赦せないこと
先日、祖母が亡くなった。
92歳。老衰。
祖父が亡くなってからわたしたち家族と同居をはじめた。後妻なので長男である父とは血の繋がりがなく、つまりわたしとも血縁関係がない。父の下には妹(祖母の実の娘)が2人もいるのに、田舎特有の「世間体」ってやつを気にして、長男である父が土地を相続する代わりに同居を決めた。母の反対を押しきって。
血の繋がりの有無なんて関係ない、過ごした時間や培った絆があれば家族以上の家族になれる、なんてことが「幻想」だと、「わざわざ」身をもって教えてくれた人。
母が苦しむ姿を見てきた。
家のなかの不穏な空気を察知する、感受性の強すぎる子どもだったわたし。最初から祖母を好きになれなかったし、祖母も母によく似たわたしのことが気に入らなかったんだと思う。
母は、わたしたちを守ろうと必死だった。
家のなかのいろんな事情を知ったのはわたしが家を出て20歳を過ぎてから。それまでは「子どもたちだけでも関係がよくなるように」と、祖母からの仕打ちを母は誰にも言わずに自分の中だけで留めていた。
母がされたことをもしわたしがされたなら、家を出ていっただろうと思う。ただわたしには子どもがいない。当時の母のように、自分にしか守れない存在がそばにいたら? わたしには一生、我慢し続けた母のことは理解できないんだと思う。
認知症になって、自分では起き上がれなくなって、自宅介護が始まった。「下の世話くらい自分にもできる」と息巻いていた父は、1度試しにやってみたあとすぐに寄りつかなくなった。結局、施設に入所するまでの間、最初は介護サービスの利用もできず、母が一人でお世話した。「なに言ってもすぐ忘れちゃうからね、言いたいことが言えるようになって前よりずっと楽だよ」自分の悪口を周りに言いふらし、虐げてきた相手の介護。母は笑ってそう言った。わたしには想像を絶する苦行にしか見えなかった。
施設に入ってすぐにコロナ禍になって、面会は月に1回程度、ガラスを隔てた場所でのみ。行かないんじゃなく、行けないという状況に、母はやっと少しほっとしたような顔をしていた。
その間にみるみる認知症がすすみ、母のことも父のことも、実の娘のこともわからなくなって、人が変わったように丸くなった。
亡くなる前に会いに行ったとき、わたしが誰かはわかっていなかったと思うけど、手をとって「ありがとね」と言った。そのときでさえ、わたしの気持ちは驚くほど動かなかった。母はもう何かを吹っ切ったような顔をしていたけど。
***
祖母の遺影と祭壇の前に立つ。
死化粧を施された祖母は、穏やかな顔をしている。
生前あんなに母を、わたしたち家族を虐げて苦しめた人も、こんなふうに送り出してもらえるんだね。おばあちゃんは幸せ者だよ。よかったね。
この状況でも、わたしの心は冷たく固まったままだ。
汚いものをみるような目で見られたこと。
悪口の言葉の一語一句。
全部わたしの心に影を落としたまま。
祖母にもわたしにはわからない人生や想い、苦しみや憤りもあったんだろうと思う。当たり前だ。それくらいのことが想像できるくらい大人になってしまったから、祖母だけが悪かったとは思っていない。
わたしがもっと子どもらしく甘えられる性格だったなら、祖母の態度も軟化したかもしれない。家のなかの空気も変わったかもしれない。
でも、わたしたちは違いすぎたし、合わなさすぎた。
お通夜、お葬式を経て、祖母は骨になって小さな箱に収まった。その過程を見届け、遺影を見上げて何度もお焼香して手を合わせた。それでもやっぱり、わたしの気持ちは動かない。
故人だからってすべてを赦さなければいけないの?
自分のために赦したいのに、赦せない。苦しいのに。
まるで修行だ。わたしにとっての。
いつか全部赦せるときがくるだろうか。
「おばあちゃん、おつかれさま」って
心から労うことができる日がくるだろうか。
今はまだむずかしそうだけど、
いつかそういう日が来るように、
わたしはこの先も続けるしかないんだろう。心の修行を。