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「遊び」の定義とは

日付は変わりましたが
はるくんが旅立って2週間

何かはるくんに対しては
悔いる気持ちが無いのは

ある程度、長く元気で生きてくれて
ある程度、保護責任を全うできたと
自負しているからなのかな?と
思っております。

はる氏です🐹

さて今日は
質問がありました。

【友達とご飯に行くのは遊びに入るか】

うーん…

とても難しいことのように感じる
他人にとっては、どうでもいいような
ことですねぇ…。笑

まあでも
ある種の哲学的要素を含んだ質問と
思ったので

大好物なので
(*゚∀゚*)
にーん

考えてみるに

ポイントは3つかなと
・友達
・ご飯
・遊び

いや遊びやろ
(・Д・)
ごーん

というのが
概ね共通認識として
有るであろうという風な
前提で書いていきますが

どうせなら
しっかりと定義付けしたい。

で、話は戻って
前述の3つのポイントですが

その前に
そもそも「遊び」とは
何なのかということを
定義する必要があるのかなと
思いまして

意味を調べてみたとこと
1.遊ぶこと。なぐさみをすること。
2.仕事がない、また仕事をしないこと。

と、書いてありました。

色々と思うところはありますが

まず
「遊び」の意味の説明に
・遊ぶこと

(・Д・) (・Д・)
おい

というのと

この解釈だと

病気や怪我で
仕事ができない場合

或いは

辞職・休職している場合

これも
「遊んでいる」

ということになりますね。

A「久しぶりやん。最近なにしてたん?」

B「事故で意識不明なって集中治療室で
 遊んでてん。」

これが正しい解釈

ということになりますか?

日常会話としては

超絶不自然ですが

まぁ、便宜上
そう定義しましょうか。笑

それと
ぼくは語彙力に乏しいので
「なぐさみ」
とは何なのか
わからなかったので
こちらも調べました。

慰むこと。
・気晴らし。楽しみ。
・もてあそび。

と、ありました。

つまりは
「遊び」
とは

相手との関係性は
考慮されない

ということで

相手が友達であろうが
一番低いハードルで言えば

自分が仕事をしていなければ
「遊び」
に、なるし

逆に

相手が友達で
かつ
自分が仕事をしていても

ストレスが溜まるような時間を
過ごすなら
気晴らしができない
楽しくない

ということで
「遊び」の定義は

成立しない

ということになります。

相手が友達ではなく
家族や親戚、仕事関係者でも

自分が仕事をしていて
気晴らしになる時間を
過ごせるなら

行動(遊び)の内容に関係なく

「遊び」に入る。

ということで

一生懸命、考えたんですけど
何か腑に落ちないですか?
(・Д・)

ぼくは
体感としては

我ながら
腑に落ちない
(*゚∀゚*)
にーん

けれども
何かわからないことを
明確にしたい場合

「定義すること」

ほとんどのことは
解決するんだろうと思います。

話を初めに戻して

友達とご飯に行くのは
遊びに入るか

ということの
結論

それは

ケースバイケースだ
(*゚∀゚*)

と、いうことで

良い関係性の人と
良い時間を過ごす

これでいいんじゃないかというか

これが大切なんじゃないかと
結論付けました。

皆さんも
友達とご飯に行くときには

「遊び」
に、なるように

してみてはいかがでしょうか。

ねむたい

はる氏でした🐹


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