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絶妙なタイミング! #あの選択をしたから

「覚悟」というものがこんなにも強くパワーのあるものだと知ったのは
あの選択をしたから・・・

5年前の私の誕生日に相方は私をおいて香川から東京へと旅立ってしまった。

すぐに帰ると思っていたが、帰ってこないことに、ちゃんと気づいたのは行ってしまってから。

数週間後、相方から東京に遊びにおいで!とメールで飛行機のチケットが送られてきた。

50歳も過ぎて東京なんて私には無関係な場所だと思っていたので、行くというだけで不安ばかり。

でも、会いたかったので、挑戦してみた。

そこから、1年余り、9回に及ぶ私の東京通いが始まる。

相方は、私にも一緒に東京に来てほしかったのだ。

そんなの無理!と、はなっから思っていたが、東京行きの回を重ねるたびに、私でも東京で住めるかも?そんな自信がついてきていた。

ただ、私はシングルマザー。
息子は大学も卒業し自立しているが、私のそばには両親がいる。

子育て終わったら次来るのは介護じゃない?って思っていた。
当時、両親はまだまだ元気ではあったが、28歳で離婚してからずっと一人でいた私が今更誰かと一緒に暮らす?まして、遠く離れた東京へ行ってしまう?

それは、両親にとって青天の霹靂だったらしい。
かたくなに反対する両親。

そのはざまで揺れ動く私の心。
それだけではない、フリーランスになって2年ほど経っていた。
仕事が順調に入ってきだしたころ。

どうする?となきち!

今のままなら、仕事も順調だし生活も普通にできる。
そんな状態の中、迷いに迷った。

そんな風に迷っている時に相方が私に言ったこと。

「ここでずっと暮らしていて新しい場所は不安かもしれない。もちろんご両親の介護もこれから出てくる可能性はある。
でも、今はご両親も元気だ。
これまでずっと子育てしてきて、ご両親と一緒にいたけど、少しの間でもいいから、自分に自由に生きてみたらどうかな?
将来何年後かわからないけど、ご両親の介護も出てくるかもしれない。でも、それはその時に考えていって、今できるんだったら、数年でも自分の自由のために生きることをしてみたら?」

この少しでも自由に生きてみたら?という言葉は、それまで私が心の中でもやもやしていたことの的を得ていた。
そして、今、私がこのままここにいる理由にしているのは、やがて来るかもしれない両親の介護をただただ待つという生き方を選んでいるということに気付いた。

もちろん東京に行くということは、今の仕事をすべて辞めなければいけないし、辞めるとなると、あとを任せる人のことも考えていかなければいけない。一か所だけの仕事ではないフリーランスの私にとってそれは考えるだけで大変なことだった。

それでも、何よりも数年でもいいから自分の自由のために生きたい!それを強く思うようになった。

うじうじできない理由ばかりを探していた私は、その瞬間
「東京の相方のところに行こう」という選択をしたのだ。

そして、選択をしたからには、「東京に行って幸せになるんだ」という覚悟が生まれた。

覚悟が生まれると、強くなった。

周りから何を言われても、行く方向にしか動いてないから。

そして私が「東京に行く覚悟」を持った時から、周りが応援してくれるようになった。
一部否定する人もいたが、あきらかに肯定してくれる人が増えて、応援してくれている。それは何よりも私の自信につながっていったのだ。

ただ、両親の反対はぎりぎりまで続いた。
それでも、最後には、「あんたは何を言っても自分が決めたら頑固やから・・・」と上京する1か月前に認めてくれた。


空港まで見送りにきてくれた両親

この年で、親が認める認めないは関係ないのかもしれないけど、やはりそれは私にとってはとてもうれしいことだった。


高松を飛び立ち東京へ

上京してから4年。
上京から3か月後にはコロナ禍になり、せっかくきた東京で何も動けない状態にもなった。

でも、あの時期にあの選択をしたことが大事なんだと。

例え選択していたとしても、数か月遅れていたら、コロナ禍になり、東京へも出てこれていなかったかもしれない。

絶妙なタイミング!

コロナ禍も終わり、今、私は相方と一緒に毎日のちょっとしたことを意識することで気づける自由と幸せをかみしめながら生活をしている。

#あの選択をしたから



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