【遠征記 vol.5】初夏の萩・津和野を巡る旅(レノファ山口FC編)
2022.5.4(日) 維新みらいふスタジアム
はじめに
みなさんこんにちは。梅雨に逆戻りしたかのような雨が続く今日この頃。季節を間違えたのか「ひぐらし」の鳴き声が聞こえる。
さて今回は、GWと少し前になってしまったが、ずっと行きたいと思っていたアウェイ山口遠征に行くことができたので、その時の話をしていきたいと思う。
萩や津和野のような風情ある街を歩くのが好きな私は、アウェイ山口戦と絡めたこの遠征をずっと温めていた。日程が発表され、GWの3連休の中日に組み込まれたことを確認し、今年がチャンス!行くしかない!と決心した。
津和野で歴史と文化に触れる
島根県津和野町は山口県との県境に位置する、山間の小さな街である。情緒溢れる街でその姿から「山陰の小京都」とも呼ばれる。街の建物には「なまこ壁」と呼ばれる日本の伝統的な壁塗り様式が用いられ、白い土塀は江戸時代の雰囲気を感じさせる。
中でも「殿町通り」は最もその雰囲気を感じられる場所で、白と黒の建物、新緑の緑、そして青い空のコントラストが非常に美しい。
津和野は文豪・森鴎外が生まれた街としても知られる。せっかくなので、森鴎外が10歳まで過ごしたという旧宅を訪ねてみることにした。
この家は森家が東京へ移住した後、一度別の場所に移されたが、昭和29年の鴎外三十三回忌を機に町へ寄付され、この場所に戻されたそうだ。
数々の名作を生み出した感性はこの家から生まれたのだろうかと想像を張り巡らせながら、私もなにかもっと人に読んでもらえるような遠征記が書けたら…と思うのだった。
街を歩いていると、「ドンドコドンドン!」と太鼓の音が聞こえて来る。この街に伝わる伝統民謡なのだろうか。とりあえず近づいてみることにしよう。
太鼓を叩いてるのはガタイのいい男性に加え、女性や子供もいる。中には外国人の姿も。海外から移住してこの街に来たのだろうか。それとも、もともとこちらのご出身なのだろうか。いずれにしてもこの津和野という街の居心地がよいのだろう。
どうした?SLやまぐち号
この街にはSLが走る。「SLやまぐち号」は新山口駅から津和野駅までを一日一往復する蒸気機関車である。運良くSLやまぐち号に乗れる権利を手にした私は、ひととおり観光を終え、発車時刻が迫る津和野駅へ向かった。
駅に到着すると、なぜか人だかりができていた。「ん?これはなにか起きたか?」と背筋が凍る。ひとまず近寄ってみると、駅員が必死に事情を説明していた。
「SLやまぐち号は故障のため運休となりました!」
「え〜!」と落胆する人々、そして泣き叫ぶ子どもたち。
「さっきまで動いてたじゃん笑」
思わずそう叫びたくなった。サムネイルの写真にもあるとおり、私は津和野にきてすぐ新山口方面からやってきたSLやまぐち号の姿を目にしていたのだ。
「バスを用意しますのでこちらをご利用ください。」
と駅員がまた必死に説明している。どうやら新山口駅から新幹線に乗る人と山口宇部空港から飛行機に乗る予定の人を優先的に乗せるようだ。
特に急いでいるわけでもなかった私は仕方なく、1時間後の普通列車で山口方面へと向かった。「遠征にハプニングは付き物」だということを改めて痛感させられた。「これもまた遠征である。」
SLやまぐち号は7/16現在、炭水車不具合のため運休している。なにかと世話がかかるSLやまぐち号だが、これからも遠くの地から見守っていきたい。次回行くときは乗れることを信じて。
初めましての維新みらいふスタジアム
いつもはじめてのスタジアムはワクワクする。知らない街を愛するクラブのユニフォームを着て歩くのは少し恥ずかしいが、地元の人々から浴びる暖かい視線も冷たい視線も「アウェイに来た!」という感じがして良い。
スタジアムの最寄駅は2つあり、JR山口線の矢原駅と大歳駅がある。どちらの駅からも徒歩で15分くらいで変わりはないのだが、新幹線の新山口駅や山口宇部空港からは大歳駅が近いので、アウェイのサポーターはだいたいこちらを利用する。
さて、キックオフまで時間があるので、スタグルを探しに向かう。せっかくなら何か山口らしいものが食べたいと思い、たどり着いた答えは「瓦そば」だった。
「瓦そば」は文字どおり、熱した瓦の上に茶そばと具が載っていて、温かいめんつゆで食べる山口県下関市の郷土料理である。
さすがにスタジアムで食べるものに瓦はついてこないが、とてもおいしかったし、次は是非お店でも食べてみたいと思う。
ミスが響いた悔しい敗戦
試合は前半2分、太田修介選手のゴールで幸先よく先制に成功する。自分が着ているユニの選手がゴールを決めるほど嬉しいものはない。のちに藤田オーナーから前半戦のMVPに選ばれた太田選手はゼルつくのインタビューで「自分らしい形が見せられた」と語った。
