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「小説 名娼明月」 第47話:門演(かどづけ)の身

 長屋の盲女(めくらおんな)から聞いたる三味線門演(かどづけ)のことを、その夜お秋は種々思案してみた。

 「かくまで窮迫した身で、どうして贅沢が云えよう? 飢えたる者は食を撰ぶの隙はない。幸い自分は三味線ならば一通りは弾ける。三味線の門演でも仕事には相違ない。思い切って門演を行(や)ってみよう!」

 と、雄々しくも心を極めたが、

「このことが母上に判っては許されまい。よし許されたとしても、却って母上の心配の種子(たね)となるかもしれぬ」

 と、お秋は母から気付かれぬように、翌日亀屋の女将(おかみ)に頼んで、三味線を一挺借り受け、日の暮るるのを待った。
 日は暮れた。お秋は母に対して済まぬこととは思えど、

 「ちょっと城下尽頭(はずれ)の八幡様へ、お病気平癒の祈願を罩(こ)めてきますから」

 と欺き、真っ白の手拭(てぬぐい)に面(かお)を隠しながら、三味線窃かに掻き抱き、近所の者へも判らぬように家(うち)を出た。
 曩(さき)に巡礼姿となって、芸州玖波の駅(しゅく)を出た時、人の軒下に立って「巡礼にご報謝!」と云うのが、切らるるより辛かった。然るに、今門演となって人家の戸口に立つに及んで、その辛さは、巡礼ぐらいの比ではない。

 「これも孝を思えばこそである!」

 と退縮(ひる)む心を自ら励まして立たんとはすれど、家の中の様子を覗えば、すぐと決心が鈍る。
 西や東と足を棒にして歩き廻り、道の両側の戸ごとを覗くばかりで空しく家(うち)に帰った。
 三味線抱えて、そっと自分の家の敷居を跨ぎ、痩せ衰えたる母の寝姿を見たときは、一曲も弾かで空しく帰ってきた自分の腑甲斐なさが、しみじみ情けなくなって、お秋は覚えず涙を落とした。

 「明日こそは、どんなことがあっても、必ずやってみせる!」

 と、固く決心して眠ろうとしたけれども、目が冴えて、どうしても眠れぬ。母の病気を思い、古郷を思い、夫を思い、門演のことを思いしているうちに、東の空は白んできた。
 明けし日は容易には暮れぬ。

 「死んでも今夜は空しく帰らぬ!」

 と決心せしお秋は、早く日が暮れて、自分が稼ぎに出て行く時の来るのが待ち永くて堪らぬ。夕飯を済まし、ようやく昨夜の時が来ると、お秋は前の晩と同じく、八幡様へ詣ってくると母に言い残して出た。

 「我が決心の程を、今は八幡様もご照覧あれ!」

 とばかり、お秋が、とある家の軒端に立ち、力を罩(こ)めて掻き鳴らせば、弦声切々、ゆかしき音色に流れて、道行く人も聞き惚れて、足を停(とど)めた。
 一曲弾き終わって、お秋が吐(はっ)と息吐(つ)いて、驚いた。たくさんの人が、手拭(てぬぐい)の蔭から、自分の頬を切(しき)りと覗きこんでいた。お秋は覚えず愧(はずか)しさに顔を染め、前よりも一層手拭を深くし、

 「是非に今一曲を!」

 と望まるるままに、またも一曲を弾き終わると、家(うち)の人は頻(しき)りにお秋の腕を褒め、紙に包みし五百文をお秋に与えた。遅くなりては母上が心配されるであろうからと、お秋はその金を頂いて、家に急ぎ帰った。
 翌日も、翌々日も、お秋は前日と同じく、日の暮れるのを待って、門演に出た。
 かくて最初心恥しさに控えがちにせし声も、時日を経て、自然恥しさが薄らぐに従い、豊かな咽喉(のど)から鮮やかに迸(ほとば)しり出で、さながら盤上玉を転ばすよう、田舎に稀なるお秋の美容と美音は、たちまち広くもあらぬ小倉の城下の評判となった。


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