいろあり過ぎるような気がする

身体的弱さによる生きにくさ、生まれた環境由来の苦しさ、普通ありそうなものを持っていないことを悩んでいることが大き過ぎて、私自身が通常の社会で一般的な未来を創っていくことに向っていけない消極的状態である、と中学生の頃には自分の問題を何とかしなければ、と自己判断していました。

3歳くらいから度々の病が続きます。
重度の小児喘息、薬害による小学生の間に心臓停止の懸念、高校生時に数年で目が見えなくなるから職業を今から選ぶようにとの宣告、20代前半に腎炎によっての腎臓破裂寸前からの生還と慢性的腎臓の虚弱、30代前半に両足歩行困難で60代の身体状態と判明し一生車椅子宣告。2006年にガンによる3ヶ月の余命宣告。以後~近年にも色々ありますが、それはまた随分と過去だね、という感じになったあたりに書き加えたいと思います。

日々健康ではない身体。小学生以降何度も余命宣告体験が続きます。
兄弟姉妹や祖父母や親戚というものが全く不在、出生地の謎、自分が戸籍上私生児扱いであること。
父の戸籍が長く無かったことによる全額負担の長く続いた高額医療費の支払、年々過酷になっていった先にあった10年以上の密着した父の介護生活、亡くなる数年前に父の戸籍の移動と婚姻と父親認定の法的手続きによる家族成立へ。
土地に根ざさない転々とした旅人のような両親の生き方、幼少期の夜逃げ的引越しによる環境の断絶への絶望。すぐに思い出せることだけでも結構いろいろあったりします。

あまりに簡単に答えの出ないたくさんの悩みが、幼少期からずっと私にはありました。重たすぎたのです。そして本当のことの多くは教えてくれない、話してはくれない両親でした。

静かに考え続けてるように大人びた子供でした。身長も高かったので、小学生の頃から成人と間違われるのが当たり前の日常でした。幼少期から見えない存在に助けられて関わって日々を生きていましたので、本人にとってはリアルな思い出であり今現在も形を変えつつも当たり前の日常です。
心理学や仏教の教えから答えを見つけ出そうとしていた学生時代もありました。

個人的には、どの時代にもたくさん出会う人たちの中で、その時々の自分を助けてくれる優しさや愛情は近くに存在していましたが、自分の抱えている根本的な部分の苦しさを助けてくれるのは、少なくとも他者(地上に住む地球人)では無い、ということには幼い頃から気が付いていました。

占星術で自分の出生図を見ても結構火が強いのです。火星、木星、土星は火のサイン(星座)です。太陽は天秤座で、これは風のサイン(星座)です。世代天体である天王星と冥王星と他にもは地のサイン(星座)があって多めです。水が一番少なめ。すべての経験はお笑いになっていく、そう考えてはいましたが、実際にそうなっています。


道が開かれゆく時が来たという経験、知ることによる解放

より専門的な知恵や知識、技術もあった上での広い視野を持ったカウンセリングや探索によって、私の中で長くこんがらがっていたものが解かれていきました。その一回ごとの内容とさじ加減というのはおそらく通常は非常に難しく、その現場で選ばれたほんの一言や立ち振る舞い方によって、その後の刻々と変化していく自分の内側でそれらが大変大きな意味を持つ、という体験をしてきました。まさに瞬間瞬間のライブです。

占星術(ジオセントリックとヘリオセントリック)、恒星、生命の樹、サビアンシンボル、十牛図、絵画療法、絵画療法立体版、オーラ視、水晶視、遠隔透視、誘導瞑想、ヒプノ、エニアグラムなど学んでいることを全て9分割理論というものを通して再度理解していこうとする実践の中で、様々が私に多くのことを気が付かせてくれ助けてくれました。
社会的人格の自我が抱え込んでいる感情解放は重要案件です。自覚的なものと無自覚なものと。cafe prizm では「感情解放」に多くの時間を使ってワークを進めていきます。

それは、一世代に通用するサイズの社会常識というものではなく、数世代にわたってのサイズでものを見ていくという言わば普遍的な世界観というものとの出会いです。そのサイズの中で考えていかなければ、私の抱えている問題、困難、謎というものは理解も把握も難しいものでした。

物質的な自分の大地の世界のルーツ(生まれるためだけの場所であった愛媛県生まれとか実際の両親そのものとか)からより深い生命の、魂の、民族のルーツ、宇宙の中のとある働きというルーツという非物質的な方向性のものと出会い、様々自覚していくことになった私の旅は、それまでの行き場の無い不安感や孤独から自らを解放し、あらゆる困難な問題だと思えていた数々のものがするすると解けていくことになりました。出会いからゆっくりと、それは数年かけてのことではありますが、大きすぎると思っていたはずの問題はいつの間にか問題では無くなっていました。

そこにあったのは、静かな喜びと大きな信頼です。失われることもないでしょう。この経験とこれまでの様々な学びから、時と場所を越えたところにあったり、地上の理由だけでは解決しないようなこともある、ということも伝えさせていただこうと日々仕事と研究は続行中です。


必ず人生に起きていることには自分にとっての理由があり、選べなかったと思っていた環境や出来事や身体的なことさえ、本当には大切な意味があるのだと知ることの可能な位置がいくつもあることを知りました。持っているもの、持たされたように感じて来ているものにも無意味なものなんかなくて、自分にとっての重要な意味と出会うことが可能だったのです。また、時代のものさしのようなものも、そのサイズが重要でした。
これは情報のままのものでは無く、経験による実感です。結果的に自分の人生を動かす原動力になるものです。

それは段階的に進み、すでに受け取っていたはずの意味さえ更に階層を変えつつ変わっていくということも起きるでしょう。それはやがて、自分の立ち位置という足場の大きな土台自体が変わってしまい、見える風景はまるで変わってしまいます。

どなたにもですが、そういう止むに止まれぬ想いが継続的に自分の中にあって、そして求め続けるならば、それはやって来るのだと思います。あるいは、すでにやって来ていたこと自体に気が付くのかもしれません。

自分が何者で、何をしようとしているのか、日々日々それは更新され続けていく可能性もありつつ、より大きな世界へと旅は続きます。

一人じゃ無い。どこまでも一人ぼっちではない、ということをいつだったか知りました。生きていてもそうですし、いつか旅立った後もなのです。
独りであることの意味は大きいのですが、それは瞬間用意出来るものでもあり、そのために呼吸法は重要要素ですが、よって物理的な独りという意味ではありません。
私自身もむしろ物理的にも恵まれていると思います。縁ある人たちに常に助けられ続けてここまで来て、時に無邪気に遊んで、好きなように仕事と研究を続けている毎日を生きています。

私の知り続ける旅は、まだまだこれから続きます。それは思い出す旅でもあります。表現するということも続きます。
どれひとつ欠けても今の自分自身には繋がらなかったであろう、すべての地上のご縁と天上のご縁に感謝です。



あなただけのこの人生の物語を紐解いて歩きましょう。
昼の地球で、夜の宇宙で、丸ごと一日どうぞよい旅を。
cafeprizm sanaでした。

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