憧れとその人の距離について

お久しぶりです。

今日外食をして先輩と恋愛観の話になった時に自分が言った考え方が面白かったなと思ったので書き残そうと思う。

どんな物事にも憧れて始める人が一定数存在する。好きなアーティストに憧れ音楽を、楽器を、歌を始めたり、スポーツ選手の神がかったワンプレーに触発されスポーツを始めるなどなど...

ちなみに自分は喫煙者ではあるが吸い始めた理由と言えば一番尊敬するギタリストの藤岡幹大氏が喫煙者であったからが一つ。もう一つが自閉症のような内気な性格がニコチンかタールか何かによって改善されたという説があるとかないとか聞いたからである。

学生時代は負のオーラを纏っていたほど俗にいう陰キャだったわけで今は幾分かマシなったと思う。実際学生時代を知っている知人何名かに纏っていた負のオーラがなくなった。と言ってもらえた。

話を戻して、憧れて何かを始めるのはいい。ただ憧れの対象が身近であればあるほど一度考え直すべきだと思う。

なぜそう思うか。スケールの大きい話をするなら世界はもっと広いからだ。同じジャンルの世界で生きていくとしても今の身近な存在に毒されるより遠い存在に毒された方がより生き方・目標が明確になりやすいと筆者は思うからだ。

近くの存在で連絡を取らなくなって疎遠になってしまうより遠くの目標が永遠と見えている方が実際問題目標が見え続けるというメリットが存在する。

個人的NG例をあげるとするなら恋人が喫煙者でその影響で吸い始めることや友達が買ったからその場の勢いで自分の考えもなく買ってしまうこととかだろうか。

個人的にはもっと憧れが強く遠い存在の影響であってほしいと思う。自分自身に影響されて体に毒なもの始められた時には頭悪いんか?と少し思ってしまう。自分が良い影響だけ与えられる人間になれば良い話なのだが人間なものでそううまくはいかない。

憧れるのであれば、宗教的に強く・遠く・愛せる存在を対象にしよう。

一端の講師をすぐ尊敬するな、せめてプライベートでそのアーティストのライブに行くか音源・CD等を購入してアーティストにお金を落としてから尊敬していると言え。

最後に荒々しい言い方になってしまったが今日浮かぶのはこのくらいだろうか。

また何か面白いネタが浮かべば書き残そうと思う。

ではまた、どこかで。

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