試合はそのままゼルビアペースで進むも、前半46分、連戦の疲労からか最終ラインにミスが生じボールを奪われ、山瀬功治選手に同点ゴールを浴びる。そしてその2分後、今度は田中渉選手に逆転ゴールを浴び、なんと前半ATに2失点。
するとポポヴィッチ監督はハーフタイムに何を思ったか、ここまで全13試合フル出場、昨年は42試合スタメンフル出場を果たしたGKの福井光輝選手に代え、今シーズン大分トリニータから完全移籍でやってきたホープウィリアム選手を投入する。
「そこじゃないだろ!」と誰もが叫びたくなる交代だが、これまで出場機会のなかった選手のプレーが見られるのは悪くない。後半の巻き返しに期待しよう。
しかし、追いつけそうで追いつけないゼルビア。同点に追いつけずもどかしい時間が続く中、終了間際の後半41分、再び最終ラインにミスが生じ、高木大輔選手にダメ押しゴールを決められる。反撃も及ばず、結局試合は1-3で敗戦。試合後スタジアムに響きわたるレノファの応援歌「やまぐち一番」が敗者の心に突き刺さる。
敗戦のショックで観光どころではなくなってしまったが、「俺はゼルビアの応援をするために山口まできたんだ。たとえ報われなくてもその目的は果たされている」と自分に言い聞かせて気持ちを切り替える。
萩・明倫学舎で反省
さて一夜あけ、悔しさも少しは紛れたところで、今回の旅のもうひとつの目的地である萩へ向かう。山口市の中心部から萩市の中心部は路線バスが運行している。電車で行くのはかなり遠回りをすることになるので現実的ではない。
バスに揺られることおよそ1時間。最初に訪れたのは萩・明倫学舎。萩藩の教育や人材育成の中枢を担った「藩校明倫 館」の跡地に建築され、国の登録有形文化財に登録された旧明倫小学校の校舎を改修整備したもので、萩の観光起点施設として2017年にオープンした。
館内には「ジオパークビジターセンター」や「世界遺産ビジターセンター」、「幕末ミュージアム」と学びを深められる施設が充実しており、どれも子どもの夏休みの自由研究テーマにできそうだ。萩を訪れた際には是非、学びの拠点にしてはいかがだろうか。
萩の城下町を歩く
さて、ここからはいよいよ萩の城下町を歩くこととする。萩城下町は「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されており、幕末に活躍した志士たちのゆかりの地や趣のある建物が数多く存在している。まるでタイムスリップしたかのような街並み。
途中でとてもかわいらしい秋田犬に出会った。犬が好きな私は少し触れ合わせてもらうことにした。山口県で秋田犬に出会うという、なんとも稀有な体験だが、日本の伝統的な街並みに秋田犬が映える。これぞ日本の風景という感じだ。
旅には必ず出会いがあり、その時にしかできない体験がある。こういった出会いを大切にしたいし、それが旅をする醍醐味だと思っている。
萩城趾と澄んだ日本海
萩城下町を少し離れ萩城趾へ向かう。萩は比較的見どころが集約されているので、少しの体力があれば、歩いて回ることもできる。海岸線に沿う道を歩き進めていくと、浜辺に出られそうな道を見つけた。
遊覧船が私の横を通り過ぎる。これはシャッターチャンス。我ながらいい写真が撮れたなと。ゆっくりと過ぎて行く時間。「ずっとここにいたいな」と思わせる美しい海だった。
目と鼻の先に「指月山」という小さな山が見える。この山の麓に萩城趾はある。萩城は1604年、関ケ原の戦いに敗れた毛利輝元が築城した本格的な山城で、指月山という山に築城されたことから「指月城」とも呼ばれていたそう。
近くにいたご夫婦が記念撮影をしていて、ご主人が奥さまの写真を撮っていたので声を掛け、城趾をバックにご夫婦の写真を撮って差し上げた。この写真がお二人の記念に残る一枚になったらいいなと願って。
おわりに
萩と津和野はよくセットで旅程に組み込まれることが多い。今回、旅の玄関口に選んだのは「萩・石見空港」。島根県益田市にあり、萩にも津和野にも電車で1時間ほどで行くことができる。ただし本数が少ないので注意が必要である。
「サッカーがあるから旅をする。」
「行く場所はサッカーが決めてくれる。」
「楽しむかどうかは自分次第。」
せっかくアウェイまで行っても試合に負けることは当然ある。そんなとき、心を癒してくれるのは素晴らしい景色だったり、美味しい食べ物だったり、人の暖かさだったりする。
「サッカーと旅には親和性がある。」
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