淡く燃え行くトーチの灯
2013年東京でオリンピックが開催されることが決まった時、私は本当に嬉しかった。
私は、小学生の時に陸上競技を始めた。高校はスポーツ推薦で入学し、大学は実技を伴う推薦入試で合格した。大学では競技は続けなかったが、何度かの全国大会も経験した。
今が25歳だから人生の半分ほどをスポーツと共に生きてきたことになる。人よりはスポーツに興味があり、スポーツが好きな自負もある。
だからこそ、1964年以来のオリンピック自国開催には興奮した。2013年が大学受験の年であったから、このオリンピックにスタッフとして関わって、生涯「スポーツの力」を活かした仕事に携わっていきたいと本気で思った。
だからこそ、
” 東京オリンピックは早々に中止すべきだった "
と強く思う。
オリンピックは平和の象徴となるスポーツイベントとして行われてきた。しかし、それは表面的なものと化し、その裏側には、国際的イベントだけあって、政治的、商業的に利用されることがほとんどだ。
メディアも世間も、それは分かっていながらも、スポーツイベントとしての感動的な一面を話題としてきた。
” コロナウイルス ”
連日報道されているように、東京オリンピックはコロナとの闘いだ。
「コロナに打ち勝ったことを象徴するオリンピックになる」と政治家が発言しても、それは世間の批判を浴びた。コロナは開催すべきではないという世論調査が80%を越えるように、世間は今、「スポーツの力」を求めていない。
代わって、報道されるのは、理由を明確に挙げることなく、強行開催に突き進む政治家とオリンピックの商業利用が問題視されているIOCだ。
政治的な一面と商業的な一面がここまで表面化しているオリンピックは異様だ。スポーツイベントではなく、政治イベント・商業イベントに変貌したオリンピックの開催意義を模索するのは難しい。
私が最も懸念しているのは、それらに影響されてスポーツの価値が下がりに下がっていくことだ。
スポーツ、アスリートは如何なる悪さもしていない。
しかし、この状況下において
「単なるスポーツイベントをするなんておかしい。」
「出場を辞退しないなんておかしい。」
と、まるでスポーツ・アスリートが悪いように言われている。
世間はオリンピックが失敗すればいいと思っている。感染が拡がって、
「ほらね」「やらないほうがよかったんだ」と
言いたい人たちがいっぱいいる。
何を定義に成功だと言えるのかは、もはや分からなくなっているが、成功すれば残念がる人たちがいっぱいいるのだ。
” オリンピックの成功がスポーツの価値を下げる ”
そんなオリンピックを私は見たくない。
これまでスポーツの力を目に見える形にして、
感動を生み出してきたオリンピックであったが、
この1年、政治的・商業的な利用に振り回された結果、成功しても、失敗してもその価値を下げることになってしまう。
結果を出すために情熱をかけてきたアスリートも、
オリンピックの成功のために献身的になってきた関係者も、オリンピックに関わるだけで、冷ややかな目で見られている。
開催すれば、ゴールの無いオリンピック。
やはり、東京オリンピックは早々に中止するべきだった。
2020年を機に、日本のスポーツ界は光を浴びて、益々発展していくはずであったが、状況は一変しその未来の灯は淡く燃えるのみだ。
せめて、7年間努力をし続けてきたアスリート、スポーツ関係者に批判の声が集まらない大会にしてほしいと願うばかりである。
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